第6話 罰

 ……マズいマズいマズい。動揺していると悟られないようにしなくては。とりあえず、白々しく首でも傾げておくか。


「ない。絶対と、そう言い切れる。極めて、自信が、ある」


 俺は斜め向かいの席に視線を向け、自信ありげに装う。つっこまれそうな隙は作らない。ないったらない。俺は、マナなんて少女は知らないのだ。それくらいの気持ちで。


 疑うような息づかいだったが、やがて、「そう」と納得してくれたらしい。セーフ。


 でも一応、「俺は、マナのことなんて知らないぞ、まったくな」とか、付け加えたほうがいいだろうか。念押しに。


「じゃあ、自己紹介するわ。あたしはマナ・クレイア」


 マナがそう言ったのは、俺が口を開きかけたときだった。


 そうだった、俺はまだ、マナの名前も知らないんだった。セーフ、セエエフ。


 って、いかんいかん。名乗られたら名乗り返すのが礼儀だって、誰かさんの影響でマナはうるさく言うんだった。



 ――名前を言うだけが、怖い。


「……どうも。ハイガル・ウーベルデン、だ」


 マナは、俺のことを、覚えていない。


 どこかで会ったことがあるような気がする、なんて言われて、勝手に可能性のない期待をしてしまった。


 そう分かっていても、俺のことを覚えていないのだと、改めて知らされるのは、怖い。


 身勝手な期待と、分かりきった不安から、逃げ出してしまいたい。


「まあいいわ。それで? なんで引っ張ってきたのよ、ギルデ?」


 何がまあいいわ、なのだろう。俺は気になるんだが。聞く隙はなさそうだな。まあ、切り替えるしかない。


「マナさんが、二人の部屋に行こうとするから悪いんだ……」


「なんでよ。別にいいでしょ? 同じクラスなんだから」


 あの二人とマナは、同じクラスだそうだ。ちなみに、俺も同じクラスっぽいのだが、今のところ、学校に行く気はまったく、ない。


「時と場合を考えてくれ!」


「圧がすごい……。でも、部屋にいるときじゃないと、用が済ませないでしょ?」


「なぜ部屋にいると知っている……物音一つしないのに……!」


「は? 聞こえるじゃない。今日は随分、楽しそうに──」


「わー! 聞きたくない! その先は、聞きたくないんだ!」


 すべて聞こえていて、この落ち着きようとなると――どうやらマナは、そういうことには疎いらしい。


 まなはまだ幼いから、別に知らなくても――いや、今年十六になったんだったな。まあ、かわいいからよしとしよう。


 きっと、背も伸びたことだろう。一七八センチの俺よりも、きっと大きくて、ひょっとしたら、二メートルくらいあるかもしれない。昔から、大きかったしな。


 しっかし、もしかして、まだコウノトリが子どもを運んでくると思ってるのか? いやまさか……普通にありそうだな。


 ――ゴンゴンゴンゴンゴン!


 とそのとき、机に何かを叩きつける音がして、わずかに驚く。おそらく、ギルデが額を机に打ちつけているのだろう。


 とりあえず、肩でも抑えて止めてやるか。マナが怖がってるしな。


「どうした。怪しい薬でも、飲んだか?」


「僕は正気だ!」


「え。お前が、正気だったことなんて、あったのか?」


「お前は僕をなんだと……」


 ギルデはいつも正気じゃないだろ。何言ってるんだ。頭大丈夫か。


「でも、あたしにしか聞こえないなら、まあいいわ。うるさいって注意しようと思っただけだから」


 いい子。


「よくない!」


「圧が……。じゃあ、注意して──」


「しなくていい! むしろ、僕はそれを止めたんだ!」


「どっちなのよ……まあいいわ」


 ほんとにな。まあ、気持ちはすごくよく分かるんだが。仕方ない、慰めてやろう。


 俺はギルデの肩にぽんと手をのせる。


「ギルデ、大変だな。まあ、頑張れ」


「ハイガル、お前……やっぱり、全部分かってるだろ!」


「さあ、何のことだか」


「一人だけ純情気取りやがって……!」


 知らん知らん。子どもはコウノトリが運んでくるんだろ、知らんけど。


「俺は目が見えないからな。その辺のことは、よく分からない」


「魔力探知できるだろ」


「できる。だが、テレビや漫画、雑誌は見られない。ああ、お前が羨ましいなあ」


「デミッ!」


 今さらだが、俺は目が見えない。生まれつきだ。とはいえ、見ての通り、この歳になってしまえば、生活に困ることはほとんどないし、俺自身、昔はともかく、今は特段、気にしてもいない。


 って、いかんいかん。マナが置き去りになってる。――さすがに、初対面で、マナ、って呼ぶのはないか。


「クレイア」


「ええ、何?」


 おっと、やってしまったな。さっきは、マナの言葉に集中しすぎて気づかなかったが、斜め向かいじゃなくて、俺の正面に座ってたのか。これじゃあ、変な方向に向かって話しかけてる変なやつじゃないか。


 とりあえず、今さらだが顔の向きを合わせて。身長はよく分からないが、このくらいか?


「えっと、よろしく?」


「……なんで疑問系? それに、今?」


 知人に対して、なんの混じりけもなく、よろしく、と言えるほど、俺は器用じゃない。あと、タイミングを掴むのも下手だ。まあ、色々無駄なことばっかり考えてるからな。


「悪いね、マナさん。こいつは、昔から何を考えているのか、よく分からないやつなんだ」


 それも、よく言われることだ。


「奇遇だな。俺もよく分からん」


「自分のことくらい分かるようになれ!」


 なるほど、努力してみよう。えーと、まずは見た目から。


 俺はルジジイと同じで、元の姿は鳥だ。血の繋がりはないが。そして今は、人の姿になっており、でもやっぱり鳥だ。


「んー……あー……無理だった……」


「過去形!?」


 とりあえず、俺は鳥だ。異論は認めない。


「──ええ、本当にね」


 マナが小さな声で呟く。いや、マナ、って呼んでると、咄嗟のときにうっかり呼んでしまいそうだな。


 とりあえず、これからは、心の中でも、クレイア、と呼ぶことにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る