4
高校二年の夏前に川村とは別れた。僕が外に出るのが億劫で、川村とデートをほとんどしなかったからだ。申し訳ない気がしてきたけど、過ぎたことは仕方がないと気を取り直していた。
日射しが強くコンクリートを焼いていたある日、駅の階段を下りていると、段差の前面が青色で塗られていることに気が付いた。不思議に思って、階段を降り、全段の前面を見れる位置に経つと、一枚の絵が表れた。階段アートが描かれていたのだ。
青い海の中で、水面から差し込む日射しが白い線で描かれている。制服を着た女の子と白熊がさかさまに飛び込んで目を閉じている。水中なのに、カメラのレンズに水滴が付いているように表現されている。
最下段に、タイトルと名前と学校名が表記されていた。
『Dive into the Mother Ocean!』。それはモッチーの作品だった。
その夜、僕はモッチーにLINEした。
『久しぶり。これ、モッチーの作品?』
写真を添付して送ると、二分後に
『本怖サイト見てたから着信音にめちゃくちゃビビったw』『そうだよー』
『うまいね!』
『まだまだ』『もっと行きます』
『これじゃ不満足?』
『不満足も不満足。だって、これじゃ世界は何も変わらないよ』
『世界変えたいの?』
『少なくとも私の周りの世界はね』
『化け物にでもなるつもり?』
『世界を壊せるなら化け物にだってなってやるよ』
『さすが』
それから三分くらい経って
『川村と別れたんだって?』
『なんでそれを知ってるの?』
『この前川村から聞いた』
『そうなんだ』
『後悔してる?』
後悔しているかどうかと言われたら、多少はしていた。一緒に居るときは煩わしく感じることもあったけれど、隣に誰もいなくなったと思うと、ぽっかりと穴が空いたような寂しさを感じていた。
『うん。多少は』
『ほらね。言ったとおりでしょ』
『え』『なにが?』
『部活引退する前さ、君はいつか後悔するって言ったじゃん』
『あ、そうだった。』
『案外、早かったね』
僕はくすりとした。モッチーのにやついた顔が想像できたからだ。
『そういえば、私もこの前君の事見たよ』
『え、どこで? いつ?』
『三週間くらい前の駅で』
『そうなんだ。話しかけてくれればよかったのに』
『なんか、人と話す気分じゃなかったから』
モッチーが話しかけてくれなかったことに少しショックを覚えた。なぜだろう?
『久しぶりの僕はどうだった?』
『相変わらずオタクっぽい』
『は?』
『うそうそ、相変わらずイケてる!』
『は?』
『www』『じゃあね、メメント・モリ』
まだそれを口癖にしていたのかと、おかしくて笑ってしまった。
しかし、それきり会話はなかった。『
僕は中学校の思い出を次第に忘れていった。青木の死は、いつしか薄ぼんやりとした霧のように消えて、川村もモッチーも記憶の中からは消えた。ただ、あの美術室で見たモッチーの絵は、いつまでも忘れることはなかった。
*****
大学を卒業したばかりの僕は、東京に出てきて、就職先の会社での用事を済ませてからビル街を散歩していた。真っ白いビルはまるでキャンバスのようだった。ビルの合間にある喫茶店に入ろうとすると、隣のビルから身長の高い男が出てきた。
そして、その人物には見覚えがあった。髪型は変わっているが、顔は中学生の時と変わっていなかった。
「おまえ、柏崎じゃないか!」
「ん、おまえか! 久しぶりだな」
中学生の時に姿を見せなくなった柏崎は、髪を整えて、スーツも着こなして、立派な大人っぽくなっていた。
「おまえ、なにしてるんだ?」
「ふふふ、それはだな、なんとゲームを作ってるんだ」
柏崎が出てきたビルを見上げると、看板に、インターネットでよく見るゲーム会社の名前が、かわいらしいマスコットキャラクターと共に載っていた。
「すげぇなあ」
「すごいだろ」
二人で喫茶店で昼食を取ることにした。柏崎は人知れず中学を卒業した後、通信制高校でプログラミングを学びながらゲーム会社でアルバイトをして、そのまま社員になり上がったのだという。
「人生なにがあるかわかんねぇなあ」
「そりゃそうだよ。最初から分かってたらヌルゲーすぎてつまらんだろ」
「そうかもね」
それから、やはり中学時代の話になった。
「そういえば川村なんて奴もいたなぁ」
「ひどいなぁその言い方。僕と付き合ってたのに」
「そう言えばそうだっけ。学校行ってねえから忘れてたわ。あははは」
「そんなこと言ったら……」
死んだ青木が悲しむよ──と言いかけてやめた。人の死を軽々しく口にするのは良いことではないと、学んでいたからだ。柏崎もそれを了解していたようで、青木の話題を回り道するように避けた
「モッチーは? どうした?」
「モッチーか……知らないね」
「あいつ、絵が上手かったからな。今頃世界を股にかけるスーパー画家とかになっていたりして」
「えぇ。モッチーが? そんなに人前に出るような性格じゃないと思うけど」
「もしもの話だよ。それより、お前、その漬物食べないの? 俺が食べちゃうよ」
定食に付いてきた漬物に手を付けていなかったのを見て柏崎が言った。僕は漬物が嫌いだった。
「どうぞ」
店を出ると、春風が頬を撫でた。
「彼岸の時期だなぁ。青木の墓参りでもしてやらなくちゃな」
柏崎がぽつりとつぶやいた。今まで避けていた話題を、あえてここで口にした。
「俺、実は青木のことちょっと好きだったんだ。死んでからのショックはすさまじかったけどな」
「だから学校来なくなったの?」
「そういうこと」
「じゃあ、僕も今度墓参り行くよ」
「そうだな。川村とモッチーも誘ってな」
「うーん、そうだね」
一体二人はどこで何をしているのか。ここで柏崎と出会ったのも運命だ。だから、ここで二人にも会えるような気がした。
果たして、その予感は的中していた!
駅の入り口の高架歩道デッキに続く階段を上っていると、ビルの影に隠れていた百貨店の大きな壁が表れ、なにか描かれていることに気づいた。
「なんだあれ?」
「見てみよう」
デッキの、最も壁が見やすい場所に人だかりができていた。その中で、髪が長く、スーツを着た女性が、じっと見入っていた。
「おい、あんたもしかして……」
柏崎が声をかけると、女性は目を見開いて言った。
「あ、あんたたち?」
川村が、困惑して僕たちを見た。なぜここにいるのか。なぜこの場所で偶然出会ったのか!
「何を見ていたんだ?」
「あの絵」
百貨店の壁を指刺した。そこには。
巨大な絵が描かれていた。
白黒のモノクロームで、何度も思い出したあの絵。『メメント・モリ』の青木を模した女性が、再び白黒で、キャンバスに描かれている。
「モッチーだ……」
白黒の地球を掌に載せた女性が、勝ち誇った表情でこちらを振り向いている。その周りには、宇宙空間の真空が荒々しい奔流として描かれて、青い空にまで浸食している。そう、この絵は、キャンバスを超えて世界に描かれているのだ。
この世界そのものに刻み付けるかのように。
壁の余白に、空まで飛び出した黒く力強い文字で、タイトルがこのように書かれていた。
『現実さえもぶっ壊せ!!』
モッチー ゆんちゃん @weakmathchart
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます