バーニング

春雷

バーニング

 燃え盛るアパートを見ていた。僕の家だ。さっき火を放った。何もかもに嫌気がさして、すべてを燃やしてしまおうと、僕はアパートに火を放ったのだ。賃貸だから、大家さんには悪いことをしてしまったと思っているし、アパートの住人にも、申し訳ない気持ちはある。今、火中で死につつある住人達には、謝罪の言葉もない。でもこれは仕方のなかったことなのだ。僕が僕にけじめをつけるためには、僕の住んでいるアパートに、火を放つしかなかったのだ。誰が何と言おうとも、僕は僕の論理を疑いはしないだろう。

 赤く染まった僕のアパート。もう夜だというのに、ここだけ明るくて、変な心持がする。夜に稲光が頭上で光ったときに、一瞬だけ視界が白く染まり、真昼のようになったことがあったが、感覚としてはそれに近い。本来は暗いはずの景色が、こんなにも明るく光って見える。正常から少し外れた風景。僕はその光景を面白いと感じた。心の底から、明るい気持ちになれた。こんな気持ちは久しぶりだった。

 煙は空を目指している。空には満月がかかっている。雲一つない。空は今、月のためだけに存在している。

 誰かが通報したのだろう、消防車がやってきて、消火活動を開始した。僕は危ないからと言われ、渋々後ろへ下がった。もうこれ以上眺めても仕方がないので、僕はその場を離れた。


 あれから、二年が経った。時々あの燃えたアパートのことを思い出しては、素敵な気持ちになる。自分が世界を変えたのだ、という素晴らしい気分になれるのだ。誰もが続くと信じていた明日を、僕が奪った。まるで神にでもなった気分だ。予想外を僕は人々に与えたのだ。そのことを僕は誇らしいと感じる。世の中に刺激を与えたのだ。死を意識させることによって、人はいつか死ぬのだと、再認識させたのだ。突然アパートが火事になったことで、世界は無常だと、何が起こるかわからないのだと、人々に思い知らせた。僕は啓蒙家なのだ。人々に教え諭したのだ。それはとても素晴らしい行いだった。

 ある金曜日の夜。僕は最近買ったマンションの一室で、ウイスキーを飲みながら、野球中継を観ていた。つまらない試合だった。完全試合だったのだ。やれやれだよ、まったく。完全とか、完璧とか、そんなものはまったくつまらない。不完全で、完璧とはほど遠くて、どうにもならない無駄な行いこそが、人生を豊かにするのだ。そんなこともわからないままのうのうと生きているから、完璧なものを崇めたり、効率性を重視したりするのだ。無駄で、不条理で、無意味なものが、あらゆる可能性を持っている。そういったものが人生を素晴らしいものにしてくれる。僕はそう信じている。

 自暴自棄になってきた。何もかもを壊してしまいたい。この完璧な世界を壊したい。完全な生命を殺したい。僕はそう思い、もう一度どこかに火をつけようと思った。火はすべてを壊してくれる。煤けた世界を浄化するのだ。僕はまったく素晴らしい人間なのだ。

 僕は出かけた。ガソリンとマッチを調達するためだ。


 僕が戻ったとき、マンションは燃えていた。煙がもうもうと上がっていた。どういうことだ。僕が燃やそうとしていたはずなのに。僕が燃やすことで、この作品は完成し、世界はもう一度やり直すことができるというのに。どうして。

 マンションの入り口の方に、人が立っていた。よく目を凝らすと、その人物が誰かわかった。

 僕だった。

 僕が、笑顔で燃えるマンションを観ていた。

 直感で理解した。僕は未来に来てしまった。あるいは、彼が過去へ来た。

 僕は立ってその光景を眺めている彼のそばに行き、話しかけた。

「ねえ、君は」

 話しかけた時、痛みがあった。そして次に熱いと感じた。見ると、僕の腕が燃えていた。

 彼は僕にガソリンをかぶせた。

「ど、どうして」

 火が全身に広がる。

 僕はうめき声をあげた。熱い、痛い、苦しい。

 どうして。どうして、僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだ。

「あれから、二年が経った。時々あの燃えたアパートのことを思い出しては、素敵な気持ちになる。自分が世界を変えたのだ、という素晴らしい気分になれるのだ。誰もが続くと信じていた明日を、僕が奪った。まるで神にでもなった気分だ。予想外を僕は人々に与えたのだ。そのことを僕は誇らしいと感じる。世の中に刺激を与えたのだ。死を意識させることによって、人はいつか死ぬのだと、再認識させたのだ。突然アパートが火事になったことで、世界は無常だと、何が起こるかわからないのだと、人々に思い知らせた。僕は啓蒙家なのだ。人々に教え

諭したのだ。それはとても素晴らしい行いだった」

「何を言っている」

 僕は彼につかみかかろうとしたが、避けられた。火が僕の全身を包んでいく。

 熱い、熱い、熱い。苦しい。どうして。何で。僕は、僕は。

「燃え盛るマンションを見ていた。僕の家だ。さっき火を放った。何もかもに嫌気がさして、すべてを燃やしてしまおうと、僕はマンションに火を放ったのだ。買った物件だから、大家さんはいない。ただ、マンションの住人には、申し訳ないという気持ちはある。今、火中で死につつある住人達には、謝罪の言葉もない。でもこれは仕方のなかったことなのだ。僕が僕にけじめをつけるためには、僕の住んでいるマンションに、火を放つしかなかったのだ。誰が何と言おうとも、僕は僕の論理を疑いはしないだろう」

 ああ、死ぬ。死んでしまう。僕は死の瞬間、何故か幸福な気持ちになれた。でもそれは錯覚だと思う。彼が言った言葉が、死ぬその最後の瞬間まで、いつまでも残り続けた。

 僕にウイスキーの瓶を投げつけ、彼はやがて去っていった。



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バーニング 春雷 @syunrai3333

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