サボテン
碧海 山葵
花ととげ
「ねえ、好きなんだけど。」
突然言われた僕、
ひっ、とまるでお化けが急に出てきたかのような短い悲鳴をあげて、声がした隣の方を見上げる。
そこには、かき分けた前髪にまばたきをする度に見え隠れする奥二重、小ぶりな整った鼻。そしてさっき僕に衝撃をもたらした口をきゅっと結んだ女性が立っていた。
彼女の名前は、
この会社で働く者ならば、知らない人はいない。そんな奏海が、じっと僕の発する言葉を待っている。
3つくらい先輩だっただろうか。
話したことは、これまでに2回くらい。
「取引先からもらったお菓子、冷蔵庫に
入れてます。」
「このコピー機、壊れやすいんですよね。」
そう、これだけ。どちらも、なんてことはない内容だ。
だから、彼女がさっき発した言葉は俄かに信じ難い。そんなきっかけがあっただなんて、少なくとも僕の記憶には、ない。
そもそも全く釣り合っていない。
そう、本当に、全く。
僕は、別にいわゆるイケメンとやらでもなく、身長は高いが、ひょろひょろしていて猫背で覇気がないとよく上司に背中を叩かれていたようなやつだ。
最近は、パワハラがどうのとかに厳しくなりめっきりそのようなことは減ったが、あれのせいでいくらか僕の体は軋んでしまったんじゃないだろうか、と思う。
しかも、業績も普通。中の中。だから出世具合も普通。
特に目立つことは、1つもない。
一方で、彼女は業績優秀で見目麗しい。人当たりも良く、上司ともうまくやっている彼女は、いわゆる出世株とかエースとかいうやつで、未来を有望視されている。
そこまで考えて、ふと疑問が湧いた。
そもそも、彼女は今日なぜ、出社しているのだろう。
近年流行した流行病とデジタル化の推進によって、会社はここ最近リモートワークを推奨している。それに準じて、出社しなければできない紙の仕事を担う社員を除く、多くの社員は週に1回程度のミーティングがある日以外は出社しない。出社しなければできないことは、特にないからだ。
そして今日は、その日ではない。
僕は家にいると怠けてしまうという理由から、毎日出社を必要とする紙の仕事担当を引き受けた。だから今日も会社にいる。
でも、彼女は違う。
思えば、彼女の姿をこんなに近くで見るのも久しぶりだ。
ミーティングは部署ごとで、席はフリーアドレスかつミーティングのために部署ごとに集まるから、部署が違う僕たちのワークスペースは被らない。
長くなってしまったが、それぐらい僕は今起きている出来事に対して、身に覚えがない。
でもなにか答えないと。
隣の彼女の表情がどうしようもなく、悲しげになってきてしまっている。
そりゃそうだ、告白をして、無言で見つめ合っている状態が続いてしまっているんだから。
「あ、ありがとうございます。」
眉を下げ、唇の端をさらにきつく結び涙を堪えるような表情をする彼女に言えたのはたったこの一言だけだった。
窓枠にこっそり置いているサボテンをみやる。
リモートワークが主流になる前、このサボテンは僕のデスクに置いていた。しかし、フリーアドレスになり、移動せざるおえなくなった。家に持ち帰ることも考えたが、やっぱり会社にいて欲しかった。ずっと一緒に働いてきた、僕の大切な友人なのだ。
会社で嫌なことがあった時、僕はそっとサボテンに話しかける。そしてしばらくの間見つめる。すると、不思議なことにもやもやが消え去ったような気がするのだ。
出社率が下がったために、まだ誰にも私物のサボテンを置いていることを咎められていない。ずっとこのままであってくれといつも願っている。
そんな僕のサボテンは、まめな世話の甲斐があり、今朝来たとき、花を咲かせていた。
もしもサボテンが話せたのなら、彼女とのことについてどういう反応をするのだろう。
-☆☆☆
「ねえ、好きなんだけど。」
そんなかわいげのない言い方をする
つもりは全くなかった。
なんかもっとかわいく、きゅるるん
みたいな感じで言うつもりだったのに。
だから同僚にも陰口を叩かれてしまうのだろうか。
「佐伯さん、また成績いいみたいだな。」
「なんだよお前、ずっと綺麗だ綺麗だって言ってたのに、負けっぱなしでいいのかよ。」
「いやー、最初はそう言ってたけど、やっぱりなあ、とげがすごいんだよな、綺麗なのに。もう、俺のタイプではないわー。」
「まあ確かに最近はもはやバラのとげじゃなくてサボテンレベルだよな、サボテン。」
なぜ、あのタイミングで自動販売機に行ってしまったのだろう。
聞こえてますけど?
そう言う気力はわいてこなかった。
さすがに、ショックだった。
上司とか、異性からどう言われているのか、意識しなくても耳に入ってくる。
今年で28歳。
一生懸命仕事をやってきた。
結果は裏切らずについてきてくれている。
ただ、周りの子達はみんな結婚して、辞めていった。
男女平等とか、女性幹部を増やそうとか、そういう大義名分を掲げることだけは得意なのに、中身は何も変わっていかない。
「
大丈夫だよ。」
「選びすぎないで決めちゃいな。相手。」
いつからか、いい人いないかな、と相談すると返ってくる同性の言葉にとげを感じるようになった。
見た目が良く、仕事を頑張っている私が結婚について悩むことは、そんなに癇に障ることなのだろうか。
ただただ、私は疲れてしまっていた。
周りの干渉に。
身も心もとがらして、自分を守ろうとした。
いつか行った動物園にいた、ヤマアラシをふと思い出した。誰にもみられることなく、たった1匹、檻の中でとげをとがらせていた。
人々は、その近くにあるふれあい広場にいた
うさぎを代わる代わる、可愛がっていた。
私は自分がうさぎではないことを、わかっていた。わかっていたはずのに。
時代の流れに乗って、出社や決まった場所での勤務などの規則がなくなった。働く場所はどこでも好きな場所を選べるようになった。
私は通勤の手間が省けること、そして誰のことも気にせずに1人で黙々と働くことの気楽さから、会社の推奨する通り、リモートワークを主にしていた。
ある日、週に1回程度ある、ミーティングのために出社した。
せっかく行くなら早めに行こうと思い、始業よりも1時間早く出社した。
リモートワークが広まってから、体が追いつかなくなった人が多いのだろうか、朝早くに出勤する人は格段に減った。
その日も例外ではなく、私が着いた時、社内にはまだほとんど人はいなかった。
それでも、あの人はいた。
こう言ってしまうとなんだが、とにかく、目立たない。容姿も業務も、存在も。
私は同じフロアにいる人物を全員把握するようにしているから知っているが、もしかしたら社内には彼の存在を知らない人もいるかもしれない。
それでも、一目惚れだった。
私よりも早く出社して、笑顔で窓枠のサボテンに水をやっていた。慈しむように、愛おしいという感情が朝のオフィスにこぼれ出てしまうほどに。
昔どこかで読んだが、サボテンに水をやるときは、鉢から溢れんばかりにやるのが正しいそうだ。そのためなのか、サボテンを釜飯の容器のようなものに入れて、水をあげているのがとても微笑ましかった。
ああ、あんな風に愛されたい、とそう思った。
-☆☆☆
「あ、ありがとうじゃないのよ。
こう、これからどうしましょう、とか
そういう話をしようとは思わないの? 」
彼女は早口になって、感謝以外の対応を求めた。もちろん僕も冷静ではないことは確かなのだが、彼女の勢いに負け、あかべこのようにこくこくと、うなずくことしかできない。
それでもなお、彼女は話し続ける。
「あ、あなたがよければ、今日一緒にランチから始めるのはどう? 」
「お、お弁当なんです。すみません。」
料理が趣味な僕は、毎日手作り弁当を会社に持ってきている。
もちろん、誰も知らないと思うが……。
それを盾にやんわりと断ろうとしたが、彼女は引き下がらない。
「じゃあ、何か買ってくるから一緒に
食べましょう。」
「は、はい……。」
彼女の真剣な表情に、嫌とはいえなかった。
いや、違う。彼女のことが嫌なわけではないのだ。ただ、僕なんかが彼女とご飯を食べて彼女を楽しませることができるはずなんてないから、嫌なのだ。
人に幻滅されるのは、辛い。
-★★★
定年間近になると、もう働くスタイルは変え辛い。
だから、毎日出社が必要な紙業務の担当を引き受けた。同年代はみんなそうするもんだと思っていたのに、案外リモートワークなるものに馴染んでいるようで、少し寂しい。
それでもいつからか、若者が同じような業務を担い、出社をしていることに気がついた。どうやら2つ隣の課の青年のようだった。
毎朝彼は、サボテンに話しかけていた。
「もっと業績をあげなきゃな」とか「あいつも結婚しちゃったよ」とか、そんなことをサボテンに語りかけている姿が、印象に残った。
だから今日、彼に訪れた転機は自分のことのように嬉しかった。頑張れ、優君。
お弁当会、楽しそうじゃないか。
-☆☆☆
「あなたのお弁当、とってもおいしそう……。」
「え、そうですか?」
「そうよ! この卵焼きも、唐揚げもほうれん草のおひたしも、全部あなたがつくったの?!?!」
「そ、そうですね。料理は結構得意な方だと
思います。」
「す、すごいわ。私、家事はてんでだめなの。
洗濯物とかもため放題。」
「意外ですね……。」
なんだろう、この感じ。
……楽しい。
彼女も同じように思ってくれているのだろう。朝とは打って変わって、満面の笑みで目の前に座っている。
「あ、ちくわきゅうり!! 」
ちくわの穴に細切りのきゅうりを通したもの。
「これ、よくお母さんがお弁当に入れてくれてたなあ。」
彼女は懐かしそうに呟く。
「好きなんですか? これ。」
「うん。運動会のときとか、よく入ってたの。」
「じゃあ、おひとつどうぞ。」
「え、いいの!? ありがとう!!」
彼女の表情が一瞬で砕け、幼くなったようにみえた。そして、彼女は本当に嬉しそうに、おいしそうにそれを食べた。
「明日も出社ですか? 」
「うん、そうしようかなって思ってるよ。」
よかった。なんの他意もなく、僕はそう思った。
「じゃあ、明日は2つつくってきますよ。」
そして柄にもなく、こんな提案をした。
「え! 嬉しい!!」
無邪気に喜ぶ彼女を見て、朝の自分を恥じた。何に怯えていたのだ、と。彼女は、人に対して幻滅したり、貶したりするような人ではなかった。僕といて、こんなにも笑顔になってくれる、素敵な人だった。
いつの間にか昼休憩は残り5分になっていた。
僕たちは残っていた昼食を一気に食べ、それぞれのパソコンの前に戻る。
急がなくては、とバタバタしているときに、ふと温かい視線を感じたような気がしたが、誰からのものかは、分からなかった。
———★★★
窓際の席に座り、楽しそうに食事をする2人を見ていた。
残りの会社員人生なんて、定年までの耐久レースだと思っていたのに思わぬ楽しみができた。
2人とも、ありがとう。
明日が楽しみだなんて、いつぶりだろうか。
そっと、窓際のサボテンを見やった。
サボテン 碧海 山葵 @aomi_wasabi25
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