第68話 最後の一人

 一見愚かに見える跳躍からの打撃の動作は、その全てがフェイントだとわかると見え方は一変する。どれだけ本物に見せられるか、フェイントには演技力さえ要求される。要するに”兵は軌道なり”ってやつだ。

 その愚かな跳躍は、実際は片足だけが宙に浮いたに過ぎなかったが、跳躍した幻のハギギにミスリードされたオスカルの視界からはハキギの姿が消えたに違いない。

 しめた!この間合いで懐に飛び込んでやったぜ。お前みたいに背が高いのは脚を刈るのが相場だ。俺の水平蹴りをくらってみろ。

「うおらぁ」

「馬鹿野郎、影男ッ、上下のフェイントは不意をついても無駄だぞ」

 そんなことは百も承知だ。相手が下に消えれば、退くか踏み潰すかの二択だ。そんでもってコイツは必ず踏み潰しにくる。

 それみろおいでなすった、しかもこいつノールックで俺の顔面を狙ってきてる。

「見とけツトム、馬鹿野郎はコイツの方なんだよ」

「うまいっ、わかりやすいフェイントは、相手のストッピングを誘うためだったんですね」柏木が言った。

「それどころじゃねえっすよ、そのストッピングを下から両手でキャッチした途端ヘッドスピンしながら立ち上がっちまった」三富が思わず口を開いた。

 そういえば、ハギギの喧嘩はいつだって観ている者を惹き付ける華があった。それは今でも変わらないらしい。ヤンチャな男心をワシ掴みにされた三富の興奮ときたら、ガキの頃の俺らと全く同じに見える。

「影男、負けんじゃねえぞ」


「ようオスカル、ドラゴンスクリュウーってプロレス技を知ってるか」

 日本のガキどもはよ、こうやって片足を取られると決まってそれを警戒して十中八九、それまでやったこともねえ捨て身の延髄切りを仕掛けてくるんだよ。お前もそうしてくれれば、この勝負決まったも同然なんだけどな。

「この国にはプロレスなんて文化さえまだねえんだろ」

 だからってお前よお、いくら腕が長えからって片足立ちのままで繰り出したパンチなんざ当たっても効かねえんだよ。

「影男さっさとやっちまえ、さもないと捨て身の片足が跳んでくるぞ」

 こっちはその片足を待ってるんじゃねえか。延髄切りじゃなくてもボレーシュートでも何でもいい。こねえならこっちから行くぞ。

「あっ、ハギギさんのドラゴンスクリューが決まる」矢島が叫ぶ。

「いや決まってない、あの野郎ハギギに持っていかれた片足に合わせて自分の体を錐揉みさせやがった。あれじゃあ意味がねえ」

 この野郎、なかなかやるじゃねえか。俺のドラゴンスクリューをこんな形でいなしてくるとは思わなかったぜ。

「三野さん、私からはどう見てもハギギさんが踏み潰されているようにしか見えないんですが大丈夫でしょうか」柏木が心配そうに訪ねてくる。

「その通りです。今のところやることなすこと裏目に出てますね。だけど影男の喧嘩IQはこんなもんじゃないんできっと大丈夫ですよ」

 影男、素人から心配されるようじゃ、お前もそろそろ引退だな。取り合えずフォローしといたからよ。早いとこ結果を出してくれや。

「三野さん、ハギギさんヤバくないですか、相手の片足を抱え込んだままメッチャ蹴りを食らってますけど助けに入りますか」

「助けになんか入ったらハギギの次の相手にされるぞ。でも心配するなハギギはあれくらいへっちゃらだ。何ともならねえから安心しろ。ほらよく見てみろよ、眼が死んでねえだろ」

 勝手なこといいがって馬鹿野郎が、こっちはもう死にかけてんだよ。こいつ俺に足首決められてんのに、なんてローキックだ。殺す気か!金属バットでフルスイングされるほうがまだマシなんじゃねえか。

「ハギギさん危ない、頭を踏みつけにされる」

「これを待っていたんだようぉりぁぁぁ」

「上手い、今度は片足を取ったまま奴の背後に立った」

 オスカル、お前のローキックは惚れぼれするほど効いたぜ、できるならお前のこの片足を解放して全力のローキックがどんなもんか興味があんだけどよ。今回だけは負けるわけに行かねえんだ。また今度な、あばよ」

 ハギギは急激に訪れたこの勝負を終わらせることができる一瞬の隙を逃さずに最後の一撃をオスカルに放った。


「うおおおおおお、ハギギさんが勝ったあーーーーーー」

 ハギギ側の一同が歓声を上げる。

「馬鹿野郎、喜んでる場合じゃねえだろ」

 オスカルを再起不能に追い込んだハギギが、慌てて走り出した。それとほぼ同時にゲリラ兵の銃撃が始まる。

「ぐぁっ」

「影男っ」

 右の二の腕を銃弾に貫かれたハギギがたまらず地べたを転がる。

 ハギギの呻き声は、双方の銃撃音に掻き消された。

 それでも身を隠す場のない撃ち合いは、ほとんど一瞬で形が付いた。矢島が右の太腿を被弾し、柏木が肩に掠り傷を負った。三富は両足を踏ん張って小銃を構えたが一発も撃てずにその場で固まっていただけだが怪我はしていないようだ。

 それに対してゲリラ側で生き残っているのはオスカル・バルデスだけになっていた。突如むくりと上半身を浮かせ少しふら付きながらも軽やかに立ち上がったオスカルは、手の甲で鼻血を拭って唾液の混じった唾を地面に吐き出した。三野、柏木、ビボルの構える銃口がオスカル・バルデスに狙いを定めている。

 右腕を負傷したハギギも立ち上がった。

「もう起きたのか、中々タフじゃねえか、だけどお前が寝てる間に勝負は終わっちまったよ。見ての通りお前はもう一人ぼっちだ。これでもまだやるのか、オスカル」

 オスカルがギロリとハギギを睨みつける。

「最後の一人になっても私は戦うことから逃げはしない」

 オスカルの目はまだ死んでいない。苦痛をこらえつつもオスカルの視線は、たった今銃弾によって倒れた自分の部下たちを捉えている。

 自軍のゲリラ部隊が壊滅的な状態だということを、オスカルはこの場に下りてくる以前からすで分かっていたのだ。それでも逃げずに、ここまで降りて来たのは、日本軍にイルンガ族が加わっていることを知ったからだ。かつて自分の野望を打ち砕かれたオスカルは、このグティエレに逃げのびてきて、この地でやっと自分の城と兵隊を手に入れたというのに、またしてもイルンガ族に打ち砕かれようとしている。それが心底我慢ならなかったのだ。

「やるなら、やればいい。まとめて掛かってこい」

 オスカルは部族を捨て、ゲリラ軍を失っても尚、己の矜持をその目に宿している。それを無下にして、今ここで撃ち殺してしまっても誰にも文句は言われないはずだが、それをすることはオスカルを笑ったまま死なせることになる。これではまるで手に負えないがために銃殺したようなものだ。オスカルは死を目の前にして自分のプライドをイルガやハギギに植え付けようとしているのだ。死に行く者の最後の悪あがき、残った者に忸怩たる思いを抱かせる死。

「影男、俺がやってもいいんだぜ。俺は日本人としてこいつを殺る理由がある」

 三野が小銃を捨てて首を鳴らす。

「ツトム、その気概だけで充分さ、お前じゃ相手が悪すぎる」

「影男、お前だってそんな腕だから二の足踏んでんじゃねえのかよ。それに今の俺が、どれだけ出来るか知らねえくせによく言うぜ」

「ツトム」ハギギは顎をしゃくって、この場で一番ふさわしい人間に指を差した。もちろんイルガ・マカブだ。こうなるとさすがの三野も何も言えない。

 イルガ・マカブがようやく自分の番が来たとばかりに前に出た。

「オスカル、人質はどこに監禁している」

 オスカルには最早抵抗の意思はなかった。

「人質は地下に監禁している。お前たちが上ってきた通路を引き返せば辿り着けるはずだ」

 確かに外からここの内部に侵入した直後に地下に続く階段を確認している。

「ツトムたちが行けよ。俺はここに残って二人の戦いを見届ける」

 ハギギはまだゲリラ兵が残っているかも知れないからと、ビボルに同行を命じる。

「ありがとよ、影男。お前その腕早く手当てした方がいいぞ」

 三野がそう言い残して通路に出た時にはもうイルガの凄まじい咆哮が、そこらじゅうの大気を震わせていた。

 振り返るともう取っ組み合いが始まっている。その少し離れたところからハギギが二人のことを見守っている。どうやら三野の声は届かなかったらしい。

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ExtraMission 鈴木真二 @suzumiya269

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