オニヤンマのお客さま 🎐

上月くるを

オニヤンマのお客さま 🎐




 家の建て替えの件で、近所の旧家の旧世代と新世代に諍いが発生したという。

 問題の核心は一に門にあるそうだと聞いて、橙子は内心で、へええと思った。


 若い世代は、古い門は倒壊の恐れがあるし、日常の車の出入りにも気を遣うからと取り壊しを主張し、古い世代は貌のない家など先祖に申し訳が立たないと言い……。


 昔からの農家と新興の造成地が同居する地域なので、こういう話はときどきある。

 行事の執り行い方ひとつにしても、旧式にこだわる派と合理性を重んじる派とで。


 門の話にもどると、近世の終わりごろ、名字を許された民衆の競争心は家の格式に向けられ(あるいは恣意的に煽られ)、門と玄関のある家が理想像にされたと聞く。


 開放的な明るさを好み、垣根すら築こうとしない橙子には考えられないが、国境、県境、市町村境から私有地の境まで、囲いこみが好きな人種には拘りがあるらしい。




      🏡




 門といえば思い浮かぶのは、事務所の二階から眺めた隣家の豪壮な冠木門である。

 ちょっと耳を憚る商売の億万長者宅で、屋敷の随所で防犯カメラが稼働している。


 門の両側に長い板塀が広大な敷地をぐるりと囲んでおり、いかにもお金のかかっていそうな風雅な築山や錦鯉の泳ぐ池がある和風庭園に、一匹の柴犬が放されていた。


 そのころ橙子は小さなデザイン事務所に築40年の二階建て鉄骨入りビルを借りていたが、その二階の窓には隣家のいらかが手を伸ばせば届きそうな近さに迫っていた。


 柴犬はコロコロした人懐こい仔犬で、橙子が窓を開けるのを待っていたように尻尾を振って愛らしい丸顔を向けてくれ、手を振ると喜んでグルグル庭を駆けめぐった。


 


      🐕




 スタッフの出勤前の早朝出勤が倣いになっていた橙子が、ある夏の朝、ポットの湯を沸かして自分の机にもどってみると、窓のさんに見慣れぬお客さまが止まっていた。



 ――オニヤンマ!!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ



 きれいなコバルトブルーの複眼で、羽を広げるとゆうに10センチはありそうだ。

 橙子が近づいても少しも怖がらず、そのまま1時間以上も、じいっとそこにいた。


 ある一瞬、眼科の隣家の庭を、黄緑色のカブリモノをした香川照之昆虫博士が特大の捕虫網を掲げ横ぎったような気がしたが、昨夜のテレビ番組の残像だろう。(笑)


 隣家の池が故郷と思われるオニヤンマは、その夏、橙子の親しい友だちになった。

 ほかにも、甍の上の雀、壁の蔦を這いあがって来る青蛙など、小動物の友がいた。


 のち、時代の波に抗しきれず事務所を畳んだとき、第一次産業の中間管理職が自慢の兄に「おまえは人生に負けたんだ」と言われたことがいまも深い傷になっている。


 だが、だれも知らない小動物たちとの世界を思い出せば、たかが事業のために人格まで全否定されたような悔しさを、甘酸っぱくて温かいものがそっと潤してくれる。




      🥝




 オニヤンマの友の来訪があって数年後、橙子の事務所付近は震度6強の直下型地震に見舞われ、わずか2キロの震源区域を示すように、ブルーシートの屋根が並んだ。


 隣家の豪邸はさすがに壊れなかったが、例の冠木門はすとんと呆気なく倒壊した。

 家屋とは別の建て方の門が全壊した家は、ほかにもけっこうあったと聞いている。


 新旧世代で家族間の意見の対立があった家は、結局、門を撤去しなかったらしく、車で通りかかってみると、近代的な家に似つかわしくない門が困惑顔で立っていた。



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