第三膳 後半 『シチューと好物料理』
私は名をバジル・ホール・チェンバレンという。イギリスで生まれ、フランスで育ちドイツ語も操れるところをかわれたか、この度『お雇い外国人』として日本の地を踏むに至った。来年から東京の海軍兵学寮で英語を教えることになっている。
せっかく来日したのだから、日本を広く学びたいと思う。
私の目下の教師はこの『お玉さん』である。本人には内緒だが。
『お玉さん』の自信作『白いシチュー』は私の知っている『シチュー』とは全く違っていて何が煮込まれていたのかさっぱりわからなかったが、大変美味しかった。
確かに滋養にとんだ牛乳を加えることで、栄養価も上がったと思う。
しかし、次回の『シチュー』は牛乳はなしで、出来うるなら『鰻とサフランのシチュー』お願いしたい旨彼女に伝えると、
「旦那様!鰻は焼いて食べるもんだ!
そんな風に好き嫌いなんぞしてるから、そんなにやせっぽっちなんだよ。
今回はあの北辰社から取り寄せた牛乳と
仕上げに北辰社の牛乳だよ。」
再び滝のように『お玉さん』の言葉が降り注ぐ。
通訳の滝口に目配せして訳さなくていいと伝えると、私は立ち上がってサイドテーブルに置いてあるティーセットに向かった。
『お玉さん』がすかさず厨房から
この気遣いが彼女の素晴らしいところだ。
あの肉片は昨日の「鶉」だったのか。なるほど味に深みがあった。
しかしあんなにに崩れるほど煮込まなくても、もう少し野菜や肉の塊があってもよかったのではないだろうか?そもそも『シチュー』に牛乳を入れたりしないだろう?
もしかすると『お玉さん』には、私が栄養失調の歯のない病人のように見えているのだろうか。
まぁ、新しい味ではあったが大変美味しかったので、レシピを次の料理人に教えておいてもらうよう頼もうと思う。
ティーポットに茶葉を入れて沸きたての湯を注ぎ、砂時計を返す。カップを三人分用意して茶葉が開くのを待つ。
まず、レディーファーストで『お玉さん』にソーサーを渡すと、いつものようにはカップに鼻を近づけて「あー。いい香りだねぇ。」とため息のような声を出した。
次に通訳の滝口に。最後に私がカップを手にする。日本人の二人は私がカップに口をつけるまで、絶対に飲もうとはしない。
それは礼儀なのか、今回も私が一口飲んだのを確認してから軽くお辞儀をして、ふーふーとカップを吹いた。
二人はとても親切でよき隣人なのだが、この音を立ててお茶を飲む習慣はなんとかしてもらいたいと思う。
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1871年(明治4)“天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲む”という記事が「新聞雑誌」に掲載された。
旧幕臣で明治政府にも仕えた榎本武揚は、旗本の子弟による酪農や農業技術を支援すために現在の千代田区に「北辰 社」(後の東京農業大学)という牧場を設立。高い品質を誇っていた。
第二次世界大戦後子どもたちに栄養のある食事を与えようと政府が先導して作ったのが脱脂粉乳を使ったクリームシチューの原型である。従って海外にはクリームシチューという料理はない。
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