第五膳 後半 『さいごのちらし寿司』 

 兄様あにさまとの外出も久方ぶりです。

今日のお召し物は紺地に薄青の立涌柄のひとえに袴姿。月代も青々と剃りあげて涼しげなお姿です。いつもはサッサと大股で歩かれるのに、今日はわたくしに合わせて歩幅も小さくゆっくりと歩いてくださっています。

そういえば兄様が元服なさる前から、連れだって歩くことはもうなかったと思い出しました。それが今日は、兄様の後ろをついて歩けるのです。すっかり逞しくなられた後ろ姿に、あぁ男の方だと改めて思いました。


 そんなことを思っていましたら、兄様がひょいと横道に入られて

「礼子、ちょっとここへ寄っていこうよ。」

と甘味処の暖簾を示されます。なんでも兄様ご贔屓のお店で、江戸に戻ったら一番に寄りたいお店だったのだそうです。

つるりとした舌触りのひんやりした水菓子。火照っていた頬もようやく落ち着くようでした。


 兄様が何か聞きたい事があるのだろうと仰るので、ずっと気になっていたことを尋ねてみました。

「兄上、他の方々は六月にはお戻りでしたのに、兄上はなぜ遅れられたのですか?」

「あれ、礼子は聞いてなかったのかい?

石部宿まで帰っていたんだが、大目付の永井様から有志は京に戻るようお達しが届いてね。武司たちと早籠で急ぎ戻ったんだよ。」

「武司兄様と。

何があったのですか?」

「うん。京に池田屋という宿があるんだけどね。そこでちょっとあってね。」

「まぁ。」

「ただ、帰京した時にはねぇ。すべて終わっちまってたんだ。」

「兄上、それは残念そうに聞こえます。」

「おや、ばれちまったか。」

兄様はニヤリと頬を緩めました。途端に昔のやんちゃ坊主の顔が覗いて、私も思わず袂で口元を隠して笑ってしまいました。


 「さあ、参ろうか。」

暖簾の向こうは七月の強い日差しです。手を額に翳すように出ていかれる兄様を見て道向かいの茶屋の看板娘が頬を染めるので、私は少しばかり腹が立ちまして兄様の袖をツイと引きました。

兄様は私に袖を引かせたまま土埃の立つ道をお歩きになります。そのまま広小路の方に向かわれますので、つい声をかけてしまいました。

「兄上、こちらは方向違いではありませんか?」

「いいから、いいから、ついておいで。」

兄様がニコニコ笑いながら目指す先にあるのは、なにやら格式ばった料亭です。暖簾が出ていないのでなんというお店がわかりませんが、気軽に寄れるような所とは思えません。なのに兄様は

「邪魔するよ。」とすたすたお店の中へとお入りになるのです。

私が戸惑って立ち止まっていましたら、兄様が振り返って、

「おいで。」と笑顔で手招きされました。

明るいところから暗いところへ急に入ったせいでしょうか。兄様のお顔が遠く、なぜか見知らぬ人のように感じました。


 「おんや、若様。今日はえらく早いおでかけで。」

奥から人の声がして白い前掛けを着けたガッシリした男の方が出てみえられました。

「ああ、すまねえ。ここんところ毎晩世話になってる。」

兄様がここの料理人だと紹介するこの方、どこかでお見掛けしたことがございます。

「あっしゃ、若様の門弟でごぜぇやすよ。」

鎌吉と名乗った料理人は、そう種明かしをしてくださいました。では道場のほうでお見かけしたことがあるのですね。

兄様は鎌吉さんにご無理を言って、なんと、ちらし寿司用の魚を分けてもらうおつもりのようです。そんなことをと気を揉んでおりましたが、遅れて出てこられた女将さんが、

「いいんですよ。若様には随分とお世話になっているんですから。昨日だってねぇ。」

「おさきさん!妹にそれは吹き込まないでくださいよ。」

女将さんの話しを奥にいた兄様がふいに顔をお出しになって遮られます。私は何をお隠しになったのか気になって仕方ありませんでした。

しばらくして奥から出てこられた兄様は手に小さな木桶をお持ちでした。

中には美しく盛られたいろいろな種類の刺身。

「おひぃさま。『仕事』をしなくちゃいけねぇヤツにはちゃんとしておきやしたから、そのまンま使ってやってくだせぇ。」

鎌吉さんが、頭を下げてそうおっしゃいました。


 家に戻りまして、母上が用意してくださっていたほんのりと紅色の酢飯の上に持ち帰りました刺身を彩りよく並べてまいります。隣で兄様がソレはこっちがいいだの、コレはあっちの方が綺麗だのとお騒ぎになるものですから、弟たちもやってきて一緒になって騒ぎます。まるでひな祭りの当日のような賑やかさです。

父上のお戻りを待って季節外れのちらし寿司を皆でいただきました。

鎌吉さんの『仕事』された刺身はどれも姿も美しく、舌の上で魚本来の味がほどけ出てくるようでした。

「やはりちらし寿司と言えば、これですね。」

兄様がしみじみとおっしゃるのに、父上までがうなずかれます。

「そうですね。京、大阪で食べたちらし寿司は見知ったものとは全然違っていた。」

「向こうのちらし寿司はちらし寿司ではないのですか?」

「そうなんだ。向こうのはね。」

それから京の美味しいもの、兄様たちがおいでになった寺々、お宿での出来事とお話しは止まりません。私たちもやっとうかがえた京での日々を聞きたくて、それから?それから?とせがみます。

父上が、朝稽古に触るからお終いにしましょうと言い出されるまで、楽しい土産話しはずっと続いたのでした。


 思えばこれが兄様と出かけた最後となってしまいました。


 次の年はともに「桃の節句」を祝えたものの、兄様は重陽の節句を待つことなくまた上洛。ところが大阪で上様が御崩御なされ、江戸でも大変な騒ぎになりました。

兄様は江戸に一度お戻りになられたものの、既にのんびりと過ごすことの出来る時代ではありませんでした。秋風の吹くころ兄様は父上とともに「遊撃隊」などど勇ましい名前のもとに慌ただしく出陣なされていきました。

翌年「鳥羽伏見の戦」でまさかの敗北。


 兄様は二度と、下谷の家にお戻りになることはなかったのです。



*****************


ちらし寿司の東西の違い

関東では酢飯の上に新鮮な生魚などを盛り付ける。

関西では酢飯の中に細かく切った具材を混ぜ込み、加熱下味のついた食材を盛り付ける。


徒士(かち)

江戸幕府や諸藩に所属する徒歩で戦う下級武士のこと。戦場では主君の前駆をなし、平時は城内の護衛(徒士組)や中間管理職的な行政職(徒目付、勘定奉行の配下など)に従事した。


池田屋

京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠。

幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃した。


荒井鎌吉

下谷広小路(現在の上野広小路駅北側)の料亭・鳥八十(とりやそ)で、板前として働く。鳥八十は当時の江戸の料亭番付にも名が載る高級料亭。


遊撃隊

14代将軍徳川家茂死後に結成された幕府軍の部隊。

講武所師範や奥詰(将軍警護を預かる親衛隊)幕臣らによる銃撃隊の再編成によって結成された。

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