雨宿りのフリをした
野水はた
第1章
第1話 えせ者は空笑わず
「前から気になってたんだけどさ、
「え、そう?」
「うん。幼なじみで仲が良いっていうのはわかるんだけどさ、なんていうか・・・・・・え、もしかしてそういう関係? って勘ぐっちゃうんだよね」
「誰が」
「下の人が」
「下の人か」
上級生の教室から落ちてくる紙飛行機は、私たちの目の前を通り抜けて中庭の池に着水した。清涼とは真逆の真緑に浸食されていく純白を目にすると、どんなものでも染まらずにはいられないのだと午後に控えている体育の授業を思い出して辟易する。
のらりくらりと満腹になったお腹を押さえながら走っても、どうせ周りの情熱に浮かされて私も浸食されていくのだろう。池の中にはたくさんの虫と、見たこともない微生物が私を歓迎している。吸えば毒触れても毒、そういう場所に放たれるのが、きっと私たち高校生の宿命なのだ。
「近江先輩と湊先輩って付き合ってるんでしょうか! って部活の後輩に聞かれたの。なんて答えればいいかわかんなかったから、明日にでも本人に聞いてみるよって言っちゃった。で、そこのところどうなの?」
好奇心は何を殺すのだったか忘れてしまったが、惰性や妥協に散々惨殺されてきた私だ。前向きで眩しい、今日の青空のような問いくらいには向き合うべきだろう。
「付き合ってる」
「え、本当に?」
「うん」
「そう言っておいたほうが面白そうだからとかじゃなくて?」
「え、エスパー?」
心の中を透視された。私も仕返しに
「二人の仲がいいことはもう充分わかったから、後輩には上手いこと説明しておくよ。まぁ、高校生になったばかりの子が、階段で押し車なんてしてる先輩を目の当たりにしたら興味持っちゃうよね」
「そんな人いたの?」
「あんたらだよ、あんたら!」
「そんなたらたらしないで」
食後用にと持ってきた駄菓子を差し出すと、二枚ほど持ってかれる。その動きは俊敏だ。
「湊にも聞いてみたら?」
「さっき聞いてきた。『私たちは滅殺隊の一員。仲良しこよしするつもりはない』って」
「それを聞いてしまったなら仕方がない。お前にはここで消えてもらう」
「いや三十センチ物差しを突きつけないでよ危ないよ! ていうか普通高校生が三十センチ物差しなんて常備する!?」
「歩幅が測れるじゃん」
「あー、うん。わかった。取材ご苦労様。お礼はジュースで」
「いや、カツサンドがいい」
「遠慮ないね!? しかも購買のカツサンドってすぐ売り切れるで有名じゃん! 手数料は!?」
「そちら負担で」
「滅殺隊ってもしかして詐欺グループ組織の名前だった!?」
「大丈夫だよ。豊ちゃんの歩幅なら、うん。多分授業が終わる五十秒前に教室出れば購買の店開けに間に合うはずだから」
「物差しが役に立ってる!」
豊ちゃんの足が、紙コップで作った電話に付いている糸のように張り詰めて面白い。ガビーン、とかホエー、とか、そんな不明瞭な声ばかりが伝わってくるが、本来糸電話なんてそんなものだ。今の時代、電波で繋がるより強固なものはない。
「あ、もう昼休み終わるじゃん。午後の体育、なんでよりによってマラソンなんだろう。走っても疲れるだけだし、どうせならリセットマラソンやろうよ。そうすれば疲れない」
「なんの授業なのそれ・・・・・・」
「何事も最初が肝心なんだよという道徳と社会の厳しさを学ぶ授業」
「思ったよりも深い!」
「ていうか社会の授業って全然社会のこと教えてくれないよね。私は過去の出来事より必ず自分の身に降りかかるであろう未来のことを教えてほしいよ」
「だから、リセットマラソン?」
「いいじゃん。SSR二枚抜きした人から自習で」
「あたし・・・・・・スマホ持ってない・・・・・・」
「えー」
自分に関係のない物事とは、どうしてこんなにも簡単に頭からすっぽり抜けてしまうのだろう。ガラケーを握りしめてぷるぷると涙目になる豊ちゃんの頭を撫でながら、私も一緒に涙を流した。
「悲しいことは一緒に乗り越えていこう」
「近江ちゃんスマホじゃん」
「なんかこう、ガラケーでもできることあるでしょ。分かち合っていこうぜ。ほら、動画サイトくらいプラウザで見れるじゃん?」
「動画開くとバッテリーが熱くなって電源落ちる」
「ええ、バッテリー替えたら?」
「もう生産してないって・・・・・・」
「新しい機種にするとか」
「この携帯会社、今年限りでガラケーの取り扱いやめるって・・・・・・」
「よし、スマホにしよう」
「ぜーったいむり! あんな光学的近代的未来的なデバイスむりむりむり!」
「じゃあ私もマラソンなんてむりむりむり! あんな原始的動物的な運動むりむりむり!」
カタツムリってすごいな。籠もるべき殻があるのに、しっかりと地面を這ってでも前に進むのだから。どれだけ湿っぽく、泥臭く、葉っぱをもそもそと食べてもむりむりなんて駄々をこねないカタツムリはすごく格好いい生き方をしている。
結局、むりむり言っても時計が秒針を刻み、残酷に等しく、その時は訪れる。
しぶしぶ体操着に着替える私と、しぶしぶ私のスマホをぺたぺた触る豊ちゃん。
「きゃー!」
そんな豊ちゃんが、お化け屋敷から聞こえてくる悲鳴のような声をあげてスマホを放り投げる。
「急に震えたけど!」
「ああ、爆発するんだ。バイバイ」
「スマホなんて触らなきゃよかった!」
人生最後の後悔を叫びつつ、シクシクと涙を流す豊ちゃんの横で、スマホのロックを外す。どうやら、メッセージ受信のバイブレーションで、豊ちゃんは飛び上がったらしい。
えっと、なになに。
『帰る』
と、簡潔に、飾り気なく、もう一人のカタツムリが根を上げていたようだった。
「豊ちゃん、湊帰ったってさ」
「ええー! もしかして湊ちゃんは、スマホが爆発するのを予知して・・・・・・!?」
今日も相変わらずの快晴だ。また一つ、紙飛行機でも落ちてこないかと空を見上げる。
今頃鼻歌でも歌いながら帰路に就いている湊も、同じこの空を見上げているのだろうか。
いいな、くそー。
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