第八膳 後半 『まみえる席の経帯麺』
「…梵済よ。飢えてはおらぬか?」
思わずこぼれたその言葉を、落ちてきた羽を拾うように客人がそっと掬い受け止めた。
絹擦れだけが聞こえる静かな室内にチリチリと灯明が身を焦がす。しばらく間をおいて、読経で磨かれた声がゆっくりと答えた。
「軒主様。
お久しゅうござります。」
ゆっくりと起き上がりこちらを見る、この居丈夫の顔も、吾は知らぬ。
それでも先ほど重なった忘れられぬ面影は拾うことが出来た。
「
「とんでもございません。が、畏れ多くとてもお呼びすること叶いませぬ。」
「覚えておるなら、名を呼べ。
吾の名を呼ばねば…。
呼ばねば、…茶菓子は口にしてはならぬ。」
客人はくぐもった笑い声を立てた。
「おそばに参っても宜しゅうございますか?」
「許す。」
その者は立ち上がると袖を翻すように音もなく吾の膝元にうち伏した。
「お許しを。」
「許すと申した。」
客人は吾の僧衣の裾を手に取ると、自らの口元に押し当てて聞こえぬほどの声で吾が名を呼んだ。梅の香に混じった伽羅がいっそう、くらりとするほどに強く香った。
梵済との二十年の時を隔てた再会であった。いや、今は梵済ではない。
「え、永徳院琪陽殿。よく参られた。」
誰かに喉を押さえられてでもいるように、吾の声は掠れていた。
「軒主様こそ、我が名をお呼びくださらないのですか。」
聞きなれぬ声が昔を思い出す言い方で咎める。
「…吾は、吾は、もう、呼んだ。」
昔より響く太い声が笑いを含んだまま先ほど置き去りにされていた問いに答える。
「軒主様、我は飢えております。
どうか。
『茶菓子』に、手を伸ばすことをお許しくださいませ。」
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『玲蔭緑記』
1495年(明應4年)2月16日
永徳院琪陽(梵済)が来訪。経帯麺を拵え勧めた。
迎えの横川を留め酒宴をひらく。與三に相伴させた。
永徳院とは着物を脱いで枕に伏し雑談した。禁酒して茶だけ飲んだ。このときの歌は数曲で終わった。
玲成院瑞渓
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典座(てんぞ)
寺で料理を作る役割の僧
隠侍(いんじ)
指導僧の身の回りの世話をする役割の僧
蔭凉軒日録
足利義満が相国寺鹿苑院内に設けられた蔭凉軒に住んでいた僧侶が記録した日記。
以下の記載がある。
*1488年(長享2年)2月1日(昼の斎膳のよう)
永徳院春陽(景果)が対面に来た。勝定院桃源(瑞仙)老人も来たので、酒宴を開き、経帯麺を食べた。品の字のように車座になって座り、雑談して時を過ごした。
:1488年(長享2年)5月16日(「点心」おやつの感じ)
訪問していた相国寺長老横川を留め、着物を脱いで枕に伏し、茶を啜り、雑談した。経帯麺を拵え、勧めた。禁酒して、茶だけ飲んだ。與三に相伴させた。そのときの歌は数曲で終わった。茶で酒の代わりとした。
経帯麺(はばひろ切麪)
一番篩いの白麪(粉質が細かくて白い良質の小麦)二斤当たり、碱(炭酸ソーダ)一両を細かに研って新しく汲んだ水でとき、麪に和わせて、あとで捍べるときに麪剤よりやや柔らかめに捏ねる。それを拗棒で百余回拗し、二時間ほどねかせて、また百余回拗す。そこれから(こんどは拗棒にまきつけて)ごく薄くなるまで捍べる。それを経帯(書物が巻物であった時に巻いてとめた平紐で、その平紐のように巾広に麺を切るのでこの名がある)のように切り、煮立った湯に下す。熟ったら冷水に入れて散らしすすぐ。かけ汁は任意である。
引用:中国の食譜(東洋文庫/1995年)
細川 政元(ほそかわ まさもと)
は室町時代後期から戦国時代にかけての武将、守護大名。室町幕府24、26、27、28代管領。摂津国・丹波国・土佐国・讃岐国守護。細川氏12代当主。足利将軍家の10代将軍義材を追放して11代義澄を擁立し、政権を掌握。事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ばれた。
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