第3話 喉元過ぎれば七十五日

「近江はゲーム上手い」


 電気を消して布団に入った頃、ふいに湊がそんなことを口にした。


 狭苦しいこの布団の中では、吐息すら聞き逃すことができない。仰向けのまま、すぐ隣に感じる気配に答える。


「そんなことないよ」

「今日始めて今日オンラインで勝てるのは、間違いなく才能。誇っていい」

「湊が横で教えてくれたからじゃん? オペレーターってのも大事だよ」

「それも、あるかも」


 謙遜や遠慮というものは、年月の経過と共に錆び落ちてしまっていた。とはいえ、意図的にお世辞や、賛美を与えているわけではない。


 もちろん、小学校のいつだったかは互いに意識をして、どこかライバル視していたような時期もあった。プライドという凝り固まったものが形成されて、自分の方が上だと信じて疑わなくなると相手を褒めることすら難しくなる。


 その頃と比べると、どちらも角が取れたかのように丸くなった気がする。多分、どこかで私か湊が勇気を出したのだろう。言葉にしてしまえばなんだこんな簡単なことだったのかと安堵して、柔らかい笑顔に繋がっていく。


 私は今の距離感を気に入っている。変わらないものなんてないし、変わっていくものを止めることはできないだろうけど、向かう方角くらいは決められる。


 道を踏み外さなければ、ずっとこのまま平行線を辿れるはずだ。


「それに、好きなことをずっと好きでいられるほうが才能だって私は思うけどね」

「近江」


 ただ、今のは少しばかり、嫌味たらしくなってしまったかもしれない。湊は、こちらの話を遮るかのように私の名前を呼んだ。


「あっつい」


 湊がもぞもぞと動く。


「近江、体温高い」

「えー、湊が冷たいんでしょ」


 湊の足先が私のふくらはぎに触れる。やはり冷たい。風呂に入ったあとだというのに、近江の体には冷却機能でも付いているのだろうか。頭に血が上らなそうで便利だな。


「ちょっと、ペタペタくっつけてこないでよ」


 布団の中で、足が何度も混じり合う。最初はじゃれ合うように触れ合うが、だんだんと押しつけ合うようになり、あうあうと、合ってばかりの私たちは次第に声をあげはじめる。


 私が逃げるように背中を向けると、丸っこい感触が、そのままのしかかってくるのを感じる。湊の頭だ。


「豊ちゃんに今日聞かれた」

「何を? おすすめのゲーム?」

「そんなわけない。そもそも豊ちゃんができるゲームなんて、トランプくらい」

「前にファミコンのカセットだけ持って『どうやって遊ぶの?』とか言ってたくらいだしね」

「あれは驚いた。豊ちゃん、いいギャグセンス」

「あれはギャグじゃないと思うけどね」


 機械や電子記号に囲まれてきた私にとって、機械音痴の人間がどうやってできあがるのか不思議で仕方がない。一度豊ちゃんの一日をドキュメンタリー感覚で追いかけてみたいところではあるが、豊ちゃんは何故か家を教えてはくれないので普段見ている豊ちゃんの姿しかカメラに収めることはできないだろう。


「そうじゃなくて、付き合ってるのかって」

「ああ、その話か。滅殺隊の仲間がどうとかって答えたんだって?」

「どうして知ってるの?」

「豊ちゃんが言ってた」

「そう」

「うん」


 もしかしたら、話の一番盛り上がる箇所を先に言ってしまったかもしれない。話の腰を折られた湊は、どういう表情をしているのだろうか。ここからじゃ見えない。


「付き合ってないよね?」

「は」


 なんだその質問。


「言われたから。え?」

「え、なに」


 妙な空気が部屋の中を流れていく。


「ウワサでしょ? 後輩がどうのこうのって」

「うん。一年生が、私たちを見て」

「押し車してるとこ見られたんだって。そのくらい友達ならやるけどなぁ」

「あれは押し車じゃない。インメルマンターン」

「あ、そうだった」


 階段の踊り場で私が湊の足を持ち上げて奇怪な行動を取っているのを見て、どうして付き合ってるのかと思うのか。一年生が見ていたのは、行動だけではないのか。行動が全てだろう。目に見えたものが全てじゃないのか。すでに一年生を終えてしまった私には、わからない。 


「いつか成功させる」


 そもそもインメルマンターンってなんだ。私の疑問は、おそらく無数に積まれたゲームの中にあるのだろう。


 よくゲームばかりやってて飽きないな。私はもう、湊のように一日中ゲームをする体力も気力もない。いや、それはきっと建前で、何かを燃やす、燃料のようなものが私の体の中に存在していないことが原因だ。


「でも」


 寝る体勢に入るため力を抜いていた腕が、後から微かに引っ張られているのに気付く。湊の冷たい手の甲が、私の手の甲に当たっていた。


「また変なウワサされるかもしれないし、距離置いた方がいいのかな」

「別にいいでしょ。ウワサはウワサで」

「・・・・・・そっか」


 私がそう答えると、私の袖に触れていた指が離れていく。離れていたのか? 最初から。


 思い過ごしかもしれない。ただ、なんとなく、今の一言を発することに、湊は何かしらのエネルギーを使っていたように感じたのだ。


「これくらいでもいい?」


 湊が突然、私の腰に手を回して抱きついてくる。


 それに対して、私はすぐに返事を用意することはできなかった。だって、ここでいいよなんて言ったら湊に抱きつかれることを良しとしているみたいじゃないか。それはなんか、恥ずかしい。


 何かの拍子に抱きついてしまうくらいが丁度いいのであって、抱きつくために抱きつくのは、少し違う気がした。


 返事をしない私に、湊はそれ以上くっついてこようとはしなかった。離れることもしなかったけど。


 そのまま無言になり、湊の呼吸が深いものになると、お腹が膨らんでへこんでを繰り返す。その浮き沈みを肌で感じながら、私も目を瞑る。


 そろそろ寝ようとか、合図のようなものは私たちの間には存在しない。いつも突然に、だけど示し合わせたかのように、同じ場所を目指してきた。


 そこまでベタベタと仲の良いつもりでもなかったし、面と向かって喧嘩をするような仲でもない。私と湊は、人間同士の関係というよりは、ただ同じ場所にいるだけの、群れの仲間のような関係だと思っていた。


 それに私は満足しているし、なにより、救われていた。


「明日も泊まっていい?」


 自分は返答をしなかったくせに、問いを投げるのはズルいだろうか。


 湊は私と同じように、返事をしなかった。もう眠ってしまったのかもしれない。


 ただ、微かに触れる湊の指先が、ほんのりと熱くなっている気がした。

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