第63話 内山②
「てめえら、日本のヤクザ者を舐めてんじゃねえぞ」
内山はチャンスとばかりに若い衆を伴って前に躍り出ると肩を怒らせながら、突如現れたイルンガ族のお陰で混乱しているゲリラたちに迫って行った。それでも幾人かのゲリラ兵はまだ銃口を内山に向けている。
撃てるものなら撃ってみろとばかりに強気で胸を叩く内山の声が辺りに轟いた。
銃口を向けているゲリラ兵は内山の気迫に動揺しているのか、まるで凍り付いたかのように動かない。内山や若い衆には、そのようにしか見えなかった。
更に近づいて行くとイルンガ族がどこから現れたのか明らかになった。彼らは今も地面のマンホールから次々と這いあがり続々と見参しては忽ち白兵戦に混ざっていく。ゲリラたちの混乱と動揺が益々顕著になったと内山は踏んだ。
それは脅しや恐喝に怯んだ相手が見せる動揺と酷似していたからだ。言葉は通じなくとも相手は同じ人間なのだ。
たとえ外人でもワシらの気迫で奴らはビビりよった。
俄然、前に進み出る足にも力が入る。顎と肩を怒らせ挑むようにゲリラどもを睨みあげると猛獣のように咆哮した。
「いくぞてめえら」
内山は宙に向けて威嚇の発砲をする。
ゲリラたちは目を瞠った。
それもそのはずだった。
ゲリラたちにとって、この程度の銃撃戦は日常茶飯事といっていい。それでも真夜中に自分たちの基地が奇襲に合い、交戦中にも拘わらず地面から敵が這い上がってくるなどという経験は稀だが、戦場では想定外のことが起こるのは常であり、それによる敗北にも十分な覚悟ができている。それはいかなる戦闘といえど彼らにとってそれは聖戦なのだ。傍にいる身近かな仲間が死んでいくのは当たり前過ぎることなのである。日本人が考える死に対しての考え方とはまるで次元が違うと言っていい。内山たちに比べて余程死ぬ覚悟ができていると言えるのだ。
イルンガ族の出現によりゲリラ側に混乱と動揺が走りそれによって相当数の者が死に追いやられたのはの事実だが、次から次へと数で対抗するゲリラ兵はやがてイルンガ族と距離を取り狙い撃ちを始める。もはや内山が思うほど精神的なダメージを負っている者は皆無だった。それが故に突如無防備なままワゴン車の陰から躍り出て、こちらに向かって歩き出してきた日本人の行動が理解できなくとも冷静に見極めようとする余裕があった。
日本人は何か喚いているが、それ以前に周囲の騒ぎや喧噪で何を言っているのかさっぱり聞き取れないのだ。
降参してきたにしては態度がふてぶてしい。極め付けは天に向かって小銃を放つ行為だ。戦場において空打ちなど有り得ないことだ。しかしそれが意表を突く作戦であるなら、それは確かに成功したと言えるが、内山本人してみればこれはただのハッタリでしかないのだ。内山らに銃口を突きつけている何人かのゲリラ兵たちは、他の仲間を尻目にキツネにつままれた気分で、横一列に広がって向かってくる妙な日本人に対して、なんの躊躇いもなく小銃の引き金を絞る。
ゲリラ達にとって意外なことは何も起こらなかった。銃弾に四肢を貫かれた日本人は横からバタバタと倒れて行く。
その昔、太平洋戦争で日本軍が敢行したスーサイドボンバーが、彼らの一瞬の躊躇に結びついていた。しかしそれ以上のことは何も起こらない。彼らは首を傾げながら引き金を絞り続けた。
「なんや、こいつらビビっとったんちゃうんか」
端からもんどりうって血飛沫をあげる若い衆を尻目に内山は血相を欠いて後ずさる。続いてたたらを踏み回れ右をして、その場から一目散の離脱を敢行する内山。
こいつらには脅しもハッタリも駆け引きも何も通用せんのんか、人を殺すことも自分が死ぬことさえも何とも思うとらんのや。こんな奴ら相手にしとったら命がいくらあっても足らへんがな。これは純粋に数の勝負なんや、ハナッから少数のワシらに勝ち目なんかあるわけなかったんや、イルンガ族もそのうち奴らに吞み込まれるに決まっとる。ここは逃げるしか生き残る道はない。
内山はここにきて完全に戦意を失っていた。そうなるとこの場にいることの無意味さだけが自分の中で肥大していく。
自分ができることは得意のハッタリをかますことしかなかった。それしか能がないことを今さらながら思い知らされる。脇目も振らず逃げながら意識の片隅では走馬灯のように過去の記憶が愚かさの色をまとって再生される。
物心がついた時から、なぜか腕力には自信があった。思えば幼いころからのこの自信が内山の人生の決め手になったと言っていい。考えて答えを見つけるよりも自慢の腕っぷしが物事を解決してしまうからだ。それだけではない自分の腕力に怖気づいた周囲からの忖度に身を任せていれば自然と物事は自分の思う方向へと進んで行く。中学、高校と階段を登るにつれて世界が広がると、挑んでくる者も多くなってきて、体格に恵まれた内山の圧倒的な暴力に屈しない猛者も少なからず現れたが、相手を支配したい、負けるわけにはいかない。と言う内山の強い欲求が、自分よりも強い相手を嗅ぎ分けることに役立った。まともにぶつかっては勝てない相手だと判断すると、内山は相手の精神的な弱点を探しだし、或いは作り上げて心理的に優位な立場に陣取って相手の自信を喪失させることに密かな喜びさえ見出すようになった。内山とやっても勝てないだろうと思わせることにかけて駆使する場面づくりや奸計を仕掛けることにかけて内山は天才的な能力を発揮する。それが嵌れば暴力を振るう必要もなかった。脅しや恫喝は最後の決め手でしかない。そこまで計算された最後の殺し文句はリアルな暴力以上の効果を発揮して内山の人生に金と貫目を運んできたのだった。
ところがこれまでの人生で積み上げてきた自分自身が、本物の戦場で何一つ通用しないということに、内山はここで初めて気が付かされる。
戦場では場面づくりや奸計を巡らせる暇もない。銃撃戦が主体では自慢の腕力を発揮する場もない。そんな内山がチャンスとばかりに躍り出てゲリラ兵士に対して無意識的に得意の恫喝を浴びせてしまったのは無理もなかったのかもしれない。
日本のヤクザ渡世を持ち前の腕力と天才的な閃きで実践して成功を積み重ねてきたた自分のキャリアは、ひたすら相手を翻弄し降参させるスキルを磨くことに貢献してきたが、所詮は極東の平和ボケした日本社会でしか通用しないテクニックだったと自身で証明した形だった。
組織内において自分こそが男の中の男だと自負していたが、心が折れた今の内山は恥も外聞もなく、両脇でバタバタと倒れていく若い衆を見捨て、文字通りの敵前逃亡を計ったのだ。
胴間声からの逃走劇に呆然とした一人のゲリラ兵は苦笑さえこぼしながら改めて内山の背中に照星を合わせたが、その刹那イルンガ族が襲い掛かり内山は辛くも命拾いしてしまう。
戦場の枢機を自らの的外れな価値観で判断し、読み違えた内山は一人、命拾いしたことも知らず、ひしゃげて穴の開いたフェンスの向こうに広がっている無人の荒野に飛び込んで行った。
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