第4話 猫にコロッケパン

「コンクールは再来月の二十四日よ。原稿の提出は来月末までだから、そんなに焦らずゆっくり書いてもらえばいいから。もし行き詰まったり何か分からないことがあれば遠慮なく先生に聞いてね」

「はあ」 


 ぐ、ぱー。と手のひらを開閉させて、曖昧に答える。


「大丈夫、近江さんの好きなことを、好きなように書けばいいの」


 先生の言葉が、熱にうなされているときに聞こえる耳鳴りのように揺らめいている。瞼の裏に、水面が映るかのようで、息が苦しい。


 わっほーいと泳げるような広大さがあれば、私もハツラツと返事ができるのだろうけど。


 教務室を出て、階段を上り始めたあたりで「失礼しました」と言うのを忘れていたことに気付く。


 でも、私は呼び出されただけで失礼なことなんて一つもしてないからな。


 浪費した昼休みを惜しむように、階段を駆け上がった。息の切れたまま教室に入ると、楽しい楽しいお弁当タイムが終わり楽しい楽しい楽しい談笑タイムに移っているようだった。


 輪から外れた教室の隅にポツンと座る湊を発見して、私も輪から外れる。


「おいっす、ご飯食べた?」

「食べた」

「私のパン買っておいてくれた?」

「買ってない」

「なんでさ」

「それはこっちの台詞」


 それもそうか。


「先生に呼び出されてた。で、買いに行く暇がなかった。よろしく」

「言っておいてくれたら買ったのに」

「先生が言っておいてくれなかったから」

「じゃあ、先生に買ってきてもらわなきゃ」

「また教務室もどるのか。怠い」


 カバンを漁ると底のほうに個包装されたクッキーが転がっていたので破いて囓る。くずが落ちないように上を向いて食べていると、目の前にぶらりと、コロッケパンが浮いた。


「食べきれなかった」

「え、いいの?」

「いいよ」

「湊ちゃん優しいちゅき」


 食べきれなかったらしい一囓りもされていないコロッケパンのラップを解く。購買のパンらしい、脂っ気の少ない小麦のにおいがした。


「湊ってコロッケパン好きだったっけ」

「好きじゃない。だからあげた」

「なるほど」


 湊は体育座りをしながら、両手で持った携帯ゲームの液晶に視線を落としていた。


 コロッケパンと、それから優しさをちょうだいする。こういうとき、思ってることは言わないほうがいい。なんとなくだけど、湊にかっこつけさせてやろうと思った。


 甘みを含むポテトをこんもりと包む衣を凝視しながら、昼食を貪る。こうやって教室の隅で陰湿に食事を済ませるのにはもう慣れてしまった。逆に私が湊を連れ出して輪に入れてやっても、おそらく湊は食事が喉を通らずに撃沈するだろう。


「あ、湊さん。そのゲーム機、私の妹も持ってるよ。なんのソフトで遊んでるの?」


 まあ、輪というのは、こちらから入らなくても寄ってくるものだ。なぜならあれは、悪意を集めてできあがった代物なんかじゃないからだ。優しさ、思いやり、それにちょっとの好奇心と、友情。触れてみればとても温かいものが連なったものが、輪だ。


 ほれ、話しかけられてるぞ、と隣の湊に目配せをする。


「ぺ」

「ぺー?」


 話しかけてくれた子が、かわいらしく首を傾げる。


 湊は口をもにょもにょと波打たせたまま固まってしまっていた。


「ぺろぺろちょっぱーだって」

「えー? なにそのゲーム」


 横から私が適当ぶっこくと、その子も「そっかー」と相づちを打ち元いた輪へともどっていく。あの子もなかなか、ぶっこいたな。


 開いた口に、半分ほど減ったコロッケパンを放り込む。半分を過ぎると、何故か味を感じなくなる。なんでだ。


「遊びじゃない」

「もういないけど」


 遅れて首をギギギと動かした湊が、虚空に向けて一生懸命話しかけていた。


「ていうか、ぺってなんだったの?」

「ペリカン?」

「疑問形で返されるとは思ってなかった。いいけどさ」


 ペリカンだろうがダチョウだろうが、答えるのに十秒以上もかかっていたらどちらでも結果は同じだろう。


「近江はすごい。あんな陽キャと喋れるなんて」

「陽キャて。ただの優しい良い子じゃん」

「それを陽キャという」


 どうやら湊は偏見を含んだ蔑称に陽キャという言葉を使っているわけではないらしい。いまだにぷるぷると震えている膝を見るに、きっとその無償の優しさが怖いのだろう。


「階段の踊り場でインメルマンターンの練習をする私たちも充分陽キャだと思うけどね」

「あれは訓練。必要なこと」

「いつ必要なんだ」

「速度で振り切れない強敵に相まみえたとき」

「あいまみえる」


 なんか歌手みたいだな。


「ネームド同士の戦闘は激アツ」

「ロボット?」

「そう。今週の土曜から二期が始まる。一緒に見る?」

「んあ」


 うんと頷けるほどそのロボットアニメに興味があるわけではなかったし、いやいいと首を横に振れるほど他に予定があるわけでもなかった。


 昼休みも中盤を過ぎると、教室と教室を行き来する生徒の出入りも多くなる。扉が勢いよく開くたびに、湊が肩をビクっと震わせていた。


 すると湊は不満を表情に出しながら、不承不承に立ち上がって私を見た。


「近江、カーテン締めて」

「はいはい」


 締める、というよりは、カーテンで私と湊を包んだ。


 春巻きみたいになった私たちは、クリーム色の空間に身を縮こまらせながらゲームの液晶に目を落とした。


「やっとこれで集中できる」

「ほんと猫みたいだな」


 大きな音に驚くところとか、狭いところが好きなところとか、あとは、なんだ、くせっ毛とか、猫背なところとか。と、猫探しをしたって仕方がない。


 向かい合ってゲーム画面を覗き込んでも、私のほうからは逆に見えるので、なにが起きているのかさっぱりわからない。春巻きをくるくる巻いて遊ぶことにした。


 湊が猫なら、できるかぎり狭いほうが心地良いだろう。


 体に巻き付けながらぐるぐる。湊も巻き込まれて、ぐるぐる。目もぐるぐるしていた。


「うあ」


 私に巻き込まれた湊が先に根を上げた。しかし、すでに密着状態になっているので逃げることもできなければ、スポッとカーテンから抜けることもできない。


 私の顎下に、行き場を失った湊の腕と共にゲーム機が差し出される。あら、貸してくれるの?


 足だけが互いにバタバタと動く。カーテンから伸びた私たちの足は、外の人たちからはどう見えているだろう。フラミンゴのように優雅か、それとも、カルガモのように忙しないか。


「あ、え!?」


 甲高い声と共に、私と湊の体が回る。


 春巻きから解放された私たちの前に居たのは顔を真っ赤にした豊ちゃんだった。


「近江ちゃんと湊ちゃん。ごめん、なんか足だけ見えて、もがいてるように見えたから・・・・・・えっと、なにしてたの?」

「え、春巻き」

「なにそれ!? 隠語!?」


 指先をこちらに向けて興奮冷めやらぬ様子の豊ちゃん。そんなに春巻きが好きだったのか。


「ふ、二人で、カーテンに隠れて・・・・・・あわわ」

「え、なに」

「やっぱり付き合ってるんだ・・・・・・!」

「だからそう言ったじゃん」

「冗談でそっちのほうが面白いからって言ってたじゃん!」

「実際に面白いことになってるんだしいいじゃん!」

「逆ギレ!? わあ胸ぐら掴まないでよ! 湊ちゃん助けて! 近江ちゃんが怒ってる!」

「滅殺隊の運命。バイバイ豊ちゃん。楽しかったよ」

「あ、まだそれ続いてたんだ!」


 ピーとやかんが沸いたときのような声を出して助けを求める豊ちゃんには目もくれず、湊は手元のゲームに視線を戻していた。


 豊ちゃんには「ぺ」ではないらしい。


「豊ちゃんは私たちを、なに、そういう関係にさせたいの?」

「い、いやっ、そういうわけじゃ・・・・・・いつも何気なく一緒にいる二人が学校終わったらどっちかの家に行って学校じゃ絶対見せないような顔でなんかこう、とか思ってないよ!?」

「え、そんなこと思ってないの?」

「うん! 後輩が、そう、思ってないって言ってた!」


 支離滅裂な問いに釣られて、豊ちゃんまで支離が滅んで裂けてを繰り返していた。本人も自分が何を言ったかよくわかっていないようで、首を傾げていた。


「湊、こいつスパイだ。後輩を出汁にして私たちを探ろうとしてる」


 指を差すと、豊ちゃんの顔が真っ赤に染まり、瞳に涙が溜まっていく。いや、弱すぎないか。


「だっでぇ・・・・・・気になっでぇ・・・・・・」


 泣いちゃった。


 抱く必要すらない罪悪感に苛まれている豊ちゃんをどうしようかと悩んでいると、ふいに湊が私の腰に手を回して抱きついてきた。


「このくらい、幼なじみなら普通」


 本気のハグではない、微かに体重をかけるだけの幼心の混じった抱擁。


 それを見た豊ちゃんは、頬に両手を添えてピエーと再びやかんになっていた。


 春巻きになったあとは、茹でられてしまうのだろうか。見たことも聞いたこともない料理が頭に浮かぶ。


 湊も湊で、「これくらい普通」以降何も喋ってくれなくなってしまった。


 どうしたもんかと考えて。


「普通だよ」


 似せたつもりはないのだけど、湊に似た覇気のない声色で、そう答えておいた。

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