第7話 ようこそ、マイルームへ
クレイアに、俺という存在を認識されてしまった。それでも、今までどおり、関わりは避けたい。
というのに、今の俺たちは、たまに会話して、買い物して、散歩してと、そういう関係だったりする。
ギルデルジたち以外との会話は、久しぶりで、新鮮だ。はっはっはっ、ギルデとルジ、ひとくくりにしてやったぞ。まあそれはいいが。
どういうわけか、クレイアは、俺が出かけようとすると、「一人じゃ危ないでしょ」とかなんとか言って、ついてくるのだ。そんなに俺のことが好きか、そうかそうか。
まあ、実際はむしろ逆で、話しかけてくれないかなーと期待しまくり、ついていっていいかしら、なんて言われれば、即決でイエス、と言ってしまいそうなくらいに嬉しいのだが。
とはいえ、それが、恋愛感情なのかと問われると、肯定しづらい。
クレイアとは、幼なじみのようなもので、好きか嫌いかでいえば、もちろん大好きだが、色々と込み入った事情もあるし。今のところ、クレイアにドキドキしたことはない。
「しっかし、まっっっずいな……」
食事中の、それもクレイアに関する考えごとが中断されるくらいのまずさだ。
味覚にそれほどこだわりはない、この俺が言うのだから、間違いない。この世の食材は急激に味を落としつつある。
なんでも、世界中の魔法植物の味を決める蜜――通称、ボイスネクターの味が、変わったのだとか。
蜜は、我らがノア学園のある、ルスファ王国女王の歌声から作られるそうだ。だが、その蜜は、蜂歌祭と呼ばれる祭りで、三百年分を一度に作るらしく、先三百年はこの味なのだとか。
こだわりはないが、三百年このままとなると、さすがの俺でもきつい。
「それにしても、まさか、王女が地位を捨てるとはな」
ルスファ王国、元王位継承権第一位、マナ・クラン・ゴールスファ――現在は、称号と家名を失った、ただの「まな」。
人類最強の彼女は、歌姫と呼ばれるほどには歌唱力があり、当初、祭りに際して女王に即位し、歌う予定だったらしい。彼女が歌っていれば、こんなことにはならなかっただろう。
しかし、どういうわけか、王家から勘当されたらしく、蜂歌祭でも歌わなかったとか。
――まあ、だいたいの事情は把握している。別に、盗み聞きしたわけでもなく、単にすれ違う度に、聞こえてくるというだけの話。
「……妊娠か。まだ若いのに大変だな」
妊娠しているお腹からは、ポコポコと、生命の音がする。普通は聞こえないらしいが。性別は女。これも、音で分かる。
とどのつまり、地位や名声や権力を捨て、たった一人の、愛する男を選んだのだろう。
とはいえ、俺には王女――いや、元王女との関わりはほとんどないので、知らないフリをしていた。……いたのだが。
「ん、なんだ……?」
もう、すっかり夜だ。そのはずだ。音で知らせてくれる時計も持ち合わせてはいるが、基本的には体感時間でこと足りる。
にもかかわらず、クレイアが宿舎を出ていく気配がする。
――一人にしておくと、何か起こりそうで、不安だ。
「ちょっと待て」
扉を開け、見えない視線の先に話しかける。
「あら、ハイガル。どうしたの?」
「こんな時間から、どこに行くんだ?」
「ああ、まあ、ちょっと。――部屋で話してもいいかしら」
「ああ、いいぞ」
別に、クレイアが気にしないなら、俺も気にしない。
「ハイガルの部屋でいい?」
「ああ」
変なものは置いていなかったよな、と、一度、頭の中に部屋の様子を思い浮かべる。よし、怒られる心配はなさそうだ。
そうして、彼女を初めて、自室に招く。
「適当に座っててくれ。何か飲みたいものはあるか?」
「いいえ。そこまでお世話になるわけにはいかないわ、あたしが、話したい、って言ったんだから。本来なら、あたしの部屋でもてなすべきなんでしょうけど……この部屋のほうが、しっかり防音されてそうだったから」
簡単に壊れそうな木の扉の並ぶ中に、一つだけ厳重な扉があれば、さすがに、この部屋の防音には気づくだろうな。
「遠慮するな」
「いいえ、いらないわ」
「ほら、注いでやったぞ」
強情に見える彼女だが、強引に押し切れば案外、すんなり受け入れてくれる。多分、ものすごく、不服そうな顔をしているだろうが。
「何、このしゅわしゅわ?」
しゅわしゅわ。
「ポンポンサイダーだ。飲んだことないのか?」
「聞いたことくらいは。そう言われると、テレビや店頭で見かける気がするわね」
な、なんだって。偉大なるポンポンサイダーを知らないやつが、まだこの世にいたなんて。これは由々しき事態だ。布教しないと。
「まあ、飲んでみろ。絶対に美味いから」
一拍おいて、ごくっ、と、彼女の喉が鳴る。
「おいしい――」
「だろ?」
俺も一口、喉に流し込む。喉を流れる炭酸の刺激。甘い香りと、調和のとれた酸味。くぅーっ、たまらない!
っとと、クレイアの話を聞くんだったな。
「それで、話って?」
「あのね、実は……まなが、妊娠してるみたいなの」
胸のうちに生まれた驚きに、自分の目がわずかに見開かれたのをしっかりと感じた。
妊娠していることは知っていたが、まさか、それに気がついているとは。
「あら、あんまり驚かないのね?」
「いや、驚いた」
「ふーん。最初から知ってたけど、あたしが気づいてるとは思わなかった、みたいな顔してたけど?」
どういう洞察力だ。俺が、故意に長く伸ばしている前髪の隙間からは、特に目元の表情なんて、ほとんど、読み取れないだろうに。
「図星みたいね」
「むしろ、なぜそこまで分かる?」
「だってあんた、驚いてすぐに顔を上げたじゃない。普通、高校生で妊娠、なんて聞いたら、すぐに理解なんてできなくて、反応するまでにもう少し、間が開くはずよ」
そう言われると、そうかもしれない。例えるなら、「……え!?」と、「え……!?」との違いだ。俺の場合は前者であるべきだったが、後者であることを見抜かれてしまったというわけか。
「よく、見てるんだな」
「まあ、あたしにはこれしかないから」
ごく、と、クレイアはサイダーを飲む。自分に向けられる賛辞を、いや、自身の存在そのものを拒絶しているみたいで、チクリと、小さな泡に喉を刺されるような心地がした。
「あたし、これからまなの実家に行こうと思ってるの。……もしよかったら、ついてくる?」
冗談めかした態度で、ついてくることを本気で期待しているわけではないのだと、すぐに気がついた。
だが、そういう態度を取られると、彼女の意表を突いてやりたくなってしまうのが俺だ。
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