第一膳 後半 『別れと握り飯』

 「ちょっとは腹が落ち着いたかい。」 

アタシは、コトリと茶碗を置いたその子に声をかけた。

今は薄汚れたナリだけど、箸の使い方は綺麗だ。どっかいいとこの坊っちゃんだったに違いない。

“イチ”はこちらを見て、キチンと頭を下げた。


「お前さん、どっから来たんだい?」

「…箱館。」 

「箱館かぃ!」

こりゃ驚いた。そりゃずいぶんと遠い海の向こうじゃないか。

蝦夷では春になってまたぞろいくさが起こってるともっぱらの噂だ。

どうせ答えちゃくれないだろうから、詳しいことなんざ聞きゃしないけどさ。おおかた戦を避けて逃げて来たクチだろう。


「で?この先どうするかアテはあるのかい?」

膳を下げながらの問いに、子どもは何か答えたが良くは聞き取れなかった。

深くうつむく姿にアテはなさそうだとアタリをつける。

まぁ、頼られたところで場末のヨタカに何かしてやれることなんざないけどさ。


「“イチ”。着替える気はあるかい?」

そのとたん“イチ”はぎゅと薄汚れた着物の襟をぎゅっと握り込んだから、

「あ、嫌ならいいんだ。昔の男の着物があるからさ。

持ってきなよ。そのまんまじゃ怪しいことこの上ないよ。」


「かたじけない。」

“イチ”はそう言って頭を下げた。

ああ、この子はしっかりした子だよ。

この後のことがアタシは心配になってきた。


「これはさ、独り言だからさ。聞き流しとくれ。

『客』から聞いたんだけど、川越ってとこ、知ってるかい?

いや、聞いてんじゃないよ。川越ってとこが、ここから、そうさな二里ほど先だろうか。川越ってとこがあるんだけどさ。

今人手が足りなくて、人足を探してるんだってさ。」


“イチ”が少し顔を上げたから、アタシは慌てて言いつのった。

「ただの噂じゃないよ。

そこのまとめ役がそう言ってんだから。

本当のことさ。」

“イチ”がじっとこちらを見た。

「大きな町だし、子どもが一人混じったって誰も気がつがきゃしないよ。」


「かたじけない。」

掠れた声で“イチ”が言った。


その夜“イチ”は壁に寄りかかって眠った。

何かあった時にすぐ逃げられるように。

アタシはやるといった昔の男の着物をその肩にかけてやり、残りの冷飯で小さな握り飯をこさえて、足元に置いておいた。


翌朝、“イチ”は消えていた。

着物も握り飯もなくなっていた。

つっかえ棒が外されきちんと閉められた引き戸を見て、アタシはクスっと笑った。


ちょっとタレ目のしっかりした顔つきの子だったよ。


*********************


<渡辺 市造>

嘉永七年~明治四十一年

武蔵野国多摩郡生

慶応三年新選組入隊

両長召抱人

箱舘脱走後、川越にて米人足として一生を送る

子どもには妻の姓を名乗らせ、父親である自分の出自については固く口を閉ざすよう言いおいたと言う

(箱館脱走については新選組副長の命にて、遺品を届ける市村鉄之助の道案内をしたと思われる)


両長召抱人…隊士にするには幼い少年たちを局長、副長の身の回りの世話役として召し抱えたもの。












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