第九膳 前半 『再会のメニュー』
第九膳『再会のメニュー』
「出会いは偶然。
別れは突然。
再会は必然
なんてことを言うが、これはまた久しぶりだなぁ!
うんうん!君は全く変わりなさそうだ!
僕が用意した通行手形は少しは役にたったかね?敗将の名前などかえって迷惑だったか。黒田君が何とかしてくれる手はずになっていたんだが。
いや、五体満足でここで出会えたんだ!無事なことはわかっているさ!
なんと、嬉しや!こんなところで顔見知りに会えるなんて!なぁ!皆はそうは思わないか?
いや、素晴らしい!
これこそ獄中の楽しみってもんだな。
で、君は、えーと、給仕役のヨシダ君だったかな?
いや、違う。ヨシダ君は伝令だった。
いや、すまぬ。君の名前を忘れしてしまった訳ではないんだよ、ほれ、ここのところまで。あ、いや、名乗らなくていい。喉のツカエされとれればスンナリ出てくるはずなんだ。
えーと、ヨコ…ヨコイか?え?でもない?」
「大鳥君。ヨコイは私の給仕役だ。」
「そうか。ヨコイ君は榎本さんの世話役だったな。
イ、イシイ?いや。イ、イシダ?あー…。」
「おい、南京カボチャ!相変わらず五月蝿えなぁ。いい加減ヤツにも喋らせてやれよ!」
「今井くん!カボチャとは失敬な!
僕はいま亀田(箱館、五稜郭)で世話になった給仕役の名前をだな!」
「大鳥さん。お久しぶりでございます。
伊藤伝右衛門でございます。」
「あー、そうそう!イトウ君!」
「榎本さん、松平さん、新井さん、今井さん。
ご無沙汰しております。」
蝦夷共和国で総裁だった榎本武揚さん、副総裁として榎本さんを支えた松平太郎さん。海軍奉行だった荒井郁之助さん。陸海裁判官で元見廻組だった今井信郎さんは阪本龍馬を斬った下手人というので特に取り調べがキツかったと聞いた。
そして陸軍奉行の大鳥圭介さん。
私は当時、亀田(五稜郭)にある箱館奉行所で大鳥さんの給仕役として身の回りの世話をしていた。
大鳥さんは、体は小さいが肝の据わったお人で、何にでも興味を示し、何をするにも面白がって取り組むようなところがあった。確かに陸軍の
思えばあれは、たった半年間のことであったか。
五稜郭陥落のあの日から既に一年半。西軍に連行された皆々様が牢の向こうにいた。皆様方は一人ずつ別の牢に分けられ、壁に仕切られお互いに顔を合わせることもない。
敗軍の将として捕えられ牢に繋がれて、捨てられた犬や猫のように肩を落とし悲しみにくれているのではないかと気がかりであったのだが、全くもってそんなご様子は、微塵もなかった。
それどころか、榎本さんに至っては、
「やぁやぁ、イトウ君。ひさしぶりだね。
腹を空かせているんじゃないか?」
と、笑顔でこちらを心配する始末。
それはこちらの台詞ではないかと思うのだが。
「大鳥さん。ここでご不自由はありませんか?」
私の言葉に大鳥さんが目を上げた。本当に久しぶりの再会である。
視線が交わった瞬間、五稜郭で働いていた頃を思い出したように大鳥さんがニヤリとした。
「いやいや、まことに不自由も不自由さ。
だが、気にするほどではない。
そもそもこの辰ノ口は幕臣時代に僕が設計した糺問所だ。しかも荒井さんと僕が預かっていたんだ。文句を言うと自分たちに返ってくるからね。いろいろあるが、自重するよ。
それより、ちょうどいい!イトウ君。」
と手招く大鳥さんの手に難しそうな本がある。大鳥さんはその中ほどのページを開いて、指でとんとんと示した。
「なにか?」
大鳥さんはうなずくと、本を格子のこちらに向けて見せてくれた。
「それは?」
大鳥さんは再度先ほどの場所を示すのだが、外国語で書かれた物がわかるわけがない。
「・・・。」
「おい。カボチャ。ちゃんと読んでやらねえか。
皆が皆、阿蘭陀語を読めるわけじゃねえんだよ。」
「今井君、返す返す失敬だな。僕には大鳥圭介という名前があるんだぞ。」
「伊藤君、気にするな。
あれは大鳥君と今井君のいつものaandelenbeursだ。」
「は?アンでダブ?」
「榎本さん、それでは余計混乱を招きます。
ここは素直に『やり取り』と表現すべきところでは。」
荒井さんが言葉を挟んで来られたが、私の混乱はさらに深くなっただけだった。
つまるところ、
榎本さんが
「それでは、訳してくだされば調理方で作ってもらえるように頼んでみますが?」
「違う違う。」
私の言葉に大鳥さんは大げさなほど首を振った。
はて? どうも様子が分からない。
だが真剣な表情からして、なにか大事な目的があるようだった。
「ひょっとして、ご自分でお作りになりたいと?」
その言葉に大鳥さんは大きくうなずいた。
「ここで?この牢の中でですか?」
「その通りだ!さすがイトウ君、君は察しがいいね。
この前榎本さんがここで鍋をしたから、問題はないと思うんだ。
嬉しいな!そうと決まれば早速準備をお願いしようか!」
この、なんというか憎めない自分勝手さは久しぶりだ。いろいろな思い出が甦るが、それもこれも一年と少し前のこと。それでも懐かしく思い出してしまうのは、あの時間が私にとって大切な時間だったからだろうか。
「伊藤君、知っての通り大鳥さんも榎本さんも言い出したら聞かないんだ。
誠に迷惑な話なんだが、お願いするよ。」
今まで黙っていた松平さんが申し訳なさそうに言った。
そうだった。箱館でも『洋才の榎本、和魂の松平』と言われて人望は厚かったが、気の毒なことにこのお方が一番割を食っていたなと思い出した。
「わかりました。
ほかには何がどのくらい入り用なんですか?
大鳥さんのことだ。まさか豚一頭とか言うんじゃないんでしょうね。」
懐から矢立を取り出して覚えに書こうとすると
「あはは、イトウ君。やはり君は面白いね。
豚くらい一頭でも二頭でも
「あの、伊藤君。もし良かったら、小豆も頼めるかね?砂糖も。」
「え?荒井さんまで何か作られるんですか?」
「ああ、ぜんざいを作りたい。大鳥君が作るなら、隣りで私が火を使っても差し障りないと思うんだ。」
「は、はぁ。」
遠慮がちに荒井さんが申し出ると、我も我もと声があがった。
「イトウ君。なら、私はハイネケンを頼みたい。」
「いや、榎本さん。さすがに酒は…。」
「なぁ、俺はよ。」
「すみません。今井さん。」
「なんだい!俺はまだナンにも言っちゃねぇぜ。」
軍務局に許可を取り付け、頼まれた馴染みのない材料と道具を揃えて大鳥さんたちのところに向かったのは数日後のことだった。
牢に着くと、大鳥さんたちは大喜びでタスキをかけて料理を始めた。
私と見張りの者はともにただ見ているしかない。
薄暗い牢中にたどたどしく食材を切る包丁の音が木霊する。
キャベツを酢で煮るツンとした刺激臭と小豆と砂糖の煮える甘い匂い、肉の焼ける香ばしい匂いが混ざり合って、なんとも言い難い香りが漂い始めた。
壁を隔てて大きな声も飛び交う。
「おい、大鳥君。この匂い、肉を焼きすぎではないのか?」
「榎本さんこそ、酢の入れすぎではないんですか?」
「そこの汚れ物を貸しなさい。こっちで拭いておこう。」
「それは助かる。松平君、よろしく頼むよ。」
「イトウさん、その赤いヤツをこっちに貸してくれ。
俺が皮を剥いといてやる。」
「大鳥さん、そろそろぜんざいは具合いよく煮えましたよ。」
不意に私の目から涙が流れる。どうして流れたのか自分でもよく分からない。
ただ、はっきりと聞いておかねばならないことがあると分かった。曖昧なままにしておけば、この先自分の生きる道を違えてしまいそうだったから。
出来上がった料理が牢の外にいる私たちにも配られた。西洋の香りに、私のお腹が久しぶりにぐぅと鳴った……。
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