第九膳 後半 『再出発のメニュー』

 大鳥さんが皆に振る舞った、いや正確には皆で作った料理は、Tomatensoepという阿蘭陀オランダの煮込み料理だった。

肉を赤茄子トマトで煮込んであるので、その赤い色にぎょっとしたものの思いのほか美味である。聞いたことのない野菜もたくさんあったが、うまく肉のにおい消しになっていて穏やかで懐かしい味だった。添えてある甘藍キャベツも煮ていた時に心配したほど酸っぱくはなく本来の甘みが引き立っていた。


 「まずだね、大蒜にんにくを潰して炒めるんだよ。そのあとその油で肉をこんがり焼く焼くわけさ。こうすることで肉の表面を固めて旨味を閉じ込めるという寸法らしい。我が国には肉食の文化はないからねぇ、先人の知恵まで海外から持ち帰らねばならんのだ。

ところで、向こうで食べたのは塊肉でなく肉団子だったのだがね。大鳥君、その本には塊肉とあったのかね。」

「あはは、榎本さん。肉には違いないですよ。

ところで、甘藍キャベツはどうでした?」

阿蘭陀オランダで食べたのは漬物だったが、もっと固くてなぁ。もともと胃腸の調子を整える薬草だったそうだよ。」

壁越しに料理談義をしている。時々英語や阿蘭陀語が飛び出して、その度の獄中全員に発音を教えているものだから、寺子屋かどこかにいるようだ。


 「荒井さん。今日のぜんざいは甘くて旨いね。」

「榎本さん、ありがとうございます。今日は惜しみなく砂糖を使えましたからね。」

「そういえば、蝦夷で荒井さんが作ったぜんざいは甘みが足りなかったなぁ。」

「大鳥さん、それは仕方ありませんよ。あの時は砂糖があまりなかったんですから。」

「ああ、あの時か。

凍った雪で塹壕ざんごうを作ろうなんて、一体誰が考えついたんだい?凍え死にそうだわ、雪は堅くて作業は進まないわで、一気に士気が下がってたじゃないか。」

「榎本さん、あなただったろう。」

「いや、大鳥君キミでなかったかね?」

「どっちにしても、死にそうに凍えた兵たちを温めようと荒井さんが小豆と砂糖ありったけ使ったんだよな。」

「あの後会計方が泣いてましたな。なあ、松平君。」

「ええ、なけなしの食糧でしたから。」


 楽しそうに交わされる壁越しの会話に亀田(箱館奉行所)での様子を思い出す。

あの時はもっとこう殺伐とした雰囲気だった。

薩長に一矢報いようと戦い続け、海を渡り蝦夷までたどり着いた。既に無い幕府に忠誠を尽くそうとする人々のための居場所、国を作りたいと言っていた。

その為の話合い、その為の戦い、その為の多くの仲間の死だった。

亀田に集められた各隊の代表たちの話合いは、時に激昂し腰の刀の鯉口を切るような場面もあったと聞く。和やかな会話もあったものの、いつもどこかしら緊張感があった。雪が解け始める頃にはヒリヒリと肌で感じるような緊迫感まで加わって、たまに交わされる和気あいあいとしたやり取りにひと息ついたものだった。

私はその熱気に囚われ、その時のまま、進む場所もなく後戻りも出来ない。

そんな思いにいつしか箸も止まってしまっていた。


 「イトウ君、食ってるかね?」

「伊藤君、口に合わねば無理をすることはないぞ。」


 皆さんはあの頃と変わってしまったのか?

いや変わっていないようにも見える。

戦いに負け、目標を失って、このあとどう生きていかれるおつもりなのだろう。

それを聞きたいと思った。

そんなことを思っていたせいか、思わず私の口から言葉が漏れた。

「大鳥さんたちは、ここから出られたらどうなさるのですか?」

それまで賑やかだった牢内に、シンとした暗さが戻って来た。隣で料理を一緒に食べていた見張りの者が、こちらを振り向く。


 しばらくして、ぼんやりとした牢内に椀を置くコトリという音がした。

「そうだなぁ。荒井さんは、どうされます?」

「うーん。今は英和対訳の辞書を作ってる途中だからねぇ。まずはこいつをやっつけたいな。大鳥君は、何がしたいかね?」

「僕はここから出たら、英国と亜米利加に行ってみたいですな。」

「留学か。いいね。

私はね、もう一度蝦夷に行きたい。あそこを豊かな大地にしたいと思う。」

榎本さんが北の方を向いて言った。


 「なぁ、イトウ君。

私たちはあの時に一度死んだんだよ。

今は言わば余生のようなものだ。」

「そうだな。やらねばならんと思ったことは、あの時に精一杯やった。力及ばずではあったがね。」

荒井さんと松平さんが少しくぐもった声で言われた。

「降伏したとき、首をねられてもそれはそれで致し方ないと覚悟していたからなぁ。」 

「でも。

大鳥さんは『なに降伏したって殺されやしない』と言ったそうですね。」

「え?なんでそれを?

まさか、本多くんから聞いたのか?」

今井さんの言葉に大鳥さんが少し慌てた様子で言った。

「なんということだ。総裁の私が覚悟を決めていた隣で、君は…。」

あははと笑う大鳥さんが、こちらを向かれた。


 「イトウ君。君は何をしたいかね?」


 私には答える言葉がなかった。代わりに椀を持ち上げて、残りの汁を啜った。

この方々はもう先へ先へと進まれていた。

沸騰しそうに熱かったあの時間に囚われているのは、牢の外にいる私の方だった。

私は何をしたいのだろう。


 「わかりません。

でもそれを考えようと思います。」

「ああ、それがいい。

時代は変わった。君は君の思うことを為せばいい。」


 ほの明るい牢の中は、西洋の新しく美味しい匂いに満ちていた。


*************


キャベツ

世界最古の野菜のひとつといわれ、紀元前6世紀ケルト人が野生のキャベツの栽培をはじめた。

日本には幕末の1850年代に結球性のキャベツが伝わり、居留地の外国人向けとして栽培された。


伊藤伝右衛門

五稜郭で給仕として働いた。

一番八釜やかましいのも元気なのも大鳥さんだった」と証言した。


今井信郎

元京都見回り組

恩赦後、警視局に志願、抜刀隊の一員になった。

大鳥について、「南京カボチャ並みに身体が小さかった」という証言を残した。


松平太郎

幕府では陸軍奉行並に任命され、陸軍総裁・勝海舟の下で旧幕府軍の官軍への反発を抑える役目を負うが、江戸を脱出し大鳥と合流、軍資金を届けている。

恩赦後は北海道開拓使御用係を任ぜられて箱館在勤を命じられたが、翌年には辞した。晩年は榎本の保護下で生活していたと言われている。


荒井郁之助

航海術・測量術、高等代数、高等幾何、微分積分学を研究。

海軍陸軍に通じ、横浜で大鳥圭介と共にフランス式軍事伝習を受けた。

獄中生活で「英和対訳辞書」を完成させる。

初代中央気象台長。


大鳥 圭介

幕府伝習隊長、陸軍奉行

医師、蘭学者、軍事学者、工学者、思想家。

黒田清隆は、江川塾(伊豆韮山代官所)で講師をしていた時の教え子。

日本で初めて金属活字(大鳥活字)、温度計、気球を制作。

『築城典刑』『砲火新論』などの翻訳書を出版。

恩赦後は学習院院長など技術・教育関係の役職を歴任後、外交官に転じた。


榎本武揚

幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学。

釈放後は逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任。

東京農業大学の前身である徳川育英会育英黌農業科や、東京地学協会、電気学会など数多くの団体を創設した。


黒田 清隆(了介)

薩摩藩士。

戊辰戦争に際して北陸戦線と箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮を執った。

大鳥圭介は江川塾での師。

福沢諭吉とともに榎本武揚らの助命を行った。

第2代内閣総理大臣を務めた。

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