第5話 眼前の小鈴

 その日の夜更け。ガチャリと、扉が開く。俺の部屋を勝手に開けられるのは、ギルデだけだ。なにせ、ルジジイにも渡していない合鍵を、唯一渡してあるからな。


 ルジジイは管理人であり、マスターキーを持っているが、俺が鍵を改造したため使えない。


「なんだ、どうし――」


「いいから来てくれ!!」


 ものすごい剣幕でやってきたギルデは、腕を掴むと、靴を履く暇もくれずに、俺をロビーへと連れ出した。


 仕方なく、魔法で靴を呼び寄せ、廊下で履く。ルジがきれい好きで、廊下はいつもピカピカだが、そういう問題じゃない。


「なんだどうした?」


「天井がわずかに、揺れているんだ」


「はあ?」


「それも、あかりのベッドがある辺りを支点とした、かなり激しい上下運動だと考えられる」


「それがなんだ」


「察しろよ! 男だろ!?」


 ギルデは、人類最強のほうのまな様が大好きだ。というよりは、アイドル的な崇拝の仕方、といえば伝わるだろうか。なんでも、まな様親衛隊の創設者で、物販などの運営もしているとか。


 そんなギルデの、上の部屋にマナ様、隣にあかり、マナと続く。というか、上の階のベッドの位置なんて、普通、知らないだろ。


 その上、天井がわずかに揺れていることにさえ気づく、この気持ち悪さ。かなり奇怪な天然物だ。


「音もしないのによく分かったな?」


「やっぱり君、察してるじゃないか!!」


 夜。ベッド。上下運動。遮音。と来れば、純真無垢な穢れを知らない真っ白な俺にでも、何をしているかの想像はつく。


「まあ……旦那と一つ屋根の下なんだから、仕方ないだろ」


「仕方ないわけあるかあ!! それに、あかりとまな様は、まだ結婚していない!!」


「分かったから、落ち着け」


 ロビーにある長方形のテーブルに備えつけられた椅子は、二つずつ向かい合わせに四つ置かれており、俺たちは隣同士に座る。このほうが、何かあったときに殴りやすいからな。


「もう嫌だ。何もかもすべて。僕は。……なんて表現したらいいんだ、やり場のない、この気持ち……」


 長年片想いしてた高嶺の花の幼馴染が自分以外の男と上の階でセッ――


「ファアアアアア!!」


 おっと、危ない。純粋で真っ白な俺の思考に、不純なものが浮かぶところだった。言い直そう。


 好きな女が、他の男とねこねこしてることを知ったときの気持ちなんて、


「まあ、純粋な俺にはよくわからないが、分かりたくもないな」


「ファー!!」


 ともあれ。普段は冷静なギルデが、こんなにも発狂するんだから、相当、荒れ狂ってるんだろうな。少なくとも、想像して楽しめるようなタイプではなかったらしい。残念。


「あ、待て」


「なんだ、どうした」


 ピクリと動いた耳に従い、階上の音に意識を集中させる。扉の開閉音に、古い床材の軋む音、そして、軽い足音。


「――マナが、二人のいる部屋に向かってるんじゃないか?」


「な、ななな、な、なあぁぁああ!? 今すぐ止めに行ってくる!!」


 古い木造の床を、ダダダッと、踏み壊しそうな勢いで駆け、ギルデは、マナを連れて帰ってきた。止めなければ、止められたかもしれないのに。本当にお人好しだな。


 さて。できれば逃げたいところだが、あの状態のギルデとマナを二人きりにしてもいいものか――いや、なしだ。


「それで、急に下まで引っ張ってきて、どういうつもり?」


 チリンと、白の小鈴が鳴るような、かわいらしい声。その声が、すぐ間近に聞こえる。


「聞かないでくれ……」


 今ここに、避け続けてきたマナが、いる。こんなにも近くに。できれば、この場から去りたい。


 普段なら、ギルデに助けを求めているところだが……そんな余裕はなさそうだな。さて、どうしたものか。


「なんで、俺まで、呼ばれたんだ?」


 とりあえず、なぜ俺を呼んだのか、聞いてみるか。まあ、だいたい、分かっている。


「ハイガルには、有事の際に僕を殴る役目を与えよう」


 つまり、こういうことだろ?


「えいっ」


 軽く肩を小突いてやる。


「あっ、痛い。普通に痛い。わりと痛い」


 絶対、そんなに痛くないだろ。


 ふと、マナの視線と、話し出す気配を感じ、その声を聞き逃さないようにする。


「あんた、どこかで会ったことある?」


 ゾクッと、全身が震えた。

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