第三膳 前半 『シチューと苦手料理』


 「旦那様。今日の『メニュー』は『白い』だよ!懐かしいだろう。」

と彼女は私の座る椅子の脇に立って、胸を張り腰に手を当てた。

 

 日本の婦人はいや日本人は皆、キモノの襟元をゆったりと着ているので、そうやって胸を張ると、その、角度によると、目の置き所に困る時がある。本国イギリスの婦人方の襟元の詰まった服を見慣れている身としては、日本人のおおらかさは時として戸惑うことがある。


 いつもなら躊躇なくスプーンを持つ私だが、今日は両手を膝の上に乗せたまま湯気の立つ淡い色味のポタージュのようなものが入った皿を見つめてしまった。

おそらく困った顔をしていると思う。じっと皿を見つめている私を、小柄でコロンとした体型の彼女『おたまさん』がこれまた困った顔で見つめている。


 日本に滞在するにあたって当座の間『お玉さん』に料理を頼んでいる。ここ1ヶ月ほど食事を作ってもらって、私の好みも大体は把握したのだろう。特に今日は寒かったから、体の温まるものをと考えて用意してくれたのだろうと思う。


「あのさ、牛乳をたっぷり入れてみたんだ。北辰社ほくしんしゃっていうの、旦那様もご存知だろう?牛乳番付で東の大関だよ。

あすこの牛乳をわざわざ取り寄せたんだ。

牛乳っていうのは滋養になるらしいし、天皇陛下もさ、毎日牛乳を召し上がってるそうだよ。

異国人もさ、よく飲むんだろう?」

知ってるよ!というように意気揚々と言った「お玉さん」だったが、いつもと違う私の様子にふと眉を寄せた。

「あ、あれ。もしかして、旦那様。牛乳は苦手だったかぃ?」

なんだか微妙な空気が私たちの間に流れている。ボタンを掛け違えたような、しっくりこない違和感だ。


 「まぁ、その、大人になってもさ、やっぱり苦手な食べ物はあるってもんだよ。

牛乳とかさ、苦手なんだったら食べたくないって気持ちもよくわかるよ。」

『お玉さん』は聞くところによると40代だそうだが、落ち着き払った私の叔母たちとは全く違う。とてもエネルギッシュだ。

宿にしている寺のどの部屋にいても彼女の声が聞こえるので、実は三つ子か何かではないかと疑っているところだ。

 

 「……わたしもさ、」

と『お玉さん』が言葉を続けた。

「本当言うと、牛乳はさ、苦手なんだ。臭いし飲むと腹が下るし、あ!ごめんよ。食事のときに。

ほかにもパセリとかも草臭くて、何であんなもん使って料理するんだろって思うんだよ。」

彼女は勢いよく溢れる水のようになにやらまくし立て、通訳の滝口が訳し切れずに冷や汗を浮かべた。その勢いにキョトンとした私の顔を、言葉の流れを止め『お玉さん』が見つめてくる。

「まぁ苦手なモンなんて誰にだってあるよ。無理する必要はないんだ。でもね、ちょっと食べてみたらどうかな?」

『お玉さん』は、機嫌をとるような上目遣いで言った。

できれば食べてみてほしいという気持ちが伝わる。


 「人ってさ、大人になると舌が変わるって言うじゃないか。一度美味しく食べられたら嫌いなものだって好きになるってもんだよ。

ねぇ、ちょっとでいいからさ、食べてごらんよ。

いや、雇われの飯炊き風情がアレコレ言うのもナンだけどさぁ。

旦那様。あんたさ、もちっと太ったほうがいいんじゃないかい。若いのにさ。そんなにひょろひょろしてさ。

新しく出来た学問所で教えるんだろ?そんなところじゃ、そうそう肉やら牛乳やら出て来やしないよ。

今のうちにしっかり食べておきなよ。」

そうだろう?と言う顔でわたしを見る。

丸い顔の真ん中のつぶらな瞳をまん丸にして『お玉さん』が訴えかけてくる。


  「旦那様が褒めておられたメースンさんちの料理人から聞いた、とっておきの『』なんだ。味見だけでもしてごらんよ。」

そう言うと、『お玉さん』は彼女の出来る最大の笑顔をわたしに向けた。

この顔をされるとわたしは逃げられない。

覚悟を決め神妙な面持ちでうなずいた。

「い、いただきます」

それから慎重に、おっかなびっくり、スプーンの先を彼女のいう『白い』にひたした……。

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