第2話 カタリナ=ベルバレイ
男は毎朝、バスで最寄りの駅へと向かい、電車に乗り換え出勤する。
その日も駅のロータリーでバスを降り、半ばルーティンと化している、電光掲示の時計塔へと目線を向けた。
表示時刻は6時66分。時計塔の背後には、昏い夜空に、巨大な赤い満月が浮かんでいた。
「…は?」
男は驚きで、目を
「気のせい…か?」
男は頭を掻きながら、駅の改札口へと歩き出す。そのまま疲れのせいだと言うことにして、いつもの通勤電車に乗り込んだ。
その後、特に変わった事もなく、残業も終え、地元の駅へと帰り着く。
習慣のように時計塔を見上げると、表示時刻は21時50分。最終バスには間に合いそうだ。
そのとき背中に悪寒が走り、男は目線を更に上へと移動させる。すると、時計塔の上にいる、一羽のフクロウと目が合った。
不気味に光る
男はゾッとして顔を背けると、逃げるように最終バスへと乗り込んだ。
~~~
あれから何故か家の周辺で、フクロウの姿を度々目にするようになった。
あの日の翌日は、帰りのバスを降りた、停留所のそばの街路樹の枝。
その次の日は、住宅街の交差点に立っている、古びた街灯の上。
さらに昨日は、自宅のある、二階建て木造アパートの屋根の上。
そして、今日……
男は見知らぬ、真っ暗な場所に立っていた。
そばに立つ古びた街灯が、時折パシパシと、何度も明滅を繰り返す。
そうして消えた電灯が再びパッと点いた時、男の目の前に、フクロウの顔をした、スーツ姿の男性が立っていた。
「う、うわああああ!」
あまりに突然の出来事に、男は叫びながら尻もちをつく。
フクロウ男は、不気味に光る虚ろな目で、ギョロリと男を見下ろした。そして、いつのまにか持っていた黒い大鎌を、ゆっくりと頭上に振り上げる。
そのときコツコツと、この何も無い空間に、第三者の足音が響き渡った。
フクロウ男は大鎌を振り上げた体勢のまま、目線だけをギョロリと動かす。視線の先には、全身スッポリとベージュ色の外套に身を包んだ、何者かの姿があった。
「何者ダ? 何故コノ場所ニイル?」
まるで重低音のような低い声が、ベージュの外套をビリビリと震わせる。
「プルフラス、このまま還る気はない?」
返ってきたのは、凛とした若い女性の声。しかしその言葉は、フクロウ男の想定とは別の物だった。
「馬鹿ヲ言ウナ。ナラバ訊クガ、オ前ハ出サレタ食事ヲ前ニシテ、ソノママ食ベズニ帰ルノカ?」
「そう…残念ね」
言いながら女性は、外套の前合わせから右手だけをすっと覗かせる。そのしなやかな白い指には、鈴蘭のしおりが挟まれていた。
「我が名はカタリナ=ベルバレイ、汝が眷属にして代行者。汝より賜りし突き刺す力、今ここに、その力を示せ!」
その瞬間、鈴蘭のしおりを中心に、強烈な閃光が解き放たれる。
「貴様、ふるかすノ…ッ⁉︎」
腕で両目をかばいながら、フクロウ男が焦った声を吐き出した。
やがて、
「巫山戯ルナ…ッ!」
その時フクロウ男の怒声とともに、無数の鳥の羽が女性のもとへと降り注いだ。
同時にキンキンと金属音を響かせて、サイリウムのような白銀の軌跡が、暗闇の中に描き出される。
直後に女性の背後を取ったフクロウ男が、黒い大鎌を横一線に薙ぎ払った。ベージュ色の外套が、一瞬で真っ二つに切り裂かれる。
「所詮ハ小娘。背後ガ、がら空キ…ガッ⁉︎」
突然、勝ち誇ったフクロウ男の左胸に、鋭い痛みが駆け抜けた。ゆっくりとそこに視線を落とすと、細い剣の剣先が、自分の胸から突き出していた。
「背後が、ガラ空きよ」
ヒラヒラと舞う切り裂かれた外套は、中身は既にもぬけの殻。
広い可動域の首でグルリと背後に振り向くと、その人物は剣を引き抜き距離を取った。
三つ編みに結われた白絹のような長い髪。眼鏡の奥に覗くのは、ルビーと見紛う紅い瞳。ふわりと軽やかなベージュ色のワンピースを身に纏い、右手には白銀に輝く
「心臓ヲ狙ッタヨウダガ、残念ダッタナ」
身体ごと振り返ったフクロウ男は、クチバシの端を醜く歪めてほくそ笑む。
「ソンナ物ヲ潰サレタ程度デ…ガフッ!」
同時にそのクチバシから、大量の青い血液が溢れ出した。
「どうやら、ご存知ないようね」
女性は白い髪を左手でかき上げると、冷ややかな視線を投げかける。
「鈴蘭には、強い毒があるの」
「ド、毒…⁉︎」
そのとき身体中に激痛が走り、フクロウ男は崩れるようにガクリと地面に両膝をついた。焼けるように熱い胸の傷を押さえながら、憎悪の瞳で視線を上げる。
直後に眉間に走った鋭い痛みは、そのまま後頭部までをも刺し貫いた。
フクロウ男が最期にその目に焼き付けたのは、
冷酷なまでに美しい、真紅に輝く二つの宝玉であった。
~~~
フクロウ男が紫炎と化して燃え尽きたとき、
ベージュ色のワンピース姿の女性の足元に、一匹のタキシード模様の白黒猫が、何処からともなく舞い降りた。
「今回も、ご苦労さま」
女性はその姿を認めると、しゃがみ込んで、猫の頭を優しく撫でる。
「アスタロト様に、よろしくお伝えください」
その言葉に猫は「ニャー」とひと声残し、闇の向こうへと走り去った。
それを最後まで見届けてから、女性はクルリと踵を返す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
そのとき男が慌てたように、白い髪の三つ編み女性を呼び止めた。
「君は一体……それに…っ」
言いながら男は、軽いめまいに襲われる。
『…渡した本は魔除けにもなりますから、大切に保管してください』
~~~
気が付くとそこは、自宅のベッドの上だった。
男は半ば呆然と、上半身を起き上がらせる。
「夢……だったのか…?」
しかしそのとき、枕元にある、一冊の赤い本に気が付いた。表紙には一本の槍が描かれており、中は白紙で何も記されていない。
脳裏を掠めるのは、曖昧な記憶の奥にある、女神と見紛う三つ編み眼鏡の女性の姿。
この一冊の本だけが、その存在を証明していた。
徐々に消えゆく淡い記憶に
了
語部さんは語らない〜鳴鈴堂古書店怪異奇譚〜 さこゼロ @sakozero
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます