4-1
彼らを乗せた車両は、道なき道を進んでいた。
どこまで行くのか、なんて当然の疑問すらまともな答えは返ってこない。わかりやすい態度で結構なことだ。わざわざ敵対する相手に情報を与えるわけがない。自分が同じ立場でもまちがいなくそうするだろう。
「いい趣味してるよな」
まったく正気の沙汰ではないそれに、天谷もつい怪訝そうな視線を投げる。
正確に言えば、その声のしたほうに顔を向けただけだ。さすがに目隠しをされた状態ではそうするほかない。さらに腰と腕をロープでくくられていては本当に罪人もいいところだ。こうなると連行という言葉がより信憑性を増してくる。そもそも軍人相手にすることではない。人権侵害だと訴えればそれなりに認められそうなものだが、しかしこれが公のものとなるかは怪しいところだ。
ひとつ、ため息をこぼす。
車両は、どうも郊外へ向けて走っているらしい。
目隠しをされていてもそれくらいはわかる。平らなコンクリートはいつしか凹凸の目立つオフロードに変わり、減速や一時停止することもなくなった。どこまで連れて行かれるかは見当もつかないが、ろくなことにならないのは想像にかたくない。
車に揺られはじめて小一時間ほど経っただろうか。視覚情報が奪われると正確な情報を得ることも難しい。やはりあの男は厄介だと、つくづくほぞを噛む。
せめてあの兄弟だけでも解放してくれればよかったものを、それだけは許されなかった。神崎に条件をのませるための保険だろう。本当にいやなところばかりついてくる。
その彼らも、軍服の大人たちに囲まれてすっかりちいさくなっていた。神崎たちのように拘束こそされていないものの、怯えきってしまっているにちがいない。兄のほうは弟の手前、まだ耐えることもできたかもしれないが、一般市民には酷な話だ。責められても弁明ひとつできない。
そんな状況だというのに、神崎にはまだ相手をおちょくる余裕が十二分にあるらしい。減らず口をたたくだけならまだいいが、他人の神経を逆なでするのにこうも長けていると何をしでかすかわかったものではない。もっと緊張感を味わってくれていいのだが、しかしこれを御するのはなかなか困難だ。
とはいえ、このまま放置しておくのもさすがにばつが悪い。
「……透」
「だってそうだろ。仮にも負傷者相手にここまでするか? フツー」
こちらに話題を振らないでほしい。と、喉まで出かけた本音をそのまま飲み下す。
そんな神崎は、ロープでの拘束に加えて両脇も憲兵たちにホールドされていた。おそらく身動きすることすら厳しいような状況だろうに、こうものらくらとした態度を崩さないあたりはいっそ感心すべきなのかもしれない。そんな現実逃避じみた考えを、らしくないとばかり瞬きひとつのうちに器用にかき消す。
そういうことを口にするのであればそれなりの行動で示してほしいものだが、神崎が素直に聞きわけるはずもない。
わかりきっていたことだ。本人もそれを理解しているだけになお
まったく気休めにもならないと、ひとり肩をすくめる。
「ま、たしかにおまえらんとこの下っ端みたいにはなりたくねえもんな」
鼻で笑い飛ばすような物言いももう何度目だろうか。頼むからこれ以上煽るなという雰囲気を醸し出しても、神崎はどこ吹く風だ。どうせ見えないだろうとたかを括っているにちがいない。そういうところが問題なのだが、と、ひとりため息をこぼすばかりの自分が心底恨めしい。
そんな態度になるのもわからなくはないが、この状況でまともなフォローができるとは思わないでほしい。
祈るようなそれが叶ったのか、ようやく車が止まる。本当に地獄のようなドライブだった。どこからともなく重いため息が聞こえてもおかしくない空気に、さすがの天谷も同情してしまう。
それから乱暴に目隠しが外される。急に明るくなった視界にめまいのようなものをおぼえながらも、やっと開けたそれに安堵の息をもらす。
どうやらここからは自分で歩けということらしい。それにはさすがの天谷も難色を示さずにはいられなかった。無理を承知で杖の返却を願い出たものの、あえなく却下される。それくらいきいてやってもいいだろと神崎までもが口を挟むが、彼らの良心を揺さぶるまでには至らなかったらしい。
とはいえ、ここで駄々をこねたところでどうにもならない。
はやくしろと急かされるまま、仕方なしに自力歩行を試みる。案の定数歩歩いただけでずきずきと右脚に痛みが走ったが、それで納得されるわけもない。心配そうな視線を送るヒビキに、大丈夫、とうわべばかりの笑顔を向ける。
そうして引きずり出された先に待ち受けていたのは、巨大な軍事工場だった。
ぐるりと見渡す限りの荒野の向こう、すっかり見慣れた無愛想な壁がつまらなそうにこちらを見下ろしている。ご丁寧に関係者以外立入禁止と表示されたバリケードに囲まれたその施設は、門番よろしく武装した憲兵が出入り口を固めている。知らなかったとはいえ、市民どころかこんなものまで守らされていたなんてほんとうに反吐が出る。まったくどこまで腐りきっているのかと辟易していると、神崎も似たようなものを浮かべていた。かるく視線を合わせ、苦笑のようなものを滲ませたのはいうまでもない。
入念な身体検査までされたことで、神崎の不満がさらに高まっていく。問題なしと判断されてそのまま建物内に追い立てられるが、それにさえ食ってかかろうとする態度の神崎はやはり前後左右を無骨な憲兵たちで固められるという徹底ぶりだ。いい加減学べばいいだろうに、それでもおとなしくするどころか、茶々を入れにいく根性はいっそ見事だとしかいいようがない。ここまでくると頭痛を通り越して囃すほうにまわるべきか、なんて、ろくでもない考えすらよぎってしまう。
ともあれ、丸腰の人間相手に堂々すべきことではないのは事実だ。
歯噛みしながら、促されるまま歩を進める。文字通り引きずるような重い足取りでは正直ついていくのもやっとなのだが、待ってくれるようなやさしさがあるわけがない。
さらに冷たい廊下は、まるで侵入を拒むかのようにやたらと細く入り組んでいた。ただでさえがたいのいい男たちが連れだって歩くのだから、息が詰まるどころの話ではない。それだけでげんなりしたくなるのをなんとか堪えている天谷とは正反対に、神崎は粗探しに忙しいらしい。やれ通路が狭いだの、無駄金だのと騒ぎたてるものだからそろそろ逆鱗に触れてもおかしくないのだが、彼らの忍耐力にはまったく感心せざるを得ない。
それよりも忍びないのは、やはりあの兄弟たちのほうだった。わけもわからずこんなところまで連れてこられた挙げ句、人質まがいの扱いを受けるなんて教育に悪すぎる。本当に訴えられでもしたらどうするのかと考えると、他人事ながら胃が痛くなってきそうだ。
その彼らは途中で別の道へそれていったが、解放された、というわけではないのだろう。こんなことに巻きこんで本当に申し訳ないと思う反面、ドクターに対する憤りばかりがふつふつと煮えたぎる。
殺風景な通路をそうして進み、やがて最奥だろう部屋の前で立ち止まる。
ノックを数度。しかし返事はなく、しびれを切らしたのか憲兵のひとりが勝手にドアを開ける。
そこでは、おびただしいほどの本と研究資料の山に埋もれるドクターが退屈そうに書類を眺めていた。
くたびれた白衣は相変わらずに、なにかぶつぶつと呪文のようなものを口にしている。ドクター、と声をかけられてようやくこちらに気がついたのか、はたと顔を上げた男は、連行されてきた神崎を見て喜色を浮かべてみせた。
「やァ、元気そうで何よりだよ。神崎君」
降りかかる嬉しげな声に、神崎は露骨に顔を歪めた。
しかし声の主は神崎のそれにまるで気がついていないのか、まるで舞台俳優のような口ぶりで、両腕を広げてみせる。
「ようこそ、僕のラボへ」
恭しく一礼するドクターに不快だといわんばかりの視線が投げつけられたが、彼はそれをまったく意に介さなかった。それどころか作り物めいた笑顔を一ミリも損なわない。まったくとんだ
「随分手厚い歓迎だな」
「気を悪くしないでほしいなぁ。僕は君のために動いているだけなんだよ?」
どの口がほざきやがる、と悪態つく神崎をなんとか嗜める。にんまり笑ってその光景を眺めていたドクターは、やけに軽やかな口調で言葉を紡いでいく。
「君のことも聞いているよ。天谷類君」
反射的に天谷の眉が跳ねる。まさか自分までおぼえられているとは思いもしなかったのだろう。しかしその動揺を一瞬でかき消した天谷は、とぼけたように薄い笑みを浮かべてみせた。
「同期なんだろう? 神崎君のほうが階級は上のようだが、なにか不都合はあったりするのかな」
「答える義理がありませんね」
見えない火花がばちばちと散る光景に、今度は神崎が肩をすくめた。
こういうときの天谷は常日頃から問題児のレッテルを貼られている神崎よりよほど面倒だ。なんせ数少ない同期連中も口をそろえて天谷だけは敵にまわしたくないと漏らすほどだ。出会ってたかが数週間でこの状態天谷を引っ張り出したというだけで、ドクターがどれほど手を焼く相手なのかは十分理解できる。
同時、状況さえ違えばいいペアになる可能性もあるにはあるのだが、それを口にしたら最後、さすがの天谷もしばらく口をきいてくれなくなるにちがいない。もしくは延々と続くねちねちとした小言を食らうかのどちらかだが、どちらにしてもこちらの被害が甚大すぎる。なにも気づかなかったことにしておきたいが、はたしてそれができるかはまったく不確かだ。
しかし迷いなく言い切った天谷になるほどとばかり頷いたドクターは、やはり芝居がかったような大袈裟な素振りで盛大に両手を打ち鳴らす。
「優秀なのはたしからしい。さすが神崎君の副官だ」
ここまで露骨に嬉しくもなんともないと顔に出している天谷もなかなか見られたものではない。驚くと同時、囃し立ててやりたくなる気持ちをなんとかこらえていると、それを悟った天谷に露骨に睨まれた。あちらをどうにかしてくださいとばかりの目で訴えられたが、それができていたらこんな状況になど陥っていない。
無茶言うな、と神崎でさえ口にしたくなるのをどうにか堪える。
「多少乱暴なことをしてしまったのは謝罪しよう。どうにも、君たちとは行き違いがあったようだ」
飛び出したとんでもない言い草には思わず天を仰ぎたくなった。そんなとってつけたようないいわけを信じられるわけがない。今すぐにでも掴みかかってやりたいところだが、これほど手厚い歓迎を受けていてはそれもできない。腰にまわされたロープの端は、案の定憲兵のひとりが握っている。下手に動いたところで取り押さえられてしまうのがおちだ。そんな現状に、クソったれとばかり盛大な舌打ちを返す。
「軍のほうからもせっつかれて困っているんだ。僕としては順当に段階を踏んでいきたいところなんだけど、どうもあちらははやく結果を見たいらしくてね」
いかにも仕方ないといった口ぶりではあるが、それだけだ。薄ら笑いを浮かべるドクターを素直に信用できるほどの純粋さなど戦場の彼方に捨ててきた。今頃とっくに朽ち果てているにちがいない。
「それで僕たちをここへ招待した、と?」
「そういうことになるかな。強引に進めてしまって申し訳ない」
まったくだ。そういわんばかりに眉をひそめるも、ドクターが気にするようなそぶりは一切ない。
上層部もこんな男に軽々しく権限を与えるなんてまったくどうかしている。能力は人並み外れているかもしれないが犯罪者だ。それもわからないほど耄碌しているのならばとっとと引退してくれればいいのに、引き際というものがまるでわかっていない。老いぼれてもなお権力の椅子にはしがみついていたいのだろうが、その支離滅裂な言動のせいで右往左往するこちらのことも考えてほしい。
これならばさっさと見切りをつけて反旗を翻していたほうがよほど賢明だ。
そう苦虫を噛みつぶした顔をする神崎に、ドクターはさらにたたみかける。
「君にはここで、僕の『腕』を着けてもらう」
「嫌だ、と言ったら?」
反抗も予想のうちだったのだろう。さして顔色を変えず、ドクターは淡々と言葉を続ける。
「前にも説明したと思うけど、これは軍の要請なんだ。君に拒否権というものは存在しない。無論、それは僕に関しても同じではあるんだけどね」
「では何故、軍はあなたにそれを求めたんですか?」
言葉を挟んできた天谷に、おっと、とドクターの瞳が揺らぐ。さすがにそこまで踏みこんでくるとは思ってもいなかったのか、演技なのかは定かではない。おそらく後者なのだろうが、それにしてもいかにもわざとらしい態度はやはり気に食わない。
「その様子だと、どうも僕の身の上はご存知のようだ。であれば、話がはやい」
毎度憲兵を引き連れながら登場しておいてよくもまあそんなことが言えたものだ。あれでなんの疑念も持たないわけがない。
――否、あえてそうしていたのだろうか。
ふと思い立ったそれに、つめたいものがひっそりと背中を駆け抜けていく。
あり得ない話ではない。となると初めからドクターの掌の上、という大変遺憾な展開になってしまうのだが、そう指摘したところでよりいっそうこの愉快犯を喜ばせるだけだ。
「僕は軍と取引していてね。僕の持つすべての技術を無償提供する代わり、ある程度の権利と自由を認められている」
もちろんこれもね、とわざわざ腕章を見せつけてくるのは地味に堪えた。こちらは命がけで戦っているというのに、ずいぶん安値で売りたたかれるようなものであったらしい。これを後生大事に掲げる人間も少なからずいるはずなのだが、この男はどうにもひとの嫌がることをすすんでやりたがるようだ。
もっとも、とそれらしく前置きしたドクターが口端をつり上げる。
「僕のような人間に手を貸してもらわないといけないほど切羽詰まっているなんて、現役軍人である君たちは聞きたくもなかったろうがね」
心にもないことをこれほど軽々しく口にできる強靱なメンタルだけはうっかり尊重してやりたくなる。しかしそんなものどの口がほざくとばかり鼻であしらう。
「ジジイ共がまともじゃねえのはとっくにわかってんだよ」
ほう、とドクターが愉快そうに目を細める。おもしろがるようなことは一切しているつもりはないのだが、なにもかもに噛みついては思うつぼだ。
まったく気に食わない。ふつふつと湧き上がる忌々しさに舌を鳴らす。途端、両脇から射殺さんばかりの冷淡な視線が向けられたが、そんなものにいちいち構っている暇はない。
たとえここで銃口を向けられようが、これだけは直接言ってやらねばこちらの気が済まなかった。
「……関係ねえ市民を巻きこんだことはいただけねえなぁ?」
嫌みったらしいそれに、ドクターは初めて聞いたとばかり目を丸くした。
「それはいただけないね。早急に解放するよう、僕からも伝えておくよ」
そんな十人が十人嘘だとわかるような言い分をどれほど信用できるというのか。
そもそもこんな男の言質をとったとして、まったく意味はないのだが、いい加減されるがままにしておくつもりもない。
心の底からあきれかえったように、盛大なため息をこぼす。
それと対照的に、ドクターはさも上機嫌とばかりかろやかな言葉を吐き出す。
「さて、せっかくせっかくここまでご足労いただいたんだ。せいぜい盛大にもてなすとしよう」
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