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 七月の最初にある引退試合の直前、川村は腕を骨折した。トレーニングのし過ぎで起こる疲労骨折らしい。試合に出られないと分かった後の川村の荒れ具合はすごかった。泣いたと思えば怒って物に当たるし、僕もちょっと殴られた。殴るたびに骨に響くみたいで、川村は顔をしかめて「いてて……」と言った。

「無理しないで休めよ」と僕。

「だって、だってぇ。せっかく、大会のために、練習あんなに頑張ったのに」

「確かに君はものすごく頑張っていたよ。でも、骨折しちゃったのはしょうがないだろう。ひどくならないように休んで……」

「うう、うわあん」

 川村は号泣した。放課後の、やはり部活の掛け声が聞こえてくる教室で、僕とモッチーとで慰めているところだった。

 二人で川村を慰めながら家まで送っていった。川村のお母さんは申し訳なさそうに「ありがとうね」と言って、川村の肩を抱いて家に入っていった。

 閉ざされた重い玄関の前に、僕とモッチーだけが残された。それぞれの家に戻るまで話しながら歩いた。

「川村、かわいそう」

「ね」

「世界って理不尽」

 モッチーはそう言って地面の石ころを蹴っ飛ばした。転がっていった先は排水溝で、ぽちゃんと音を立てて見えなくなった。

「ね、川村とはやったの?」

「え!」

 僕はびっくりしてモッチーの方を振り向いた。にやにやしながらこちらを見ていた。

「何言ってるの?」

「だから、やったの?」

「いや、そんなこと言わないよ」

「ノーコメント? じゃあやったんだ」

「何言ってるんだよ。もう」

「どうだった? どんな感じ?」

「うるさいなあ!」

 僕はモッチーから距離を取った。興味津々そうに笑って、モッチーは「スケベだ! 顔赤いよ」と言った。

「そんな話、こんなところで言えるわけないだろ」

「ケチ」

 ケチではないだろう。笑いが引っ込んだのか、モッチーは眠そうにこちらを向いて

「君は、引退試合は?」

「僕? うーん、たぶん明後日かな」

「たぶん? 大会の日程覚えてないの?」

「不真面目だから」

「だから、それ後悔するよ」

「後悔って? どうして?」

 得意気にモッチーは言った。

「例えば私たちが大人になって、会社に入ることになって、大事な予定があったとするでしょ? で、君は今みたいに、大事な予定の日を忘れて、ギリギリで思い出すってことをするでしょ? その時は助かるけど、そんなことを続けてると、いつか大事な用事をすっぽかして、怒られて、クビになって、路頭に迷って……」

「いやいや、話進みすぎでしょ」

「あははは」

 モッチーはもう一度笑った。学校と家に続く分かれ道で急に立ち止まると、

「やっぱり、学校に戻って部活行こうかな」

 と言った。

「あれ、帰らないの?」

「うん、君と話したら絵を描く気分になった。後悔したくないからね」

 後半を力強くそう言った。モッチーのやる気が僕に伝染して、家に帰ってサボる気分ではなくなった。

「じゃあ、僕も」

「え? なんで?」

「大会直前だからね」

「素直じゃないね」

「なにが?」

 モッチーはもう何も言わなかった。


 大会の結果、僕はトーナメントで二回勝ってベスト三十二だった。僕としてはこれまでで一番良い成績だった。けれど試合を見に来ていた川村は「全然ダメ!」と非難した。

「そんなこと言ってもな」

「だって、ずっと同じ手でやられてたよ」

「本当?」

「うん。対処しなくちゃ」

 その時、顧問の先生が集合の指示を掛けた。「行かなきゃ」と言って逃げるようにその場を去った。

 引退試合が終わった後は、クラスのほぼ全員が受験勉強に力を入れるようになった。僕と川村は同じ高校を目指し、モッチーは美術コースがある都内の高校に志望校を定めた。とはいっても、やはり中学生だから勉強をするよりもふざけることの方が面白かった。クラスの男子は冬くらいになると、『旅立ちの日に』を歌いながら校内で鬼ごっこをはじめ、先生に怒られることが多かった。たまに女子も混ざっていて、川村はその中でリーダー格だった。

 受験が終わった三月上旬、僕は親にスマホを買ってもらった。大人が良く使用しているそれは、僕たちを大人になったかのように思わせた。だが、学年の中では中学一年生の時からすでに持っている生徒も結構いた。

 僕はモッチーと川村にLINEの連絡先を教えてもらった。途中で学校に来なくなった柏崎は、誰も詳細を知らないようだった。

 卒業式のあと、僕とモッチーは、川村が部活の後輩に囲まれているのを見ながら、新しいスマホで校舎と桜の写真を撮っていた。

「スマホって、こんな感じなんだな」

「どう?」

「なんか、パソコンより小さくて使いづらい」

「慣れるでしょ、すぐ」

「モッチーの写真撮っていい?」

「え、ダメ」

「ケチ」

「私撮るより川村撮りなよ」

「それもそうだなぁ。そういえばモッチー、家庭科の授業でネットで有名なゲームの二次創作の絵本描いてたよね。見せてよ」

「はぁ? なんでそんなこと覚えてるの? 今更やだよ。黒歴史」

「モッチーにも黒歴史ってあるんだ」

 けらけらと笑うと、川村が寄ってきて「写真撮ろ!」と言ってきた。

「いいよー」

 モッチーが言った。

「え? モッチー写真嫌いなんじゃないの?」

「集合写真は、別」

「なんだそれ!」

「二人とも何言ってるの? 撮るよー」

 その日以降、モッチーと直接話すことはなかった。

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