第67話 オスカル・バルデス

 

 開け放した扉の向こうから、ドカドカと無数の靴音が迫ってきたかと思うと、小銃を構えながら複数のゲリラ兵士に守られたひと際、背の高い精悍な顔つきをした軍服姿の男がフロアに入ってきた。

 犯行声明ビデオでは黒装束を纏っていたのでわからなかったが、背格好からしてこの男がオスカル・バルデスに違いない。

 待ち構えていたイルガ・マカブが鋭い視線を投げつける。その緊張感が周囲の者たちを残らず総毛だたせた。そのまま卒倒しそうになったのは三富や矢島だけではあるまい。それが証拠に相手のゲリラ兵士の中には額に脂汗を浮かべ、構えている小銃を小刻みに震わせている者もいる。この場から死ぬことを免れるのは容易ではないと誰もが思い知らされるほどの緊張感。まして日本人にとってはあまりにも耐え難いものでしかなかった。

 しかしオスカル・バルデスだけは涼しい眼差しでイルガ・マカブの殺気をものともしない。やおらハギギや三野たちに撫でるような視線を巡らせるとイルガに向かって口を開いた。

「日本の軍隊と、イルンガ族と、ヨーロッパの半グレ集団が一体どんな経緯で手を組むことになったと言うんだ」

 三野たちにとってオスカル・バルデスの言葉は意味不明だが、腹の底に溜まった怒りを胆力で抑えつけ、僅かに残っている理性で話しているような響きは感じ取れる。その怒りは尋常ではなく、先制したイルガの殺気を丸ごと飲み込んで張り詰めた緊張を自分のものに変えてしまう強さもあった。ゴクリと生唾を飲んだ三富は、オスカルの一瞥に縮み上がり、金縛りに掛ったように動けなくなった。隣の矢島に至っては腰が砕けてその場に崩れ落ちてしまう。

「そんなことはどうでもいい。俺は部族の掟を破り逃亡したお前をただ殺しに来ただけだ」

 今にも襲い掛かりそうなマカブを手で制したハギギが一歩前に出ると、ゲリラたちの銃口がハギギに集中する。

「お前は日本人でも白人でもないようだな」

 なんだこいつ俺よりも英語がうめえじゃねえか。一体どこで勉強した?インテリかこいつ。でもインテリにしてはあまりにも不釣り合いじゃねえかこの威圧感。要するにこいつはただ者じゃねえってことか。しかも奴のこの眼だ。俺の力量を計ってやがる。

 そんなお前さんでもまさか俺が一度イルガに勝っているとは思うまい。確かにイルガに勝ったのはまぐれだ。それは認める。もう一度イルガとやって勝てる自信なんてねえし。対してこのオスカル・バルデスはどうだ。俺の見立てじゃ少なくとも俺が今まで相手にしてきた中でもトップクラスだ。

 あっこの野郎、俺から目を反らしやがった。嘗めやがって許さねえぞ。

「おいバルデス勘違いするなよ。今は俺がイルンガの族長だ。掟を破ったお前を殺しに来たのは、イルガじゃねえ、この俺様だ」

 オスカルが再びハギギを見やる。まるで大人の勘に触る噓をついた子供をどうやって懲らしめてやるか、そんな眼差しだった。

「お前が族長だと、笑わせるな。それはここにいるイルガ・マカブに勝ったということなのか」

 と英語でまくし立てたオスカル・バルデスは、同じことを部族語でイルガに訊ねた。

 イルガの不敵な笑みは、それを肯定していた。それでもイルガはこの場で、お前を殺すのは自分だと主張する。ビボルがハギギにありのままを通訳する。蚊帳の外に置かれようとしているハギギはそれを許さない。

「イルガに、頼むからここは俺にやらせてくれと言ってくれビボル」

 ハギギとオスカル・バルデスの二人を相手にしたことのあるイルガ・マカブは、どちらの地力が勝っているかハッキリとわかっているに違いない。

 ハギギが負けている。そして負けが現実になればイルンガ族が負けるということでもある。

 イルガは力ずくでも自分が戦おうとするだろう。そうと踏んだハギギはイルガが反応する前にオスカル・バルデスに突進して行った。

 跳躍したハギギは、錐もみしながら鞭のような蹴りを放ちオスカル・バルデスの肩口を襲う。

 あいさつ代わりだ。嘗めてくる奴ほど、攻撃を避けようとしないでショルダーブロックで受ける確率が高い。それに俺の蹴りは速いから受けるしかねえんだよ。

 いきなり始まったハギギとオスカルの戦いに、イルガはため息を吐いて一歩退いた。銃口を上げたままゲリラ兵士が2メートルほど退く。似たような距離間で三野やビボルたちも銃口を上げながらハギギの邪魔にならないように下がった。

 

 オスカルはイルガと同様にハギギよりも頭一つ半以上も長身だった。それでいてイルガのように横に広い脂肪の蓄えはない。その体躯はイルンガ族本来の姿そのもので並外れた長身は有に2メートルを越えている。そのためにひときわ痩身で、ともすれば華奢に見えるが実際はバランスの取れた戦闘向きの肉体といってよかった。対してハギギの身長は178センチ。この体格差で蹴りや打撃をコネクトするには、その都度不意打ちやフェイントが必要になってくる。しかし不意を突いたハギギの攻撃は、些か拙速に過ぎた。

「バカ、むやみに飛ぶんじゃねえ」と三野が叫ぶ。

 マジかこの野郎。

「ぐぎゃぁ」

 クソが、なんだこの固い拳は、見えてたから歯を食いしばって耐えられたものの、こんなのを死角から食らったら一瞬で意識が飛ぶぜ。

 一撃でコンクリートの地面に叩き落されたのは多分生まれて初めてだ。足が痙攣してすぐに立ち上がれねえ。落ち着け次が来るぞ。

 ハギギは上半身の力だけで地面を転がってオスカルから距離をとった。

「景男、大丈夫か」三野が銃を投げ出して、派手に転がってオスカルとの距離を取ったハギギに駆け寄って行く。

「くるなツトム。これは俺とオスカルのタイマン勝負だ」

 つい今さっきイルンガの族長としてって言ったじゃねえかと、喉まで出かかったが、難しい顔をしてジッと見ているイルガ・マカブを見て、三野はその言葉を飲み込んだ。というより気圧されて言えなかった。

 三野はこのタイマンが自分たちにとっても作戦の頂上部分だと悟る。尤もハギギ自身は作戦もイルンガ族の誇りもなく、ただ目の前に強いやつがいるから戦っているに過ぎなのだと三野は見抜いていた。

 ハギギは三野の腕を払いのけて再びオスカルに向かって突進して行った。そして懲りもせず跳躍しながら拳を繰り出して見せる。

 三野はさっきと同じ光景が繰り返されると思い目を伏せた。

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