第61話 細川②
あちこちで鳴り響いていた警報が鳴りやむと、戦闘中の銃撃音や、それに伴う爆発音が、離れていてもハッキリと聞こえてくる。
「あいつら、派手にやってくれてるな」三野は吸いさしの煙草を地面に捨てると踵で踏みつぶした。
「あぁ頃合いだな、そろそろ俺たちも行くとするか」ハギギの言葉に小休止していた他の者たちがあわただしく腰を上げる。
作戦では、最初に正面突破を果たしたイルンガ族が、その勢いのまま出来るだけ奥深くに入り込んでハイエナを解き放ち、そこから反転して、出てきたゲリラ兵士を相手に戦いながら折賀瀬組との合流を目指し、一方でイルンガ族の正面突破に続く折賀瀬組は内山と細川の部隊にわかれてすぐさま戦闘を開始。その目的は敵の主力を炙り出し、あるいは自らに敵の主力が集中するように暴れまわり、最後にはそれを叩く。
そしてその最中に乗じてハギギらは正面からの突入を避け、側面から回り込み背後に聳えている断崖絶壁の中に設けられている主要部分に侵入を試みるというものだった。
「陽動は上手く行っているようだ。この分だと俺たちが中に侵入するのはそう難しくわないだろう」最後に車に乗り込んできたハギギが言った。
「日本のクソ大臣が、ゲリラは百人しかいねえって言ったその言葉に乗っかっているのが気に入らねえところだけどな」三野の言葉に運転席のビボルがエンジンをかけながら振り返るが、何も言わず車を発進させた。
「確かにこの基地の規模に百人は少なすぎますね。五百人いても不思議ではないような気がします」柏木が言った。
「同感だな、オスカル・バルデスがイルンガ族から離れた時に奴に付いて行ったのは数十人だったと聞いているが、それから2年以上が経っている。それに国際社会の人間を人質にして身代金を要求するまでになった組織が百人しかいないってのは現実的じゃないな」三野の隣に腰を下ろしたハギギが答えた。
「現実的な数とは」三野には皆目見当もつかない。
「少なくとも三百以上」口にしたバギギは、内心それでも少ないと思う。
車内に憂鬱な沈黙が下りる。
窓から見えていた外周のフェンスがいつの間にかコンクリートの塀に変わっていた。
「塀が少しずつ高くなってるっすよ。こりゃあ絶壁の辺りはかなり高くなってるんじゃないっすかね」三富が心配を口にする。
「それなら大幅に迂回して、あの絶壁の頂上に回りこんで上からロープ伝いに降りて侵入するのも手じゃないでしょうか」矢島がそれしかないと言わんばかりに提案する。
「迂回して断崖の頂上に登るのはいい作戦だが、見る限りあの絶壁は横に果てしなく続いている。無駄に時間を掛けてたら正面で戦っている連中が全滅しかねない。もし連中の数が三百人を越える規模だったら下手をすれば全滅はもう時間の問題かもしれないんだ。だから今更、迂回するのはあり得ない」
ハギギの言う通り絶壁の頂上に登るには断崖の横幅があまりにも広すぎていた。きっと昼間の明るさでもこの絶壁を登るポイントがすぐには見つけられないに違いない。
「この先どれだけ塀が高くなっても、最早それを乗り越えるか、あるいは壊すしかないんだ。逆から回り込んでるアルセンやコバレフも、条件が同じならきっと俺と同じことを考えるだろ」ハギギが咳払いをひとつ挟んで続ける「どっちにしろ今は敵のほとんどは正面で戦っている折賀瀬組の連中やイルンガ族に集中しているはずだ。このチャンスを最大限利用する」
やがて前方にハッキリと姿を露わにした絶壁の中腹には、台座に据えられた長い砲塔が3本も突き出ていた。そこに灯りや人影は見えないが、砲筒の先端が戦火の行方を見守っているようだった。
「やっぱり、本丸はこの崖の中ですね」上を見上げながら三富がつぶやく。
「そんなことわかり切ってんだよ。ちと高いが作戦通りこの塀を乗り越えて中から登ってあの大砲をぶっ放してやろうぜ」と三野が言う。
「でもその前に、あの大砲が正面で戦ってる人たちに火を噴いたら、ひとたまりもないっすよ」三富が目を瞠って言うが、ほかの複数の目の「あの角度では下には撃てないだろう」という無言の蔑みに気が付いて、「すいません」と付け加えた。
次の瞬間、レーザービームのような照明がピンポイントで照射され、自分たちの車が闇夜に浮かび上がった。どうやら基地周辺のセキリュティも並みじゃないようだ。
「くそっ勘づかれたか、ビボル車を出来るだけ壁際に寄せて走れ」ビボルはすぐにステアリングを切って壁沿いギリギリを走行し始める。
その途端に絶壁の方向から何かが火を噴いて頭上を横切って行った。ロケットランチャーの類に違いない。その直後に後方で爆発が起きる。
「どこまで進む」ビボルが次の攻撃に警戒しながらハギギに指示を仰ぐ。
「ギリギリまで行くに決まってるだろ」
その後は高さを増してゆく塀に守られて、ゲリラ側も迂闊に攻撃を仕掛けてくることはなかったが、車はすぐに断崖絶壁の麓に行き当たった。
「どうするハギギ、この分だと正面の陽動が思っているほど当てには出来ねえぞ」三野が判断を委ねる。
「ビボル、車を塀ギリギリに付けて止めてくれ」
臆すること知らないハギギは切り替えと行動が早い。ハギギを頭領と認め全てを委ねて付いてくる者もそれは認めている。ハギギの指示を聞いた他の者たちは、すぐさま武器を手に取っては身に着け素早く車を降りる準備に入る。
「細川の兄貴っ大丈夫ですか」
建屋内の柱にバスの左フロントを激突させた細川は朦朧としながらも声が聞こえる方に目を凝らして、懸命に焦点を合わる。
「だれか、怪我して動けない奴はいるか」
「大丈夫です」と言う威勢のいい返事がきっちり人数分返ってくるのは頼もしいが、走行不能になったバスの中に籠城するしかない現況では、死んでいる方がむしろ幸せなのかも知れなかった。
「済まないことをした」咄嗟に出そうになった言葉を細川は呑み込んだ。そしてショットガンをもって運転席から離れると中腰になりながら奥へと進んで行き、時折何度か立ち止まってはショットガンをぶっ放した。奴らの武器マーケットまではまだ距離があった。加えて所どころで車両の陰から顔を出しているゲリラ兵士は、10や20ではきかなそうだ。
畜生っ、あの腐れ大臣め、何が百人足らずの過激派ゲリラだ。ここに突入してから俺がこの目で見た数は百人なんてとっくに越えているぞ。
「全員大丈夫です。武器もまだ十分にあります」
胸が締め付けられる思いがした。自分は運転しながらこの建屋の内部の状況をずっと見てきた。だからこそ今のこの状況がどれほど窮地に立たされているか十分に認識しているが、自分以外の若い衆たちは、ずっと身を伏せながら外の状況を見ていない。だからこの絶望的な状況をまだ理解しきれていない。
「とにかく逃げるぞ」どこに…。バスの左側前部に柱がめり込んで乗降口は使い物にならない。後部の乗降口もスクラップ同然の車両を巻き込んで停止しているため邪魔になって開きそうもない。だからと言って窓から出るなんてもってのほかだ。顔を出しただけでハチの巣にされるのは必至だ。したがってこのバスから降りることすら容易じゃない。
「俺たちはもう死ぬしかない。今さら逃げることも出来ねえ。だからせめて最後まで戦え。ジャパニーズマフィアの意地を見せてやれ」
それだけが言える事実だった。しかしそれすらも細川は言葉にできない。
なぜなら俺たちはこの国に死にに来たわけじゃない。人質を救えば全員が刑務所から無罪放免になっておまけに特別報奨金一千万をもらって娑婆に戻れることが約束されているんだ。人質は三野の若頭や突如仲間に加わった外人部隊が必ず救い出してくれるはずだ。救出の一報が入れば米軍だって大挙してやってくる。戦況は今にも、そしてあっと言う間にひっくり返る。それが根底にあるからこんな無謀なことさえも出来たと言える。死ぬかも知れないなんて微塵も湧いてこなかった。俺でさえこれなのだから、こいつらから悲壮感の欠片も感じてこないのは無理もない。
幸いにも武器弾薬はまだ潤沢にあるが、このままではジリ貧だ。
「おい、内山、聞こえるか応答しろ」
通信機で外の内山を呼んでみるが返事がない。
まさか死んだのではあるまい。
内山も交戦中なのだ。そんな時に通信機の相手をしている場合じゃない。
あきらめて四つん這で移動して行って今度は散弾銃を手にとって不意に立ち上がると2発撃った。ゲリラ兵士が血飛沫をあげて倒れるのが見えた。拳を握って喜びたくなったが、その向こうの陰から出てきた新手がロケットランチャーを担いでくるのを目撃して肝を冷やした。まさか自前の建物内であんなもの持ち出すとは思ってもみなかったのだ。馬鹿なのか奴らも必死なのか呆れるしかなかった。
「おい、手榴弾はあるか」すぐそばで銃口だけ外に突き出して撃ちまくっている若い衆に聞いた。
「あります」
「右奥からランチャーを持ち出してきた馬鹿がいる。援護するからありったけを投げつけろ」
今度は細川が窓から銃口を突き出して撃ちまくる。弾が切れると今度はゲリラ側が打ちまくってくる。そして再びこっちのターン。
「いまだ投げろ」
3人がピンを抜いて手榴弾を外に投げた。
しばらくたって爆発が巻き起こる。
それに続いて細川が銃弾を撃ちまくる。
今度は、若い衆の一人がオーバーハンドスローで手榴弾を投げた。
床に腰を落として、下からそれを眺めていた細川はふと思った。
こいつ野球をやっていたな。
続いてクイックモーションで手榴弾が投げられる。別の一人がピンを抜いた手榴弾を手渡す息の合いようまで見せる。
細川自身も中学時代に所属していた野球部でピッチャーを任されていた。将来はプロになるつもりだった。それが今はなぜか戦場にいる。
細川の口元に笑みがこぼれる。
銃弾がバスの車体に炸裂する音、手榴弾の爆発音、断末魔の叫び声。その中にあって躍動感のある投球モーションは細川の意識を釘付けにした。
試合を完投した時の充実感と心地良い疲労感が甦る。
河川敷のグラウンドの土の香りまで匂った気がした。
不意に白球が転がって膝に当たった。
自分がグラウンドにいるかのような錯覚に陥る。
白球を手に取った。
俺にも投げさせろ。
取ったボールが本当に白球だと思い込むほど現実逃避はしていない。
驚愕の叫びが耳に突き刺さる。
次の瞬間、轟音とともに白い光が細川を呑み込んだ。
連続した爆発音が建屋の中から轟いていた。
内山は細川が窮地に陥っているのではないかと気が気でなかった。何度通信機に呼びかけても応答がない。しかし数を増やしていくゲリラ兵士を前にして動くことが出来ないでいた。
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