第6話<<邂逅>>②

 勉強など、はかどるハズも無し。

 春花はるかは頭の中でつぶやいた。

 いつもより早めに着いたとは言え、残されたタイムリミットはたったの十分。それで充分と言う人もいれば、無理と言う人もいる。当初、前者ぜんしゃの考えだった春花は、ぐに絶望のふちに叩き落とされた。範囲は日本史の弥生やよい時代。訳の分からぬ遺跡いせきやら土器どきの名前が出てくる。彼女にとって、これを十分でマスターするのは不可能に近いのだった。

 思わずれる吐息といき。頭をかかえて項垂うなだれていた春花の肩に、牧子まきこが優しい手つきでポンッと手を乗せる。


「まだ諦めるのは早いよ。もうちょっと頑張ろうよ」

「牧ちゃん、そう言ってくれるのは大変嬉しいんだけど、もう駄目みたい」


 そう、春花は幼馴染おさななじみである鉄郎てつろうと小テストの点数をきそっているのである。勝てば極楽ごくらく、負ければ地獄じごくか。一点でも低ければ、彼は涙目になるほど腹を抱えて笑うだろう。それも一ヶ月は顔を合わせる度に。そんな事も、全ては春花が悪いのだが。

 一年生の時に、春花がたまたま得意な範囲で小テストが行われた時、鉄郎を完膚かんぷなきまでに叩きのめしたのだ。その時も、彼女は高笑いでコケにしていたのだ。きっとそのせいだろうが、何故なぜ今なのかは分からない。多分、彼の得意な範囲なのであろう。かく、春花は絶体絶命ぜったいぜつめいであった。


「牧ちゃんも、最後まで勉強しなよ」

「春ちゃん……」


 先生とは時に、いな、常に非情ひじょうな者である。

 遅れる事なく扉を開き、オジさん先生が入って来たかと思えば、次の瞬間しゅんかんには口を開いている。


「小テストだぞ。自分の席に戻れ」


 春花は心の中で「ひぃー」とおびえていた。のだが。


「その前に、お前らに言う事がある」


 クラス内の同級生は皆、顔をハテナにした。


「今日からウチに転校してきた石暮翔一いしぐれ しょういち君だ」


 扉からスタスタとやって、オジさん先生の横に立った少年の顔を、春花はどこかで見た事がある様な気がした。いや、気がしたではなく、見た確信かくしんがあった。


「石暮翔一です。よろしくお願いします」


 ボサボサの髪の毛、程良く整った顔立ちではあるが、視線はおもむろに下を向いていた。なんと言ってもその声。必ず聞いた事がある、どこか緊張感きんちょうかんのあって良く通る声。

 しかし、それがどこで見聞きしたのかを思い出せない。思い出せず、もどかしく感じながらも、身体からだが勝手に動いてしまっていた。


「アンタ、見た事ある」


 立ち上がりつつ、声のトーンなんてものも気にせず、彼女自慢の大声を使った。ガヤガヤとさわいでいた同級生達は、思わず彼女の方を向いてしまう。オジさん先生もキョトンとしていた。


「……翔一君、知り合い?」

「……いえ、全く」


 何とも出鼻でばなくじかれたかんがあった。

 近くの席の牧子は「春ちゃん座って、座って」と小声で言うが、春花の耳には届かない。が、自分が何をしでかしたのかをさとった春花は、次の瞬間しゅんかん席にいた。


「な、なんでもありません。すみません」

「き、きっと寝不足ねぶそくなんだよ。ね?」


 牧子がフォローを入れるものの、春花の奇行きこう教室内きょうしつないはドッといた。普段ふだんから馬鹿なのはバレていたが、突然 突拍子とっぴょうしの無い事を言う阿呆あほうでは無いだろうと思われていただけに、この反響は大きい。


「えぇ。なら、じゃあ……翔一君、あの席に着いて」


 はい、と答えると彼は後ろの席に向かった。


「じゃあ小テストやるからな。机 筆箱ふでばこだけにして」


 しかし、春花は諦めていた訳ではない。


(絶対どこかで見た事ある。絶対 突止つきとめる)


 と意気込んでいたが、配られたプリントを見ると顔から生気がどんどん抜け落ちる。


(こっちも全然分からない)


 東雲春花しののめ はるか、高校二年生最初の関門かんもんであった。

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東雲春花は夢を見ない @nakayama_siun

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