第十膳 前半 『とっておきのデザートをキミに』



 こんにちは。

 さようなら。

 私たちはどちらを選ぶのだろう?あれからずっと考えていた。


 うちは代々料理屋をしている。

祖母ばあさんが体を悪くして店に立てなくなったとき接客を引き継いでくれたのは、子育てが一段落した妻の久子だった。久子は元々店の常連で、ここの餃子を毎日食べたいから嫁に来たのよと、よく笑って客に話している。それを聞いた初めての客はたいていその餃子を注文してくれる。接客上手な妻なのだ。

私たちには息子が一人いる。春には高校を卒業するのだが、ずいぶんと進路に悩んでいたようだった。

それが先日、料理屋を継ぐと言った


 人づてに大急ぎで探した息子の修行先が昨日決まった。その記念にと息子が朝から家の台所で奮闘して作ってくれた料理は美味しかった。歯の悪い祖父じいさんや、好き嫌いのある母さんや、昼食をゆっくり取れないちちのことを思って作ってくれたのが見た目からも伝わってきた。

では、私たちが息子のためにできることは何だろう? 

『ただいま』と『おかえり』と言える場所、『いただきます』と『ごちそうさま』が響く場所として、いつまでもここに在り続けること。

私たちに出来るのは、それだけだ。

でもそれこそが大切なのだと今は思う。


 そんなことを考えながら私はプリンの仕上げに取りかかった。冷蔵庫から冷えた銀色のカップを出してきて、苦労して小さな白い皿にプリンを移す。流しに遅い昼食の食器を下げに来た祖父じいさんが、それを見て缶詰の真っ赤なチェリーを箸で摘まんでプリンの上にひょいひょいと乗せてくれた。店の調理場にいるような連係プレイだ。さて、これで準備は完了。

食事を締めくくるデザート。甘くて、優しくて、懐かしい味、そんなプリンだ。息子にはデザートのことは内緒にしている。

驚くだろうか?


 「今日はデザートを作ってあるんだ。一緒に食べよう!」

思った通り、息子はびっくりした顔で盆の上のプリンを見つめている。

「今日は特別な日。そういう日にはこれがぴったりだと思わないか?」

息子が「あはは。」と声を上げて笑う。

「マジか!特別な日に、一から手作りじゃなくてわざわざ『箱のプリン』かよ。」

「偏食で大変だったお前が、初めて美味しかったからまた作ってくれと言ったヤツだからな。」

「あの頃まだ元気だったバアサンが、それならと張り切って料理本片手に本格的なプリンを作ってやったのに、コイツは卵臭いって食わなんだからなぁ。」

祖父さんがぼやくのに、息子が上を向いて言った。

「あの世の祖母ばあちゃん、あの時は悪かったよ。」

「うちは商売で忙しいからなあ。母さんもこれなら楽でいいと喜んでいた。」

「ああ、だからか。母さん、やたらとこれを作ってくれていたよな。」

「ねぇ、全部食べないでよ!」

表の店で長電話していた妻が、暖簾越しに大声で叫んだ。

「早く来ねえとわからねぇぞ!」

息子が笑いながら叫び返した。

「久子さん、心配せんでも数はある。」

よっこらしょと椅子に座りながら、祖父さんが律儀に言った。

「陽子たち、次の連休に京都に遊びに行くんですって。」

店から久子が戻ってくる。陽子というのは妻のすぐ下の妹だ。

「陽子叔母サンが?」

「そう。臨乗寺に行きたいから、あんたに案内頼むってさ。

お礼にその寺の精進料理ご馳走するって。よろしくね!」

「え?オレ?

修行しに行くんだぜ。そんな暇あるわけねぇよ。」

「修行よ!修行!美味しい料理食べるんだから。

そのお寺の精進料理にはラーメンが出るんだって。珍しいよね。

お土産はね、カンキダンで頼むわ。」

「歌劇団?なんだよそれ。」

親子の賑やかな声が食卓に満ちる。

使い込まれてフチがつるりと丸くなったテーブルに、赤いチェリーを乗せたプリンが4皿並んだ。

 

 こんにちは。

 さようなら。


 まぁどちらにせよ一生の別れではないのだ。

どちらの言葉を選ぶのかはデザートのあとで十分。今は家族一緒にこの甘くて懐かしいプリンをたっぷり堪能しよう。 

召し上がれというように、甘いプリンの香りが漂った。


 「いただきます!」



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