月影に涙する異邦の少年は、やがて剣を取り救国の英雄となる

刈田狼藉

序章

第01話:リプロス再訪――弔問


 風が強かった。


 空は、目を疑うほどに青く、圧倒的な高度に抜けて、乾いた気流に引きちぎられた雲が、その一面の紺碧に鋭い爪で引っ掻いたような傷を、白く、細く、刻みつけている。


 まるで、

 その威圧的なまでの高度に、戦いを挑むかのように。


 まるで、

 その絶望的なまでの虚無に、無駄な抵抗を試みる者のように。


 地中海の東に浮かぶリプロス島・西岸の港町、ガゼルユートに一人の男が降り立った。


 薄汚れた身なりの、痩せた男。


 南欧と、中東と、その双方の文化と風俗が溶け合ったこの地域にあって、その男の服装は黒っぽく汚れて地味なものではあったが、それでも異彩を放ち、人目を引いた。魅力的だったとか、そういう訳じゃない。「異質」一言で表現するとそうなる。


 埃じみたキャトルマン・ハットに、丈の長い砂防用のケープ・コート、土と同じ色のカーゴ・ズボンに、編み上げの軍装用のブーツ、不精ひげに覆われた頬は垢じみ、そして、銀色の瞳をしていた。


 背は高い。


 リプロスの住人は十三世紀に北欧から渡ってきた「ダイン・スレイヴ」と呼ばれる民族で、皆一様に長身だったが、男はそれよりも拳ひとつ分くらい高かった。


 男の「風体」は、人々に、近年話題に上ることの多い、ある「不穏」な素性を連想させた。


 ローディニア合衆連邦共和国の「兵役崩れ」――


 十五年前に終結した太平洋二十年戦争。その際に環太平洋地域を広く転戦した膨大な員数の合衆国軍兵士が、その戦争の終結と同時に失業者となり、そのほとんどは帰国したが、長い年月に及んだ世界大戦に疲弊し切った合衆国は、経済的には完全に破綻していて餓死者が後を絶たず、治安的には州同士が攻伐し合う内戦状態となっていたことから、兵役解除者の一部は帰国せず、そのまま世界中に散って行き、各地で問題を起こしていた。


 強力な火器を持つ完全武装の失業者、それが合衆国「兵役崩れ」だった。戦争による社会全体の損耗から地獄と化して久しい合衆国の失業軍人は、神も、倫理も、国家も、道徳も、一切何も信じない、世界で最も悪質で、そして手に負えない、荒くれの「ならず者」だった。


 しかし、雑踏を行き交う人々の振る舞いに、曰くあり気な長身の男を、怖れる気配は無い。全く無い。殊更に無神経な勇気を気取るのではなく、気にしていないのだ。そう、ここはサーベル使いの国。中近東・地中海地域にあって最強を謳われた戦士、ダイン・スレイヴの住まう土地なのだ。


 その痩せぎすなキャトル・ハットの男は、乗り合いバスの停留所を捜して人混みの港の中を暫し歩き回った。ここ・ガゼルユートから目指す山間の田舎町・アルスまでは、三時間くらいはバスに揺られる必要がある筈だった。


「ヴォルフ!」


 人混みの中から不意に名を呼ばれ、男はそちらに視線を走らせながら反射的に、分厚い生地の軍装ケープの下で拳銃の銃把を掴んだ。西部劇のガンマンが、砂避けにコートではなくポンチョを羽織る理由、——「殺意」を気取られずに銃把を握る、そのためのケープだった。


 視線を巡らせた先に、懐かしい人影が立った。短く刈り込んだ髪に、同じく短く刈り込まれた口髭と顎髭、日灼けした目元・口元に皺を刻んだ人懐こい笑顔、細くも引き締まった体躯、——


「久しいな、ヴォルフ」

「トラビス、……」


 男、——ヴォルフは、ケープの下で銃把から手を離し、僅かの距離ももどかし気に歩み寄ると、その手を差し出して握手を求めた。


「どうして、……」


 誰にも告げない不意の訪問の筈だった。


「ガゼルユートには用があって来たんだ、そしたらさっき市場の方で、船着き場に合衆国の「傭兵崩れ」がいるって言うから、はは、見物に来たんだ」


 傭兵崩れ、——意味は「兵役崩れ」と一緒。兵役解除者、愚連隊だ。


 二時間後、流れる山岳地帯の景色の中にヴォルフはいた。トラビスが走らせる四人乗りの四輪駆動車に揺られて、山あいの街道を南進し、アルスの街を目指していた。


「アルスには何しに?」

「弔い……に」

「ルナか?」

「ああ、そうだ」


 五年前はまだ、リプロスこそ奪還したものの、中近東地域に於けるウェールズ連合王国とソユーズ共産主義連邦の脅威はまだ去ってはおらず、ルナの埋葬も仮のものだった。そして合衆国から命を狙われていたヴォルフは、すぐにそこを離れねばならなかった。一時期ではあるにせよ共に戦った前途ある若者の死をきちんと弔い、悼みたい――長く、そう思い続けていた。


「アルスは初めてだったよな?」


 トラビスはずっと笑い続けているようにも見える細い眼で、前を見ながら助手席に向かって話し掛ける。


「そうだ」


 ヴォルフは流れる景色を横眼に眺めながら答える。


「意外だな」

「そうかな」

「ずいぶん長い間、お前と一緒に戦って来たような気がする」


 ヴォルフは空を見上げて、少しの間考えてから、答えた。


「オレも、そんな気がしてる」


 そこで、二人の視線が思いっ切りブツかった。互いの顔を見ようとしたのだ。二人とも、同時にすぐに、弾かれたよう反対側に顔を背ける。照れくさかった。


「はっ」


 照れて強がったようなヴォルフの表情。


「あははは」


 トラビスは屈託なく笑いながら続けた。


「ところでさ、前から気になってたんだか訊いてもいいか?」


「いいぜ、何だ?」


「最初にお前が、オレと、ルナと、あとフランチェスカに、バビロニアで会った時、最後の、別れ際のガルトゥース軍港……覚えてるか?」


「十二年も前のハナシかよ!」


 ヴォルフは笑った。懐かしそうに眼を細める。


「ムジャヒディーンの連中と派手にやらかしたからな、覚えてるさ」


「あの時、お前、ルナとデキてなかったか?」


「えっ?……」


 ヴォルフはトラビスから視線を外し、遠い眼になった。


「あの時オレは二十三だから、ルナは……まだ子どもだったよな?」


「あの時ルナは、まだ十三歳だ」


「だろ?それにオレが会った時は


「……だな」


 トラビスは大人だった。ヴォルフの言葉を否定せず、そのまま受け入れて、続けた。


「あの後、ルナは本当に変わったんだ、弱虫なんかじゃなくなった、お前のことをよく口にしていた、眼を輝かせてさ、最期のアフロディーテの時まで、お前のことを、本当に尊敬しているみたいだったぜ」


「そうか……」


 ヴォルフはそう呟き、そして気取られないようにそっと、息を抜いた。
































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