第02話:リプロス再訪——弔問 その2


 アルスは高地にある、空に向かって開けた、美しい街だった。家並みは古かったが、どこもきちんと人の手が入り、掃き清められ、清潔だった。この街の人心が、その人柄が、確かに、隠れようもなく表れていた。


 その日の夜はトラビスの家に泊まった。トラビスはヴォルフよりひと回り、十歳年上で、二人の息子はすでに成人し家を出たとのことだったが、しかし、首都アフロディーテ奪還の立役者の一人だった「ガンマン・ヴォルフ」にひと眼会おうとわざわざ集まって来て、みんなで一緒に夕食を摂った。


 トラビスは、あの第二次ウェールズ侵攻の後、リプロス奪還の重要な足掛かりとなった残留ゲリラ部隊の指揮官として、リプロス共和国軍の参謀本部に招聘されたがそれを辞退、今は国軍の訓練廠で白兵戦の指導をしていた。


「あんたらしい」


 息子達は帰り、ダイニングで小さなガラスの器に満たされた蒸留酒を舐めながら、ヴォルフは言った。羨ましい、そう思った。


「ローディニアでの暮らしはどうだ?」


 顎を上げてグラスを干し、トラビスは訊き返した。


「ヒデェもんさ、聞いてるだろ?」


 痩せた頬を覆う不精髭を撫で擦り、ヴォルフはため息を吐いた。


「地獄だぜ」


 終戦から十五年を経ても、二十年戦争終結後の混乱からローディニア合衆国は抜け出せずにいた。戦争が、永く続き過ぎた。あまりにも、激し過ぎた。


 翌朝、陽が高くなるのを待ち、ヴォルフは発った。軍装ケープの下や背嚢に隠した銃火器類・その他の武装は、トラビスの家に預けた。戦死した若者を弔おうとするヴォルフの、せめてもの、礼儀のつもりだった。


「いい天気だな」


 門扉の前で見送りながら空を見上げ、トラビスは言った。


「神のご加護……だったよな?」


 ヴォルフは振り返り、笑みに眼を細めて返した。


「あはははは……」


 トラビスは笑い、そして手を振った。


「ルナによろしく」


 ルナの生家は、近隣を見下ろす高台にあった。その高台の集落を目指して、ヴォルフは坂道を歩いて上った。


 陽射しが、暖かかったが、

 風が強く、冷たかった。

 そして空が、——青い。


 もの凄く青い。


 明るい緑の山並みの間に、とりどりの色の屋根が見えた。そしてその向こう、遥か遠くに、午前の光にきらめく海が見えた。霞んだりせず、くっきりとした輪郭と、色彩とで眼前に迫るその景色は、空気が、乾燥しているせいだ。地中海、——


「ラ・ピュセル・ドゥ・メディティレイニアン……」


 知らず、そう呟いていた。地中海の、乙女、か……


 ルナの生家は、丘の上の木立にあった。決して大きくは無いが、しっかりした造りの建物だった。その佇まいは、何代かに亘って住み継がれた歴史と、積み重ねた生活の、その重みを感じさせた。


 年月を吸って黒くなった木製の分厚い扉、その扉に嵌め込まれた真鍮製のドア・ノッカーを使う。硬い金属音が、低く、重く響く。急に、ヴォルフは、この家が二代続いた偉大なサーベル使いの家柄であることを思い出す。


 思わず固唾を呑み、無意識に息を詰めて待っていると、扉の内側から、パタパタと、軽やかで、しかし控えめな足音が聞こえて来た。やがて、その重たい扉が開き、中から、白くて、柔らかな姿——そう、うら若き女性が現れた。


「ヴォルフさま……ですか?」


 控えめな、しかしはっきり通る声で、女性は言った。トラビスが、連絡を入れてくれていたのだ。


 ——美しい。


 ヴォルフは、その女性の姿に息を呑んだ。潤いを含んだミルク色の肌に、少女を思わせる華奢なからだ、湧き出でる泉の底を覗いたような、神秘的な瞳の色彩……


 そして、その美しさに、ヴォルフは見覚えがあった。


「ルナ……」


 思わずそう呟き、しかしすぐ非礼に気付き、


「失礼……」


 短くそう言った。しかし、まだ娘と呼ぶべき花のごとき女性は、微かに頷くようにあごを引き、可愛らしく微笑んだ。


 ルナじゃない、そう思った、ルナとは違う。しかし、ルナがもし女性なら、きっと、こうだったのに違いない。あの、繊細なガラス細工のような危うさは、無かったに違いない。


「あなたは、ルナの……」


 ヴォルフは、そう花顔の娘に言いかけて、すぐに思い直し、言葉を変えた。


「あなたは、ルナ・シーク・ベルスレイフ殿の……」


「はい」


 ヴォルフの問いを受けて、娘は、


「ルナ・ベルスレイフは、わたしの……」


 そのまま言い淀み、そして困ったように、少しだけ笑った。どう言うべきか、迷っているようだった。だが、それも一瞬のことで、やがて娘は、頬肌ほおを上げて、はっきりと言い放った。


「ルナ・ベルスレイフは、わたしのです」


 ——ルナ・シーク・ベルスレイフ、


 それは連合王国からリプロスを奪還し、その首都攻防戦のさなかに壮絶な戦死を遂げた、の名だった。














































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