第2話 幼なじみのあだ転び

 人生は短いとよく言うけれど、今日という一日が終わるのはとてつもなく遅く感じる。ましてや退屈を凝縮したような授業の時間はそれこそ人生一つ分あるのではないかと思うほどに長いし、全校集会へ向かう際の整列の時間なんて暇すぎて足が白骨化したかのように錯覚してしまう。


 そのくせ、大晦日になると一年って早いなと感じるのだから、時間の流れというものは案外適当にできていて、そのことについて真剣に考えること自体バカバカしいことなのかもしれない。


 自動販売機の明かりを頼りにたどり着いた茂みの中で、そんなことを考えながらまだ着かないのかと悪態を吐く。


 草木の背丈が低くなり視界が明瞭になった付近で、近くの塀に足をかけた。自分の体を支える筋肉など私の腕には備わっていないのでお腹をクッションにして、その塀を跳び越えた。ぐえ、と声が出る。どこかでカエルが鳴いた気がした。


 窓から射し込む障子越しの照明に、私は吸い込まれるように近づいていく。今なら街灯にひしめく羽虫たちの気持ちもわかる。暗闇の中に見つけた目的地は、安堵と同時に妙な高揚感をも呼ぶのだ。


 窓をノックするも返事はない。スマホを確認すると『風呂』と二文字。そのあと『入ってて』と四文字。私は『ん』と一文字の返事。合計で七文字、二人合わせても十文字にすら達していない。なんて低燃費なんだろう。


 窓の下に丁度よく設置された室外機に足をかけてよじ登る。室外機がなければ、きっと私はここに来ることもなかっただろう。ありがとう室外機。人と人とを繋ぐ世界唯一の室外機に感謝しながら、足に力を入れるとベコっとへこんだ音がした。ごめん。


 窓を開け、障子を開ける。中には誰もおらず、机に置かれたモニターとゲーム機だけが息をしていた。


 連れてきた土を外に落として、無人の部屋に着地する。この部屋の住人が入浴中だというのに、物音をたてたらいきなり目の前の襖が開いて気まずいご対面をしかねない。あくまでゆっくりと、忍ぶように窓を閉める。


 私が来るとわかっていたからか、机の斜めに椅子が設置してあった。紺色のクッションが着いた、安物の椅子だ。この椅子に座っていると決まってお尻が痛くなるので、枕元に置いてある不細工な鳥のぬいぐるみを敷いてから座る。


 私の家とは違う、昔ながらの埃混じりのにおいがする。おばあちゃんちの押し入れとか、おばあちゃんちの服とか、とにもかくにも、おばあちゃんのようなにおいがして落ち着く。


 それに加えて、枕元に置かれた消臭剤の現代的なにおいが心の奥に眠るやんちゃな部分を掘り起こしてくるものだから、不思議と気分が上ずってしまう。


 こういう、これから人の家に泊まるという感覚が私は好きだった。こればかりは何年経っても色あせることはない。


 本棚に増えた本、入り口付近に転がった上着と靴下。机の端っこに置かれたほぼ新品状態のヘアミストに、相変わらずのコンビニで買った化粧水。不変と変化の入り交じった景色をぼけーっと眺めていると、目の前の襖が開いた。


 タオルを頭巾のように被った湊が、とぼとぼと中へ入ってくる。風呂あがりの湊は、というか、ここの家のシャンプーはやたらいい香りがする。


「ムカデがいたの、こんな大きい」

「え、デカ」


 第一声、いつも悩むのは私だけなのかもしれない。湊はいつも、気にしてすらいないようでスラッと第一声を担当する。私も私で、この尻込みの正体を掴めてはいない。


「足の裏思いっきり噛まれて血が止まらないの、ヤバいと思わない?」

「え、毒とかないの?」

「あるって聞いたこともあるけど、種類にもよるのかも」

「風呂場にいるんだ」

「や、ついさっき。そこの廊下で」

「帰還時にズブズブ喰われてんじゃん。いるよね、そういう惜しいキャラ」

「パニックものを見た後って、自分だったらどう行動するか考えたりするけど、結局運に左右されるって気付くとどうでもよくなる」

「わかる」


 風呂上がりの湊は顔色がいい。そう考えると、普段はかなり血行が悪い部類なのかもしれない。湊はタオルを頭に乗せたままゲーミングチェアに座ると、息つく間もなくコントローラーを手に取った。


 湊と私が出会ったのは・・・・・・いつ頃だったかは思い出せない。記憶を最奥まで探っても、気付けばこの部屋で一緒にゲームをしている。つまり湊は、私と出会った頃からゲーム三昧の日々を送っているということだ。せっかく髪を洗ったのに、ヘッドホンを付けているせいで妙な凹凸ができてしまっている。その隙間には、湊がこれまで過ごした、ボタンを連打するだけの日々が刻まれているのだろう。


「そういえば今日なんで帰ったのさ」

「だって、マラソンだった。どうして私がえっこらえっこら走らなきゃいけないの。それに今日はアプデの日なんだから三時までに帰るのが規則だし」

「どこの規則だそれ」

「私の規則」

「なんかかっこいい」


 湊は表情を変えず、瞳にゲーム画面を映している。めまぐるしく行われる駆け引きに動じることなく敵を無造作に倒してく様はまさに歴戦の猛者だった。


「そういえば、豊ちゃんから湊に伝言があるよ」

「豊ちゃん。なに?」


 あまり他人の名前を出してもいい顔をしない湊だが、豊ちゃんにだけは多少心を許しているらしい。不器用な猫のような関係の保ち方だが、それはそれで友好的なのだろう。近すぎて見るべきものが見えなくなるよりは、よっぽど健全なのかもしれない。


「サボりはよくないよ、だって」

「サボりじゃない、これは忌引」

「え、そうだったの? 誰の」

「アプデで死んだキャラの」

「縁起でもないね」

「豊ちゃんは真面目すぎる」

「しょうがないよ、風紀委員なんだから」

「風紀委員なんてハレンチなことだけ注意していればいい。そもそも風紀ってなに? 日常生活で風紀なんて単語口にしたことある?」

「え、ほら、今とか」

「今は日常じゃない、非日常」


 対戦相手を翻弄して、気持ちよくなったのか、湊の無愛想な口元にも若干の笑みが浮かぶ。


「やる?」

「やるー」


 湊から受け取ったコントローラーには、じっとりとした温もりが残っている。


「どうやるの?」


 別に私はゲームをしにきたわけでもないので予習もしていない。教えを乞うと、湊は椅子をこちらに近づけて前屈みになった。


「ここでメイン、ここでサブ。同時押しで特殊。二回押しでダッシュ。十字キーで移動」

「さっぱりわからんけど、わからんほうがおもろい」

「CPU戦で練習するといい。まずは基本操作から覚えないとオンラインは無理」


 棒立ちになった敵に向かって、教わったメインやらサブやらを浴びせていく。ビームだったりミサイルだったり、あまり手には馴染まない。


 湊は、そんな風に四苦八苦する私の手元を猫みたいにジッと見つめていた。


「近江って三角ボタンを押すとき絶対中指使うよね。やりづらくない?」

「私はこっちのほうがやりやすいかな。ほら、昔モンスターハントやってたときに湊が教えてくれたじゃん。ハント持ちとか言って」

「あれはあのゲームでの話。中指じゃやりづらいでしょ。貸して」


 コントローラーを貸してと言っているのかと思ったが、湊が欲しかったのは私の指らしい。赤ちゃんと握手するように、指を握られる。


「こんな感じで指を使うとやりやすい」

「えー、なんかやりづらい」

「最初だけ。将来的に見ればこっちのほうが絶対にいい」


 私がこのゲームをいつまでやっているかなんてわからないのに、湊は真剣な顔で私の指をいじくりまわしている。学校の授業や部活には関心がない湊だが、それは単純に、持ってる熱量をすべてゲームに注いでいるだけの話なのだ。


「そう、そんな感じ」


 私が上手いことキャラを動かせると、湊は自分のことのように喜ぶ。そういうとき、湊は目を細めて笑う。それを見るたび、やっぱり猫みたいだなと思ってしまう。


「じゃあ、今度は敵を動かす」

「うわっ」

「後ろをよく見て、そう。軸を合わせちゃだめ。音もよく聞いて」


 湊が着けていたヘッドホンが、私の耳にあてがわれる。


「声が聞こえたら盾を出すの」

「え、なんて?」


 湊の声が、ヘッドホンに遮られて聞こえない。


 すると湊は、私の後ろに回って反対の耳元で囁く。


「盾を出すの」

「出ないよ」

「もっと早く動かす。こう」


 後ろから伸びてきた湊の指が、私の指を掴み、上下に素早く動かす。


 ちょうど敵の攻撃が飛んできて盾が成立すると、湊は火が付いたかのように色々なテクニックを教えてくれた。まるで二人羽織のようにコントローラーを操作する私と湊。


 夜遅くなるまでゲームをしながら、私は今日学校で言われた、豊ちゃんの言葉を思い出していた。

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