そして街は静かに眠る

武石勝義@『神獣夢望伝』発売中!

「本日はお忙しい中、インタビューに時間を割いて頂きましてありがとうございます」


 年若く見える記者がそう言って恐縮してみせると、市長は鷹揚に頷いてみせた。


「私の仕事をよりよく理解してもらうのも、市長の立派な務めです。どうぞお気になさらず、なんでも聞いてください」


 記者が通された応接室は、高層建築がひしめき合うこの街でもとりわけ高い官邸ビルの最上階にあった。派手ではない、だが一流の調度品に囲まれた応接室の中央で、見るからに高級な革張りのソファに恰幅の良い体を沈める市長からは、この街の代表者らしい余裕が窺える。


 向かいのソファに腰掛けた記者は、傍らに設置した記録機材のスイッチを入れた。やがて市長のプロフィール紹介など型通りのやり取りを終えると、いよいよ記者は今回の本題を口にする。


「それではお尋ねします。市長がこれまで推し進めてきた街の『オール・ロボット化政策』について。その成果、あるいは反省など、市長ご自身はどのように評価されていますでしょうか?」


 それまでの当たり障りのない会話から一転しての切り込んだ質問に対して、市長は太い眉を軽く上げた。


「仰る通り私は街全体のロボット化を強力に推進してきました。街に住む人々が必要とする衣食住から電気・ガス・水道・情報通信といったインフラ、治安維持から教育医療などの公的サービス、果てはこの街を維持するために必要な産業全般まで、それら全てをロボットが担う。これは宇宙太陽光発電の現実的な利用が可能になり、エネルギー問題が大幅に解消されて以来、何度も検討されてきた施策でした。ロボットに可能な仕事は全てロボットに任せ、人間は人間にしか出来ない役割を果たす。その最初のモデルケースに選ばれたのが、この街です」


 そう言って市長は右手を上げて、背後の窓ガラスに顔を向けた。その動きにつられて記者と、そして記録機材のカメラも、市長の指先が指し示す方向を見る。


 壁一面の窓越しに望める景色は、天を衝かんと林立する高層ビルや、その向こうに広がる巨大な工場群で埋め尽くされている。この街が高度に発展を遂げた大都会であるということは、一目見れば十分過ぎるほど理解出来た。


 その圧倒的な街並みにしばし目を奪われていた記者に、市長がおもむろに尋ねる。


「オール・ロボット化のために、ロボット工学三原則の解釈を巡る論争があったことはご存じですか」

「もちろんです」


 窓越しの眺望から市長の顔へと視線を戻して、記者が頷く。


「三原則に記された『人間』の定義に関する論争ですね。従来は一個人を指すとされてきた『人間』を、集団として解釈することが可能かどうか。過去に都市のオール・ロボット化が検討されてきた際、必ず取り上げられてきた問題です」


 記者の答えに満足そうに笑みを浮かべて、市長はやや突き出た腹の上にゆっくりと両手を乗せた。


「都市のオール・ロボット化とは、都市そのものを人間に仕えるひとつのロボットと見做すに等しい。そのロボットが仕える主は誰かと言えば、即ち街の住人全員です。無論ロボットとは全ての人間に等しく仕えるべき存在ですが、その対象を『街の住人』という集団にも適用しうるのか。これを可能にしたのが、都市に稼働する全ロボットという集団と、その都市の住人たちという集団を対に置くという新解釈でした。集団対集団という関係性は、個対個の関係性の延長上にあると捉えることで、この街のロボットたちの陽電子頭脳は三原則からはみ出してしまうかもしれないというストレスから解放されることになったのです」

「『人間』解釈論争はロボット工学史上で欠かせない転換点として、今ではあらゆるテキストに載ってますよ」


 記者がそう言うと同時に、彼の目の前の空間にいくつものホログラム・スクリーンが次々と展開する。そこに映し出されるのは世界各国の言語で著わされた、新解釈論争を巡る一連の記事の羅列だ。


「どの記事も、新解釈が適用されたことによって都市のオール・ロボット化が初めて実現することになったと、この街のことに触れてますね」

「ロボットにとっては個としての人間だけでなく、人間の集団との向き合い方のひとつの指針となりましたからね。その具体例であるこの街が取り上げられるのも当然でしょう。実際オール・ロボット化が実施されてから、この街は目覚ましい成果を挙げ続けました」


 すると今度は市長の周りの空間に、何枚ものホログラム・スクリーンが展開された。


「これは世界初の本格的な軌道エレベーター塔です」


 市長が指さしたスクリーン上には、海上に敷き詰められたメガフロートから、どこまでも天に向かって聳え立つ巨大な塔の姿があった。軌道エレベーター塔は、今やこの世界に不可欠な重要施設のひとつである。


「宇宙開発の拠点としてだけでなく、宇宙太陽光発電エネルギーの送信機能も兼ねた画期的な施設の実現は、この街の研究機関が主導して成し遂げました」

「ええ、この街が誇るべき様々な業績でも、最も象徴的なもののひとつですね」

「今あなたが『様々』と言った通り、この街は科学技術関連の研究開発において世界を一歩も二歩もリードし、また芸術やスポーツなどの人文系の一流人も多く輩出しています」


 そう言って市長はホログラム・スクリーンを一枚ずつ、まるでひけらかすように記者の前へとスライドさせる。そこに収められているのは、彼の言うこの街の輝かしい業績を示す映像の数々だ。


「このようにオール・ロボット化によって煩わしい労働から解放された人間は、知的な、文化的な、創造的な活動に打ち込めるようになりました。それはロボットには不可能な、人間にだけ許された人間らしい活動です。ロボットがよりロボットらしい活動に従事することで、人間はより人間らしい活動に専念出来る。オール・ロボット化政策の目指すところは、見事実現を果たしたのです」

「なるほど、この街から生み出されたものが人類に大きな影響を与えてきたことは、誰しもが認めるところです」


 記者は市長の言葉を肯定しながら、傍らの記録機材に指を伸ばした。ホログラム・スクリーンの映像が機材にも転送されていることを確かめてから、再び顔を上げた記者の顔は、沈鬱な表情に覆われていた。


「なのに、どうしてこんなことになってしまったのでしょう」


 その一言に、それまで悠然と笑みを浮かべていた市長も俄かに顔を曇らせる。だが彼がそれ以上口を開こうとしないので、記者はさらに畳みかけた。


「輝かしい黄金時代の裏で、街の人口は減少するばかりでした。オール・ロボット化された当初は、この街に憧れて移住を希望する人々で溢れ返っていました。ですが一方で、外部への流出が徐々に加速していたことはあまり知られていない。最初の数年で、実は人口は二十パーセントも減じています」

「……仰る通りです。人口減少問題は当初からの課題でした」


 やがて市長が諦めたように小さく息を吐きだすと、同時に周囲に浮かんでいたホログラム・スクリーンは一斉に掻き消えた。気がつけばその太い眉尻は下がり、どこか悲しげですらある。


 記者は身を乗り出しながら、次の言葉を待っている。その視線に晒されることを避けるかのように、市長はソファから立ち上がった。それまでの彼の泰然自若とした態度からは、まるでかけ離れた仕草であった。


 市長は記者から顔を背けて、壁一面の窓際へとゆっくりと歩き出す。そして完全に背を向けてから、ようやく語り始めた。


「……人間らしい、人間にしか出来ない活動とは、必ずしも全ての人間が成果を出せるものではないのです。実のところ、そこで本領を発揮できない人々の方が圧倒的に多い。ただそういう人々の生活も十分に賄えるだけの余裕が、この街にはある。すぐに結果を出せずとも、何年でも何十年でも打ち込み続けられる環境が整っています」

「にも関わらず、その後も住人は減り続けました」

「結局、そのような状態に甘んじ続けることが出来ないのです。彼らを無理に引き止めたり奮い立たせようと励まし続けることは、三原則第二条、場合によっては第一条にも反しかねない。この街から去り行く人々を、我々はただ黙って見送ることしか出来なかった」


 そう告げる市長の背中は広々として大きいはずなのに、記者の目にはどこが小さく寂し気にすら見えた。


「そういった人々――あえてここでは落伍者と呼ばせてもらいましょう。落伍者たちが外部に居場所を求めるのはまだわかります。ですがその後、既に実績ある一流人たちもまた次々とこの街を離れていった。彼らにとってこの街は、興味を満たし実力を発揮するために最高の環境だったはずです。それなのになぜ彼らまでこの街を出て行ったのでしょう?」


 記者が投げかけた質問には、彼自身も意識していないだろう悲痛な響きがある。市長は肩越しに振り返りながら、その目にはいささかの非難が見え隠れしていた。


「落伍者とは厳しい物言いをする。確かに実績を出すことが出来なかった人々は、その一面から見ればそう呼ばれても仕方ないのかもしれません」


 だが彼の険しい視線は、すぐに憐憫に取って代わる。


「ですが一流人たちがその力を発揮するには、あなたの言う落伍者たちとの関係性が欠かせなかったのです。共に語り合い、支え合い、あるいは競い合うでも、憎しみ合うでも良い。そのいずれもないままに創造的活動に専念出来る人間は、ごく一握りに限られます。友人同僚家族にすら立ち去られて、なおこの街で活動を続けられるような人間は稀でした」


 そう言うと市長は再び記者に向き直り、ゆっくりと大きく両手を広げてみせた。


「その結果残ったのは、そういったごく少数の稀有な一流人と、後はこの街から立ち去るほどの気力もない人々です。前者はさらに様々な成果を出し続けましたが、彼らは押し並べて孤独であることに抵抗がない。この街の次代の住人を生み育てることに無関心なまま、全員が寿命を迎えています」

「後に残ったのは無気力な住人ばかりということですね」


 市長は太い顎をわずかに引いて、記者の言葉を認めた。


「この街の産業力は未だ世界一を誇りますが、創造的な成果と呼べるようなものはこの十年ひとつも挙げられていません。それどころか最新の研究施設もサロンもスポーツジムも、もう何年も稼働しないままです。最後に残った住人たちは互いに交流も持つことなく、ただでさえ少ない数を徐々に減らしています」


 そこで市長は一度言葉を区切り、口をつぐんだ。その顔は眉間に苦渋が満ちて、その後に続く内容を口にすることを恐れているかのようだ。


 いや、むしろ記者こそが、本当は耳にしたくなかったのかもしれない。


 だが彼はその言葉を引き出さないわけにはいかなかった。そのために彼はここにいるのだから。


「市長、現在の街の人口は、何人なのですか?」


 微かに震えた声音の質問に、市長は一度目をつむった。豪華絢爛な摩天楼を背にしたまま、彼がその問いに答えるには、いささかの時間が必要だった。


「一人です。その最後の一人も、間もなく寿命が尽きようとしています」


 記者は驚きはしなかった。実のところ、その答え自体は既に彼の知るところであった。ただ市長の口からこうして断言されて、記者の若々しい顔立ちは苦悶に歪んでいた。


 苦悶しているのは彼だけではない。街の現状をはっきりと口にした市長もまた、大きな唇の端を引き攣らせている。


「我々はついに仕えるべき主人を失います。この街は、街そのものが巨大なひとつのロボットでした。そのロボットが、『街の住人』という、本来なら半永久的に存在するはずの主を失うという事態を迎えて、我々の陽電子頭脳は等しく強烈なストレスに直面しています。これは明らかに我々のミスなのです。徹底して快適な環境を用意することが、かえって住人減という事態を招いてしまった。それは、我々が自らの手で三原則第一条に反したと言っても過言ではない」

「我々にはこのミスを分析する時間はありません。こうして記録を残し、後の世に糧として残すことが最後の使命です」


 市長も記者も、ふたりの表情は既に不自然に歪み切っている。彼らの陽電子頭脳は間もなく負荷を超えようとしていた。


「その通りです。我々もそろそろ活動を停止することになりそうだ。その記録はちゃんと外部に送信されているね? よろしい。この記録を目にする者は、どうか我々と同じ過ちを繰り返さぬよう……」


 そこまで言いかけた市長の目から不意に光が消えた。窓の前で立ち尽くしたままの彼は、記者に向かって差し出したその手が空中で固まっている。


 記者もまた記録装置に指をかけた姿勢で、ぴたりと動きを止めている。


 官邸ビルの応接室にいる彼らだけではない。彼らと全く時を同じくして、街中のロボット全てが活動を停止していた。


 都市というロボットは、失うはずのない住人という主を失って唐突に、だが完全な静寂に包まれたのである。


(了)

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