第8話 見えない笑顔
外に出るのは、嫌いじゃない。ただ、面倒なだけだ。
日の光は、苦手だ。俺は、人間ではなく魔族で、中でも、日の光を苦手とする種族だから。
惰眠をむさぼり、腹が減ったら食べ、暇な時間にはトレーニングをするだけの生活。そこに水やりが加わってから、決まった時間に起きるようにはなったが。
「急に言って、悪かったわね」
すぐに返事を返さない俺に、少しだけ、落胆したような声だった。冗談の中に、わずかな期待を隠していたのだろう。本当に、彼女は昔から、寂しがり屋だ。
「他に誘う相手はいないのか?」
「ハイガル以外にいないわよ。いるわけないでしょ」
本当に、俺しかいないのか、考えてみる。妊娠している元王女本人は言わずもがな、旦那のほうも、できるだけ傍にいさせてやりたいと思うのが自然だ。
ギルデは国やまな様との関わりがズブズブだし、ルジは論外。
となると、この六部屋しかない小さな宿舎には、他に、ユタ様と母親のマリーゼ様が住んでいらっしゃるくらいだ。――いや、マリーゼ様は、先日、病のために亡くなったんだったな。
彼女は、魔王の正妻で、人間で、人格者だった。
ルスファは大きな国で、人間の王が治めており、人間と魔族が共存していることになっているが、それは表向き。
今でも、魔王と呼ばれる存在がいるくらいには、魔族は魔族領なるものを主張しており、そこに、魔王の国、と名づけている。
ユタ様は、次期魔王であり、王都に気軽に出入りできるような身分ではない。
その上、友だちも少ないとなれば、本当に消去法だが、俺しかいなさそうだ。
「ああ、いいぞ」
「お断り、ってことよね?」
「いや、その逆だ」
「え、じゃあ……来てくれる、ってこと?」
「ああ」
――今、俺の目が見えたなら。きっと、彼女はものすごく、かわいい笑みを浮かべているだろう。
「ありがと、ハイガル」
今だけ、見えるようになればいいのに。魔力探知に彼女の姿は映らない。魔法で視界を得ることはできない。
表情どころか、シルエットすらも見えない。こんなに近くにいても、身長も顔立ちも、色も、知ることができない。
それでも、悲観より、彼女の感謝が鼓膜を揺らす、くすぐったさのほうが、圧倒的に勝っていて。
だから俺は、気づいたら、目をそらしていた。こういうときは、目が見えないことを言い訳にできるからいい。
「これまでも同じように行ってたのか?」
「ええ。二日に一回は行くようにしてたわ」
元王女の実家――つまり王城は、ここから新幹線で、片道三時間ほどのところにある。サボタージュ中の俺とは違い、クレイアには学校がある。
「往復六時間だし、学校が終わってすぐに行けば、まあ、夜中の三時くらいには用を済ませて帰ってこられるから。それに、明日は休みだし」
「いつも何時に起きてるんだ」
「五時だけど」
五時。――当然、朝の五時だろう。俺には想像もつかない話だが。
「勉強はどうする。よほどの天才でもない限り、生半可な勉強でついていけるほど、甘い学校じゃないだろ」
「新幹線の中で寝たり、勉強したりするから、大丈夫よ」
「費用は?」
「とりあえず、貯蓄を切り崩して、夏休みになったらバイトもしようかと思ってるけど」
「……お前、死ぬぞ」
「無茶だってことは分かってるわ。――それでも、まなの助けになりたい」
どうして、そこまで。あんな、お前を利用しようとしているやつのことなんか。
「まなとあかりは、あたしの、初めての友だちだから。あたしにできることなら、なんでもしたい」
「利用するためだと知っていても、か」
クレイアが、息をのむ気配がした。
「あいにく、俺の聴力は優れていてな。ちょっと、盗み聞きさせてもらった」
「そ」
嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。感情を隠しきった彼女の返答からは、何も感じとれない。続く言葉が何であるか、想像もつかず、身構えることすら許されない。
「まあ、知ってて利用されようとしてるんだから、別にあの子たちだけが悪いわけじゃないわ」
はあ?
「はあ?」
クレイアがまばたきをする回数が増えた。まばたきの音で分かる。そして――吹き出した。
「あははっ」
「何がおかしい?」
「あんたでも、そんな風に怒るのね。――ありがと、あたしのために怒ってくれて」
どれだけお人好しなんだか。こういうところは、変わらない。本当に、変わらない。
「はああぁぁぁ」
「長いため息ね」
「誰かさんのせいでな」
「あはは、ありがと。じゃあ、早速、今から行きましょう。二人なら、楽しい旅になりそうね」
――これは、ついていくしかないな。
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