僕は今日から狐になった

藤原

第1話

「今日はちょっと遅くなっちゃったな」


 今日は学校からの帰りが少し遅くなってすっかり暗くなってしまった。お腹も空いたし早く帰りたくて家路を急いでいると、どこからか聞いたことのないような音が聞こえる。空耳かもしれないけれど、不気味さを感じて少し小走りになった。


 そしてある交差点に差し掛かった時だった。奇怪な色をした炎と共に大行列が現れた。それはもとから歩いていたとかではなく、それはもう突然にだ。歩いていたら目の前にいきなり現れたのだ。怖くないわけがない。そして先ほど聞いた音もその集団から奏でられている。


「何これ……」


 そう口にせずにはいられなかった。頭のあたりから見ていると見える範囲の行列全員の頭に耳がある。視線を下に下げれば尻尾もある。どう見てもコスプレでもなければ、見間違いでもない。つまりこの人たちは人間ではない?

 そう考えると全身が恐怖に包まれた。冷汗みたいなものが出てくる。今すぐにこの場から離れたい。でもこのまま少しの時間でいいからこの行列を見ていたい。そんな気持ちもあった。


 葛藤の末、僕はこの行列が過ぎ去るのをこの場で見ることにした。これには見たい以外にも、家に行くためにはこの道を通らなければ踏切などの兼ね合いもあってかなり遠回りをしないといけないというのもあった。


 怖がっていてもどうにもならないのでとりあえず観察してみることにした。するとその行列の中にいる人? は紋付のようなしっかりとした服装をしている。傘を持っている人や暗いからか提灯を持っていたりもする。途中で楽器を奏でている隊列もあった。小さい頃におじいちゃんとかから聞いたこと嫁入り行列なのかもしれない。行列を作っているのは人間ではないけど。


 そんな行列を少し惚れ惚れと眺めていると、強烈な視線を行列の中から感じた。なんだこれは。そう思って、視線を感じる方向に身体を向けてみると、その正体はすぐにわかった。明らかに僕のことを見ている一人の男がいたのだ。当然、耳と尻尾もある。多分だけど僕を見ている男は狐。それにしても長身で顔も整っている。アイドルとかそういう顔立ちでもないけど、俳優にはいるかもしれない。そんな顔だ。つまりは王子様ではないイケメンだ。僕みたいな背の小さい何とも言えない人間とは大違いだ。


 だけどなんで僕のことを見ているんだろう。ちょっと疑問に思ったけど、男も行列の中にいる以上、流れに乗っているわけで考えていれば男も見えなくなっていく。そのまま行列は流れていく。流れていって行列そのものが見えなくなっていき、前をふさいでいたものもなくなるので僕は無事に家に帰れることができた。


 家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って宿題を終わらせてベッドに入った。だけどそうしている間もさっきの出来事が頭から離れなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 あれから僕は何もなく忙しく過ごしていた。学校での課題も多いしここまでの量を出すなんて先生たちは一体何を考えているのだろうか。でも今日はいつもの3分の2くらいで少なかったから何とか夕飯を食べる前には終わらせることができた。


 少し時間もあったので漫画を読んでいると、外から何か音がした。


「何だろう。風で何かひっくり返ったかな」


 確認のためにベランダに出てみると、どういうわけか男が手すりに座っていた。満月の光もあって極めて上品で謎めいた風貌を僕に見せている。が、そんなことが一番に浮かんだわけではもちろんない。


「はっ? えっ?」


 その不思議な男を見ると耳と尻尾があり、その異形はどこかで見覚えがある。そしてこの男もその中にいた。さらに僕に強い視線を向けていた男だ。そんな男がどうして僕の家にいるんだろう。


「君を迎えに来た。さあ行くぞ」


 こちらから何がどうなっているのかを聞こうとしたら、突然、意味不明なことを言ったぞ。


「何を言っているんですか!?」


 思わず叫んでしまったけど、男は意に介することなく、ベランダに出ている僕の腕をつかんだ。さらに身体をも抱きかかえてあろうことか、ベランダから飛び降りた。僕の家はマンションの10階でそこから飛び降りたら、ただでは済まない。


 どんどん落ちていき凄い風圧を感じる。怖くなって目を閉じた。


「もう目を開けても大丈夫だ」


 柔らかな声が聞こえる。男の声だろうか。もう風圧も感じない。状況をまったく把握できないまま目をゆっくりと開けると、地面がそこに見える。

 周囲を見渡してみると、どうもここは僕の知っている街ではない。道も舗装されていないし、お店の前には提灯がたくさんある。そう、感覚としては江戸時代とかの町のジオラマだ。でも、それともだいぶ違う。電気もありそうだし。


 だが、そんな景観以上に異なる点が一つ。歩いているのが人間には見えない。どこかに人間でない特徴がある。


「ここはどこなんですか」

「そうだな。それはこんな往来で話すのもなんだし私の家で話そう。そちらの方が落ち着ける」


 ん? そういえば僕って今、どういう体勢なんだろう。多分、抱きかかえられている……!


「あの、下ろしてください!」


 ようやく気が付いた。僕が今どれだけ恥ずかしい恰好をしているかを。


「そうか私としてはこのままでも構わんのだがな」

「いいから早く下ろしてください!」

「そうか」


 男は残念そうではあったものの僕を下ろしてくれた。これで地面に足をつけることができた。連れ去られたときベランダに出ていてサンダルを履いていたから裸足を避けることができたのは幸いだった。


 ともかく、地面に足を着けて、周りをゆっくりと見渡してみる。人間ではない何者かが街にいること、街並みが僕の知っているものとは、かなり異なっている。まず道が舗装されていない。つまりアスファルトが敷かれていないのだ。次に建物も違う。少なくともビルとかマンションのような高い建物がない。それに結構「和」というか、瓦屋根の建物だ。それだけかもしれないけど、街の繁華街がそのような様子だと感覚はかなり異彩だ。


「それでここは一体どこなんですか。それくらいはすぐに教えてください」


「そうだな。それくらいは歩いていても問題ないか」


 男は勝手に納得すると説明を始めた。


「初めにこの世界は君たち人間の世界ではない。世界にもいろいろとあるのだが、私たちが生活するこの世界と君たちの、つまり人間の過ごす世界は裏表の関係にある」


「裏表の関係?」

「そう、裏表の関係だ」


 そうは言われてもよくわからないが、それが顔に出ていたのか男はさらに詳しく説明を始めた。


「そもそも私たちは神に仕える存在なのだよ。そんなものたちが住まう世界。それがこの場所ということだ」


「でもそれでそうしてこの世界と裏表の関係になるんですか?」


「世界は表、つまり生きているものが住む世界がある。その逆が裏の世界ということだ。生きているという考え方が微妙に異なる世界だ。そしてそれに該当するのが神や神に仕える私たちのような存在。もっとわかりやすく言うと物の怪と言われる存在だな」


 分かったような分からないような。でもこの世界の人たちは普通ではないということは分かった。話している間にもそこそこ歩いた気がするけど、目的地はまだなのだろうか。


「それで目的の建物はまだですか」


「もう見えている。あれだ」


 男が指さした先には立派な門がある。お寺とか、お城にあるような門だ。


「立派な門ですね。こんなの見たことない」


「そうか、今は君たちの住んでいる場所にこのような門構えの住宅はないか」


「僕の知る限りでは家に使われているのは見たことない気がします」


 男はうなずき、門を開け、くぐった。僕も門をくぐるとそこには広い庭園があり、木々が綺麗に剪定されている。綺麗な庭で花も咲いている。見とれながら歩き、玄関と思われる場所の前まで来た。

 男はその戸を開けて建物の中に入っていった。僕も続く。


「お帰りなさいませ。お食事の準備も出来ていますが……、あらお客様ですか?」


 女性は玄関で頭を下げていた。この女性はもちろん人間ではなく、耳と尻尾がある。多分、男と同じ狐だろう。尻尾とかが男のそれとすごく似ている。


「ああ、おい、食事は食べるか?」


 夕飯はまだ食べていなくてお腹もすいている。ここはご飯を頂くことにしよう。


「お願いします」


「では客人の食事も頼む」

「かしこまりました。すぐにお部屋の方までおもちいたします」


 男は使用人の女性と話を終えるとすたすたと廊下を進む。そしてたくさんある中である部屋の戸を開けて中に入っていく。僕もそれに続いた。部屋は和室で居心地のよさそうな空間だった。


「座るといい。食事もすぐ来る」


 僕は座布団の敷かれている場所に座った。男とは机をはさむ形になった。


「それで僕をここに連れてきた理由は何なんですか」


「だから慌てるな伊吹」


 え、今この人、僕の名前を呼んだぞ。どうして知っているんだ。


「どうして僕の名前を」


「さっき言っただろう。私たちは裏の世界の住人で神に仕える存在だとな。私にとって君の名前を調べることくらい造作もない」


 怖いな、この人。犯罪の臭いしかしないぞ。


「それで話を戻してなぜ、僕は誘拐されたんですか」


「それを話す前に食事が来たようだから食べながら話そう」


 その言葉と同時に料理が運ばれてきて、男と僕の前に並べられた。一品の量は多くはないが、品数が豊富だ。それに彩も良く、見た目からも食欲をそそる。旅館の料理みたいだ。


「さあ食べるといい。この家の作る料理は美味しいからな」

「はい……いただきます」


 この料理に手を付けるのはもったいない気もしてしまうが、そこは食事だ。ゆっくりと味わいながら、口に運んだ。


「それで、僕がここに連れてこられた理由ですけど、いい加減に教えてください」


「さっき歩いているときにこの世界と君たちの住む世界は裏、表の関係だと言ったな。それでここからが重要なのだが、普通は私たちの姿は人間に見えんのだ」


「え、でも僕は今、こうして見えていますよ。それに会話だってしている」


「そうだな。確かに普通の人間には見ることができない。しかしそれに当てはまらないことも2つある。原因は私たちにもわからないが、何かしているときに偶然見えてしまうことがある。そしてもう一つは普通でない人間の場合だ。この場合だと、何をしていても私たちの存在を視認することができるし、会話をすることも出来る。ここまでは大丈夫かな」


「えっと多分、大丈夫です。でも例外の人間は何で見ることができるんですか。普通じゃないならそれなりの理由があるはずですけど」


「そうだな。確かに相応の理由がある。私たちには様々な力がある。そのうちの一つに霊力がある。普通、霊力を人間は持つことはない、仮に持っていてもかなり弱いものだ。だが稀に私たちと同等以上の強い霊力を持って生まれる人間もいる。霊力も持つことでこの世界の住人と魂の性質が極めて近いものになっているのだ。それゆえに霊力を持つ人間は近しい存在である私たちのことを見ることができるし、会話もできるというわけだ」


「えっと、すると僕は霊力を持っているからこの世界の人たちを見ること出来るし、話すこともできるってことですか?」


「端的に言えばそうなるな。そして神隠しという話を聞いたことはないか」


「昔話とかにある失踪事件のようなものですよね」


「そうだ。そしてその神隠しの原因は霊力の強い人間をこちらの世界に連れて行くという風習があったからだ」


 からだ、と言っているということは過去形だよな。なんで過去形何だろう。そこに答えがあるのかな。


「でも過去形を使うということは、もうほとんど行われていないってことですよね。なのになんで僕を誘拐しているんですか」


「む……、確かにそうなんだがな、まあ、なんだ、その…な……」


 男は顔を少し赤くしているし、歯切れも悪い。どうしたんだろう。体調でも悪いのだろうかそうでなければただの気持ち悪い人だ。

 何か聞こうとしたら向こうが深呼吸をしているように見える。落ち着かせているのなら少し待ってみよう。


「君をここまで連れてきた理由はな、あの日、行列を見ている君を見て、息吹のことが好きになってしまったからだ。連れ去って結婚しようと思った」


「はっ?」


 いやこの言葉しか出てこない。


「正気ですか?」

「ふざけてこんなことを言えるわけないだろう」


 どうも大真面目に言っているようだ。だけど、この男は大事なことを忘れている。


「あの、僕、男ですけど?」


「え、何、男⁉」


 結構、動揺している。


「分かったでしょう。この家、名家っぽいし、後継ぎを作らないといけないんじゃないですか? 僕は男なのでそれは出来ませんよ」


 少し畳かけてみた。でもこれで男も僕のことを返してくれるだろう。ご飯は美味しかったし、まあこれで帰れるなら満足かな。不思議な体験もできたし。


「確かに伊吹が男だというのが誤算だった。そして私の妻となる人が絶対に子供を産む必要もあるが、それと君が現時点で男であることは私と結婚するにあたってまったく問題にならない」


 どういうことだ。風向きが変わってきた気がする。


「どうして問題にならないんですか」


「簡単な話だよ。君が女になればすべて解決する」


 もう意味が分からない。


「霊力を使えば性別を変えるなど造作もない。ではいくぞ」

「え、ちょっとまっ……」


 僕が静止しようとしたところで体が光に包まれた。あまりのまぶしさに目を閉じてしまった。身体は妙な熱さを感じている。それは胸のあたりに特に感じている。でも、その正体はよくわからない。

 光が収まったように思ったので、恐る恐る目を開けてみた。目の前は何も変わっていない。目線をゆっくりと下に向けると、胸のあたりに僕にはなかった膨らみがある。それにお尻のあたりに違和感がある。なんというか、自分には本来なかった感覚が加わった気分。

 これは手とか足を意図して動かしている感覚があるのかどうかということが正しい。


「これは一体……」


「鏡を見てみるといい」


 男は僕に鏡を渡してくれた。そこに映っていたのが僕だろうけど、僕ではない姿だった。これは一体何なのか、そしてここに映されているのは誰なのか。でも、それが僕自身であることだけはよくわかる。


「綺麗な尻尾と耳ではないか。元の世界に戻る、戻らないに関係なくこのような経験が稀だと思うし一晩はその姿で過ごすのも悪くはないのではないかな」


 男の甘言に惑わされそうになる。でも今の僕は耳に尻尾という何とも不思議な身体であり、それが滅多に経験出来ないことであるのは疑いようのない事実だ。だから今日、一晩くらいはこの姿で過ごすのも悪くはないなと思う。


「……今日の一晩だけです。確かにこれは貴重な経験なので……」


「ならいい。風呂と寝床の用意はさせてある。好きな時に行くといい」


 男はそう言ってくれたが、気が気でない。確かに体験、経験という意味合いでは悪くはない。でも、もう戻れない道を進んでいる気がしてならない。この状況はどう打破したらいいんだろう。


「とりあえず風呂に入ってくるといい。この家の風呂はいいものだからな」


 男は風呂に入るように促したので、それに従ってお風呂に行くことにした。部屋を出ると、先ほど玄関にいた人がいて、その人が案内してくれた。着替えなども置いて行ってくれたようだ。


「気持ちいいなあ……」


 男の言っていた通り、とてもリラックスできる浴場だ。広いし、眺めもいい。この設備が個人の家にあるという事実には驚きしかない。様々な意味で怖さを感じる。上がって、着替えを見てみると、寝間着だった。着物というか季節的には浴衣? が置いてあった。とりあえずそれを着て外に出ると、やはりさっきの女性がいた。その女性は僕を寝室まで案内してくれた。


 特に言葉を交わすことはなかったけど、その仕草などには気づかいが込められているのがよくわかる。ありがたい。寝室は、やはりというか和室だ。そこに布団が敷いてある。ふかふかで気持ちがいい。

 布団に転がると精神的に張りつめていたのが切れてしまったのか、すぐに意識がなくなっていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 翌朝、目を覚ました。それは自分ではなく、やはりあの女性が起こしてくれた。着替える前に朝食を食べるようで夕飯を食べた部屋に通された。


「おはようございます」


 中には男が座っていた。


「ああ、おはよう。よく眠れたかな」

「おかげ様でよく眠れました。今日は僕を返してくれるんですよね」

「そう焦るな。この街を見てからでも遅くはない。今日は街を案内しよう」


 そういわれると興味も出てくるので頷くしかない。卑怯な男だと思う。食べ終わったら、着替えに寝ていた部屋に戻った。そこにはもう服が用意されていて、女性に着せられてしまった。部屋の隅の方にあった姿見で確認をしてみる。というか、着ている段階で着たことのない不思議な服だなとは思っていた。


「これは……」


「よくお似合いですよ」


「いや似合ってる似合っていない以前に、どうして巫女さんがしているような恰好なんですか」


 そう僕は今、巫女服を着せられている。


「御屋形様の伴侶となられるお方であれば、その服装が最もよいものですので」


 うん、もう価値観の違いと思ってあきらめよう。たまにはあきらめも肝心だ。それにどうせ今日で帰るんだし、着たことのない服を着るのも悪くはない。


「準備できました」


 身支度も出来たので男と外に出た。巫女服については似合っていると軽い笑みを浮かべていた。こういう時の男の顔は国宝級だ。


「それでどこに連れていってくれるんですか」


「この世界のことを理解してもらうにはありのままを見てもらうのが一番だからな。いろんな店を回ってみようと思っている」


「お店ですか」


「不服なのか?」


 そんなことはない。むしろこの世界のことを知るのにはいいし興味だってある。だけど……


「その、こんな格好で普通のお店に行くとは思っていなくて」


「なるほどな。君の住んでいる場所でそのような服装は普段着としては着ないものな。ここでは普通のことだから慣れることだな。ここに住むのならその服だって頻繁に着ることになるのだから」


「いやいや、何勝手に僕をここに永住させる方向に持っていこうとしているんですか。そんなこと認めませんよ。絶対に帰りますからね」


 そもそも狐の女になったのも、巫女服を着せられたのも誰のせいなのかということだ。男が勘違いをして、僕に一目ぼれして拉致しなければこのようなことは起こらなかったのだ。この珍しい場所に連れてこられて不思議なものをたくさん見られるのはいいけど、対価として何か欲しいくらいだ。


「帰るときには何かお詫びの品でもないと納得できませんよ。それに僕にだって生活はあるんですから……」


「そんなことか。ならば問題はない。人間の、というか伊吹の周りの認識をゆがめてしまえばいいし、学校だってここから通えばいい。結婚や、子を成すことなどそれからでも遅くはない。それに私は君に一目ぼれしたと言ったが、そのだな、何も知らない。だからもっと伊吹のことをたくさんしりたいのだ」


 何かあっても学校には通えるという事実には安心したが、本当に僕に一目ぼれしたんだということが男の一挙一動からよく伝わってくる。


「それにしてもなんだか時代劇を見ているような気分」


「ああ、このような街並みはなかなかないか。だが現代化しているところもあるぞ。最近建てられた建物はコンクリートも使っているし。使うものは使うさ。ただ住人が多いと言っても人間と比べれば圧倒的に少ないから大きな建物が不要というのもこの街を守っているのかもしれんな」


「そうだったんだ。この街の人たちの仕事は何なんですか」


「仕事は人間と変わらない、ということを聞きたいわけではないのだな」


 男は僕が聞きたいことを正確に察してくれた。


「そうだな。私のような神に直接仕えているのは意外と少ない。大半は普通に仕事をしている。だが、何か緊急のことがあった時には招集をかけることもある。まあ、連中も普通に働いているが、君たちからも見れば私と同じ物の怪であり、この世界の住人だからな。

 そんな話は置いておいて、さっさと行くぞ」


 この世界は不思議だ。見れば見るほどに不思議かもしれない。同時に、この男とどんな形であれ触れ合っていたら、楽しいかもしれない。そんな考えは頭をよぎった。


「最初はどこから回るんですか?」


「そうだな。プランは考えてあるから任せるといい」


 男ははぐれないようにか、僕の手を握った、本当は握りたかっただけのかもしれないけど、側にいないとはぐれてしまいそうなのも事実なので、大人しく握られることにした。


 そうして店をめぐり始めたが、男は僕の手を離す必要のある時以外は離したがらなかった。ずっとつなぎっぱなしに近い。そのような状況であっても今日は充実していた。楽しい場所であるとここに住みたいとさえ思ってしまった。だけど僕にだって向こうでの生活はあるし、複雑な気分だ。


「迷うならここからあちらへ通う生活をすればよいのだ。それ程度簡単に出来るのだからな」


 その言葉で僕も少し覚悟を決めてみた。不思議なことであふれている人生も悪くはないと。


心は決まった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 あの不思議な経験をした日からどれくらいたっただろう。なんやかんやあって大学にも打ったし、随分と時間は経ったけど、あの日以来あの世界との交流は続いていた。そしてあるとき、この世界に引っ越した。そのときの姿は言わずもがなだ。


「おい、何をしている。こんなところにずっといたら風邪をひいてしまうぞ」


「あなたと会った時のことを思い出していたんですよ。大学を卒業して、結局ここまで来てしまいました。そしてあれからもうかなり経ちました。こちらでの生活も、この姿にももう慣れました。この姿のほうが人間であった時間より長くなったかもしれません」


 ゆっくりと毛並みの良い尻尾を見た。その時にちらと見えたのは不安そうにしている目だった。


「後悔、しているのか?」


「後悔? そんなわけないじゃないですか。でも懐かしいなと振り返っていただけですよ。あなたがボクを誘拐した夜も今日のような満月だったなと。時間がたっても変わらないものもあるんですね」


「私たちの寿命は長い。ゆっくりと過ごしていこう。それに、な……」


 そういってボクの少し膨らんだお腹を見た。


「そうですね。まだまだ騒がしい日々は続きそうです。いえ、これからのほうがもっと騒がしくなるのでしょうか。楽しみです」


「今以上に騒がしくなるのは少し勘弁かもしれないな。伊吹一人来ただけでも随分とこの家は華やかになったからな」


「一人住民が増えるだけで随分と変わりますからね。でもそれはあなたにとっていい方向に作用したのならよかったではありませんか。あったばかりの時は何事にもつまらなさそうにしていたのにボクと住み始めてからはそんな表情をすることがめっきり減りましたからね」


「そうか、昔の私はそんなに退屈そうだったのか。でもそうだな。確かに長命ゆえに刺激がなくて退屈だった記憶はあるな。だが伊吹がいてくれるならそんな心配はなくなったな」


「照れることを言わないでください。でもそうですね。せっかくの長い寿命です。今までもしてきましたけど楽しいことをゆっくりと探していけばいいじゃないですか」


「そうだな、さあもう冷えるといけないから中に入って寝よう」


「そうねですね」


 ボクも縁側から立ち上がって中に入った。


 今日は本当にあの日と同じで綺麗な月明かりの夜だった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ここまで読んでいただきありがとうございます。想定の二倍くらいの分量になってしまいました。というのも、データが一度飛んでしまって、そこから再現しているのであれもこれもと付け足した結果、長くなりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は今日から狐になった 藤原 @mathematic

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ