ただもう一度だけ、会いたくて

@wani9653

ただもう一度だけ、会いたくて




 

 

 ーーーあなたの言葉はお守りで、あなたのなまえはいいものさがし、十年らいのたからもの。


 男は渡せない花の贈り物を二度、三度見返すなり、それを手のひらの中に落とすと、くしゃくしゃと丸めてしまった。自分なんかが花を贈って、喜んでもらえるはずもない。そんなふうに思って。

 男は山奥に住まう山守の狼男。

 贈り物の相手は可憐な高嶺の花だった。

 

 その日はよく冷える雪の日。山の奥から出て、質屋に毛皮を入れに来た帰りに、ふと立ち寄った小屋に少女がひとりきり、布団に寝かされていた。

 少女は肺から血を吐く病気らしく、唇の端には赤黒い血の塊がうっすらこびりついていた。  

 山を守るものは、知識程度には肺病のことを知っていた。感染るかもしれないということ、隔離がひつようということ、それにかかると5年と身体が持たないということ。

「あなた、どなた?」

 少女が弱々しく瞼を開け、山を守るものは慌てて転変し、天鵞絨のマントを羽織る紳士へと姿を整えた。久しぶりに化けたから慌ててしまい、手は狼のそれのまんまだった。

「お嬢さんにお花のおくりものを届けに来たしがない、花売りですよ」

「おかしいわね、私にはともだちなんかひとりもいないのに」

「遠い海の向こうにやさしい貴族のおやしきがあって、是非にお嬢さんに友達の証として花を贈ろうと話があがりましてな」

 うやうやしく山を守るものが、マントの内ポケットから、菫の花を差し出すと、少女の青白い頬にぱあっと赤みが差した。

「次はお嬢様からのお手紙も一緒に持ってくるからね」

 言ったことも、差し出した花も、全くのでたらめだったが、少女の喜ぶ顔を見て、悪い気はしなかった。

 山を守るものは次はもっと珍しい花を持ってくると約束してしまった。

 自分の山に返ってから頭を抱えるわけになるのだが、この時はこんな自分でも人助けが出来た、と感じ入っていた。


 山を守るものは思い悩んでしまった。

 きっと元気になってね、元気になったら野山に遊びに行こう、だから元気になってね。

 あと5年あるかないかの少女に、その言葉はあまりにも残酷ではないか。それなら、今なにか出来ることをやってあげるほうが彼女もよろこぶのではないか。

 

 お嬢さん、げんきですか。

 私もひどい病気です。

 窓の外から海を見るのだけがたのしみです。 

 貝殻を一つ贈ります。

 枕元におくと夢の中で波が寄せては返ってくる音が聞こえます。

 あなたにも、この景色をいつか見せたいと思います。

 そうそう、海辺に花が咲きました。ハマナスの花です。

 はじけるような紅色しててきれいなもんでしょう?


 それだけ書くと、山を守るものはまた通い花売りに化けて、ちいさな法螺の貝と南の商人から盗んだハマナスの花を添えた手紙を娘に届けにいった。

「花屋さん、ほんとうはお嬢さんからの手紙なんか、ないんでしょう?」

「いいや、ありますぜ。

何でも海の香りのする夢が見れるおみやげつきで」

「………これは、ほんとうに誰かからのものなの? 

 ねえ、正直におっしゃって。  

 あなたは私に優しい嘘をついているだけではなくて?」

「あるといったら、あるんでさ。

この世のどこかには、冷たい部屋に明かりを灯そうとするやつがきっといる。

こんどお嬢さんを連れてきましょう。

そしたら、人形やらびいどろやら、色硝子やら、きれいでいい匂いのはなしをぞんぶんにやるといい」

「ありがとう、花屋さん。

こんな、寂しいところに呼ぶのなら、何かもてなしを考えないといけないわ。

私の代わりに青い月の花をつんできてくれるかしら。

あの、山を守るものの住処に一輪だけ咲いているそうよ」

「あの、おっかない醜い化け物の巣にそんなきれいなものがあるなんて初耳だ」

「山を守るものは月の光を受けると化け物の姿に戻ってしまうから、どんなに美しくても、花には手を出せずにいるんですって」

「わかったよ、お嬢さん。 

その花をすぐにとってきてやる。

枯れる前に、花弁の1つも落とさずに」


 何から何まで出鱈目だらけ。

 遠い異国のお嬢様に化けて会いに行くなんて、そんなこと、あの少女は嘘に敏感だ、仕損じたらどんなに傷つき、落胆するだろう。

 洞窟の奥には一輪の花が咲いていたが、それは青いだけのただの花。月の光を飲み込んでいる宝物だと、少女は信じこんでいる。


「お嬢さん、月の花だが……一足遅く散ってしまっていたんだ、代わりにあけびの花をあのひでえ化け物から盗みとってきた」

「まあ、ありがとう。

でも、山を守るものが怒って、あなたにひどい仕返しをしないかしら」

「あいつは月の光をあびると、けむくじゃらの狼になってしまう、そこを狩人の鉄砲がずとんと撃てばあっけないものでさ」

「あの山には狩人がいるの?」

「爺さんがひとりと、若い弟子がなんにんかで、山を守るものを狩ろうとしているらしい、なにせいつもどてっぱらに一発打ち込むと、尻尾を巻いて逃げ足が早いのなんの……この前のは死にかけた、ほんと危ないところだった………あっ、いけねそんなのオレが知ってるはずもない」

「コホコホ……コホコホ」

 少女が身をよじって咳をする。

 布団の横に置かれた法螺の貝殻にぴしゃりと赤い血が降りかかる。

「誰か大人を呼んで来ようか」

「いいんですよ。

 呼んでも誰も来ません。  

 私は近々、山を守るものの洞窟に捨てられてしまうんです。 

 もう、助からないことをみんなが知ってるから」

「そんなことは……」

「花屋さんも大人だから、よく知っているでしょう。

 肺を患ったひとが、血を吐く量がだんだん増えていって、それを吸い込んでしまったらたちまち、その人も肺病になる」

「そんなのは迷信だ。

 都会の医者に見せれば、ペニシリンだのゲートルだの、よく効く薬をすぐに出してくれる。

 だから、諦めずに……捨てられたら、オレが責任を持って都会まで連れていくから」

「狼さんは嘘つきだから信じないわ」

「オレは狼じゃないよ」

「隠していても、いつも手紙に銀色の毛がついていたのよ」

「都会の医者のことは嘘なんかじゃない、俺は見た……いつだか、檻の中で白くて大きな建物に、ぞろぞろした白衣着たやつが何人もいるのを。

あれだけ人がいれば、どこかにひとりはお嬢さんの病気をなおせるやつがいるって……だから」

「こんな貝殻……こんな花………わたし、眠ると怖い夢しか見ないの。 

 海なんかちっとも見えやしなかった」

 少女は震える手で枕元の貝を床へと叩きつけようとする。だが、それも出来なかった。

「次の月夜に凄腕の医者を連れてくる、きっと助かるから、そしたら、ほんとうのともだちにも会える。

 海にだって、野原にだって、あの山の向こうにだって行けるはず、信じてくれ」

「信じないわ……。

 もう、私は狼に食われてしまうんだから」 


 満月だというのに、山を守るものは少女が本当にのぞむものは何も持ってこれずに少女のもとを訪れていた。

 手の中には手紙と野山で摘んだ花の束があった。

 獣の姿ではいけない。適当なボロ布をかぶり、山を守るものは戸口から静かに少女の寝顔を見つめている。この前よりうんと痩せていた。

 血もたくさん吐かれたらしく、畳の筋にまで赤く黒いあとが残され、布団は少女の流した冷や汗でぐっしょりと湿っていた。

「魔界から幽霊の医者が来たぞ」

山を守るものはなるべく、仰々しくなるように声を籠もらせる。

「あの狼さんは?」

「そいつはわたしの魔術を喰らい、山の向こうまで吹き飛んでしまったよ。

 さあ手首をみせてご覧、脈診をするからね」

「お医者さんの手はどうしてけむくじゃらなの」

「それは寒さから誰かをひきとってやるためさ」

「お医者さんの目はどうして腫れているの」

「それは何人もの臨終のひとを手にかけてきたからさ」

「お医者さんの頭はどうして狼に似ているの」

「それは今夜が月夜の晩だからさ」

 バツの悪い顔をしながら、山を守るものは被っていたぼろ布を外して、獣人の姿を少女に見せた。

「やっぱり、あなただったのね」

「都会のお嬢さんなんてのは、俺の嘘だ。すまない。

 それでも、俺は月夜いがいは何にでも化けてやれる。

 ともだちにも、おふくろさんにも、学校の教師、親切な医者、なんにだってなってやる。  

 この手紙、真似して書いたんだ。

 俺は物書きとしては三流だが、なかなか上手くかけたもんだと思う。

 獣くさい手紙を書いて悪かったな」

「私、友達の代わりもお母さんの偽物も、学校の先生なんかの代わりもいらないわ。

 その代わり、ただの花を持ってきて。ちっぽけな貝殻を、魔法の使えない枝切れでも、何でもいい。

 私はなんでもないあなたの嘘をきいて、笑うってことをしてみたい。

 また来て下さる?」

「俺は薄汚い野良狼なのに?」

「どうせひとりきりの部屋だから。誰も止めたりしないわ。

 約束よ……約束、次の月夜も狼の姿を見せて頂戴、私、ちっともあなたのすがた、こわくないの」

「わかった、約束だ。

 次の月夜も俺は俺のままで会いに行くよ」 

 次の月夜なんて来ない。  

 狼は直感で悟っていた。  

 娘の身体がもう、そこまで持たないだろうということを。


 おまえはおれのおまもりで、おまえの匂いはつめたい薄荷の花に似ていた。地獄に咲いた花だった。

 ともだちになれたらさいわいだ。


 月夜が来る。  

 狼は文だけを懐に、山河を割るように駆けていた。

 だあん!

 狩人の鉄砲が狼の胸板を容赦なく貫く。

 狼はふらついた四肢をふるわせ、月の光を切り裂くような吠え声をあげる。

 その余韻に山じゅうが、狩人までが震え上がる。

「どうした、撃て!」

「撃てません、おそろしくて、とても」

 狩人たちが追ってくる。

 撒かなくては。  

 だって、あの小屋でくだらない嘘をつけるのは、この世のどこにも、この俺だけしかいないのだから。

 だあん、ずどおん。

 鉄砲が2回、狼の手足を散り散りに吹き飛ばす。

 二本足だけになった狼は血の筋を雪に残しながら、ずりずりと這うようにして里を目指した。

 嘘を付きに行くよ。楽しい嘘を。遠くの海の向こうには幸せなお嬢さんがいて、ピカピカのガラスの靴を履いている。ああ、この話はもうしてしまったんだっけ。白い病棟の庭にはスイカズラが咲いていて、元気になった子供がそれを朝露で鳴らしてあそぶ……この話ももうしたんだった。

あるところにさいわいな娘がいて、幽霊の医者が病を治し、娘は鳩の翼で大好きなお日様を浴びに行きました……そうだ、おれはあいつにお日様を見せてやれる、たったひとり……。

 最後の銃弾をまともにくらい、狼の体はぐらり、とかしいで動かなくなった。

 血の花が雪に化粧して、空から降る雹の礫が狼のからだを容赦なく打ちのめした。 

 雲が月を覆い隠す。振り出した雹の勢いはますばかりだった。


 あなたが持ってきた嘘を並べてみたの。

 海の音、月の光を飲み込んで咲く花、遠い都会の話。窓の奥のお嬢様のお手紙なんて、筆の字までうそばっかり。

 よく考えてついてくれた嘘は、何もかもの本当よりずっと良かった。

「私、死ぬんだわ。

 死ぬ前に海の音、聞けてよかった。

 ………ふしぎね。咳をすると苦しいだけなのに、もう咳ができなくなったら、吐く血の匂いが恋しくなった」

 格子窓を雹のつぶてがかり、かりと打つ。

「そうだ今日は特別寒いんだった。

狼さん、あなたの毛皮はどうしてぶあついの?

それはな、それはな……あぁ、私にはこの先がわからない。

やっぱり、あのひとの嘘を聞かないと。

まだかしら。きっと嘘を考えていて、うんと遠回りして来るんだわ」


 狼は花を散らして、雪の白じろとした地面に力なく横たわっておりました。

 もう、絶える息で彼は自分の手の中の最後の贈り物を、光のないひとみで見つめていました。

 それは、月下美人の花でした。

 異国商人の屋敷に忍びより、ただの一輪だけ盗み出した、夜しか咲かないうつくしい、白い花でした。

 月下美人の花が頭をもたげて、素晴らしい芳香をあたりにふうわり散らしました。

 その花言葉は-----。


『ただ、もう一度だけ、会いたくて』

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