第二膳 後半 『距離をつなぐカレー』
「うまいか?」
子どもはコクコクと大きく頷いた。
さもありなん!
指南書によると、これは
それにしても明治と呼ばれるようになってはや五年。東京と名を変えた江戸の変わり身の早さよ。いや。上様の御膳所御台所で励み、薩長に盾突いて上野に立てこもった私が、今では薩長に雇われて異国人のために飯を作っておる。この変節とどこが違おうか。東京と大差ないなと思うと口元が歪む。
何を言う!
上様を思えばこそ彰義隊に加わったというのに!それを理由に上様は、我々が共に静岡へ下ることをお許し下さらなかったのだ!どうやって糊口をしのげというのだ!
もう一人の私が叫ぶ。
最初で最後にお目見えしたときの「そなたらも、息災で。」とお声がけくださった上様の焦燥したお顔つきが忘れられぬ。
「コォタ。」
子どもが袖を引き私の名を呼んで皿の中の固まりをつついているので、深く息をはいて
「いかがした?」と声をかけた。
「∇○◇✕○?」
子どもの言葉は異国語でさっぱりわからぬが、何か尋ねておることくらいはわかる。
匙に乗るのは、
「芋でござる。」
「イモォ。」
「さよう。こちらは葱。」
「ネェギィ。」
たどたどしく真似る発音が愛らしく、もっと聞きたくなった。
いまだにに名を聞き取れぬこの異国の子どもと居ると、なにやら日溜まりにいるように心が晴れ晴れとしてくるのが不思議だ。夷狄だ攘夷だと血を滾らせていた若い時分の私に教えてやりたい。夷狄も同じ人であったと。
「そうだ。これは海老、こちらは肉。アカガエルでござる。」
「アクァ、クワァエーウ?」
「∇○?◇○✕##&?」
さて、これは何を聞いておるか?
「牛の乳の脂で炒めて香辛料で煮込んだものぞ。
いや 言ってもわからぬか。」
薬研に残る香辛料を見せて、鍋に入れる仕草をする。
子どもは大きく身を乗り出すと、両手の平をひろげるようにして
「カリイ!」と言ってニコニコと笑った。
「おお、そうじゃ。これはカリイと申すものぞ。」
この日子どもと食べたカリイはことのほか美味しかった。
子どもの土産は銀鈴であった。
根付けにしようかとも思ったが、歩く度にチリチリと鳴って所在を告げるので文箱に収めた。子どもが国に帰ったあともカリイを食すだび、この鈴を見るたびにきっとこの日の事を思い出すであろう。
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明治4年、北海道の開拓使十年計画推進のため、アメリカ農務局長であったホーレス・ケプロンが開拓使次官黒田清隆の要請で開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問として来日。開拓使東京事務所でケプロンのためににライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。
ケプロンは北海道開発方針の基礎をつくり。札幌農学校開設、津田梅子ら5人の少女のアメリカ留学生の派遣も彼の建言によるものである。
開拓使東京事務仮庁舎は芝増上寺の境内に置かれた。
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