第58話 突入

 ほんの10日ほど前の今頃は、刑務所の中で腐りかけた天井を眺めながら娑婆にいる者たちのことを漠然と考えていた。そんな時は無性に煙草が吸いたくなったものだ。

 自分が出所してからのことは、あまり考えたくもないが満期までの無限に等しい時間があらゆることを考えさせる。所詮、刑務所の中で考えることなんて一つも思い通りには行かないと判っていても、まさかこんなにかけ離れた現実が待っていようとはさすがの俺も想像すらできなかった。

 俺は今アフリカ大陸にいる。そして日本最大の暴力団、折賀瀬組のリーダとして南スーダンを拠点とする戦闘部族イルンガ族、更には昔の不良仲間のハギギらと手を組んで、国境を超えスーダンのグティエレを根城にする過激派武装ゲリラに、拉致された人質を奪還するため戦闘を仕掛けようと向かっている最中ときたもんだ。

 俺は真っ黒のガラス窓に映る自分の情けない顔から視線を外して前方の闇に目を凝らした。すると5分もしないうちに、うっすらと闇夜に聳え立つ巨大な岩山が輪郭を露にする。その絶壁のところどころに四角く切り取られた人口の光はまるで、生き物の目のようにこっちを見ている。それでも奴らはまだこっちの動きを察知してはいない。それだけは自信を持って言える気がした。

「まるで海坊主だな」見たままを口にした。

「あれこそ天然の要塞ってやつですね」珍しく柏木が反応する。

「あれが奴らのアジトだ。先頭はもう近いな」ハギギがトランシーバーを手にして、先頭集団を形成するイルンガ族に通達を入れる。

「全隊一度速度を落とせ、イルンガ族はハイエナどもにGPSを取り付けろ」

 予めコバレフから教わっていたイルンガの言葉でハギギが指示を出した。言うまでもなく、そのGPSこそが過激派武装ゲリラが探知している方のGPSだ。きっとこのタイミングまでGPSの信号を遮断するボックスに入れてあったに違いない。 

 ゲリラ側にしてみれば、今までロストしていたGPSのマーカーが突如として自分たちのアジトの目と鼻の先に現れるのだから、たまらないはずだ。そしてそれは俺たちの戦闘開始の狼煙でもある。

 先頭集団のハイエナを乗せたイルンガ族の車両が、次々と後輪を空転させながら飛び出して行く。彼らはハイエナを捕獲する際に連合組織の組員の死体からもGPSを回収している。その数100個以上。それを30頭あまりのハイエナに括りつけたのだ。

「俺たちも続くぞ」ハギギが号令をかけた。

 束の間、闇夜に朦々と立ち込める乾いた砂ぼこりが後続の車両を包み込む。その数瞬後、いよいよ眼前に現れた敵の本拠地は軍事基地そのものといってよかった。一瞬ここは米軍の基地か何かではないかと勘違いが過る。

 GPSはすでに探知されているはずだが、敷地内はまだ静まりかえってる。

「あのミサイル攻撃でこっちが全滅したと思いこんでるなら、こっちの奇襲は思った以上にはまるな」

 見えてきた正面ゲートには退出を管理する守衛所があり中に人影が見える。

 先頭集団のハイエナを乗せたイルンガ族。折賀瀬組の大型バス2台を含む15台、そしてハギギのグループが数台と最後に装甲車のようなイルンガの族長車。この全車両がライトを消して闇夜と一体になっていても、荒野を駆る地響きは隠しようもない。それは次第にうねりとなって守衛所をガタガタと震わせる。その勢いは城門を突き破る大木のようだ。

「影男、バルデスと人質がどのあたりにいるのか知っているのか」

「知るわけねぇだろ。でも恐らくあの岩の中だろ。だから俺たちは正面からは行かねぇ。手前から迂回する」

 その判断に異論はない。そして柏木の肩をつかむ。

「柏木さん、この車から降りたら何があっても俺から離れないで下さい」

 柏木は前方を見ながら、ひとつ頷いた。傍らでソワソワと落ち着きのない三富や矢島よりも柏木のほうがずっと頼りになりそうな気がして苦笑が漏れる。

「三富、矢島、お前ら大丈夫かよ」

 2人は揃って引きつった顔を小刻みに上下させた。

「死にたくなかったら腹を括れ。ビビったままじゃ判断を誤るぞ」

 情けないほど深刻な2人の表情に冗談すら言う気にもなれない。

 額に脂汗を滲ませた三富が絞り出すように口を開いた。

「兄貴、GPSを外したってことは日本政府も俺たちを見失ったってことですよね。それなのにまだ人質を奪還する必要があるんですか」

「それもそうだよな。ってことは日本政府も今ごろビックリしてんだろうな」

 そんなことは、GPSを外したときから判っていた。

「三富さん、この際だから言っておきますが我々が日本政府から言われた通りに動いているよりも、今の方がずっと生きて日本に帰れる確率が高いんです。その上で人質を奪還しに行くのは交渉の切り札を手に入れるためなんです」

 三富と矢島の肩と顎が落ちる。今度こそ声も出ないらしい。

「ツトム、この2人置いていくか、足手まといは御免だからな」

 ハギギが声を上げて笑いながら言った。

「お前ら最初からこの話を信じ込んでいたのか。報奨金1千万円なんてただの目眩ましに決まってんじゃねえか」

「そうです、三野さんの言うとおりです。日本政府は表向きは我々に人質奪還を頼んでおきながら、裏では全く違う目的を遂行させているはずなんです。そうでなければ

刑務所に入っている反社の人間にこんなことを頼むはずがありません。恐らく日本政府は最初から我々に人質を奪還することなど期待してはいないと私は考えています」

 三富と矢島は今更そんなことを言うのか、とでも言いたげな顔で柏木を見詰めている。その2人を見てハギギが指をさして笑う。

「とにかく今は、腹を括れ。真相を知らないまま死にたくねえだろ」

 これは俺の本音でもある。

 

 300メートル以上に渡る車両集団の先頭が正面ゲートに差し掛かる。

 居眠りをしていた見張り番も異様な地響きにやっと気が付いて小屋の窓から上半身を出して、外の暗闇に目を凝らし耳をそばだてた。

 しかしそれはあまりにも迂闊な行動だった。それが敵の突入だと夢にも思わなっかに違いない。見張り番の男はここに詰めるようになって1年以上になるが、こんなことは初めての経験だった。そしてこれが最後の経験になる。

 暗闇に目を凝らした男がこの世で最後に見たものは、回転しながら真っ直ぐに向かってくる槍の先端だった。眉間を貫かれ即死するその瞬間まで男は自分が襲われたことにすら気が付かなかったに違いない。

 窓から上半身を乗り出していた男は、槍で串刺しになった頭部の重みで引きずり出されるようにして地面に落ちた。それとほぼ同時にハイエナを乗せたイルンガ族の車がゲートをぶち破り、そのすぐ後を折賀瀬組の本体も通過して行く。

 当然のようにセキュリティが働く。非常事態を告げる警報が二重、三重でなり響き敷地内の照明に次々と電源が入る。それまでのナイトモードから一転して強烈なライトの光が敷地内を昼間のような明るさにした。

 イルンガ族の車両は敷地内の奥へと躊躇なく進んで行く。

 折賀瀬組の本体は、正面ゲート付近を背にして車列を左右に展開する。

「おい、止まれ」

 大型バスの運転手にそう命じた内山は、外をグルリと見渡した。

「あそこだ。あそこに止めろ。バスの腹は正面に向けろ」

 それだけで他の組員は内山が何をしようとしているのか察して、すぐに動ける態勢を整える。

 内山は、正面ゲートを突破する直前に機関銃を搭載している数十台のジープが中の駐車スペースに止められているのを確認していた。

 今、その駐車スペースの入り口を封鎖するようにバスが停止した。

 正面にいくつも並んでいる建屋の大きなシャッターはどれもまだ固く閉ざされている。

 内山の耳は、うるさい警報に混ざったハイエナの遠吠えを聞き分けていた。前方では正面建屋のシャッターがようやく動きだした。

「奴らが出てくるぞ」内山が叫ぶ。

 戦車でも出てきそうな気配だったが、ゲリラたちも建屋の中にあるジープや乗用車を盾にしながらこちらに銃口を向けている。兵装はさほど変わらないが確認できるだけで連中の数は、こちらの何倍いるか見当もつかない。

「何が100人足らずだ、あの大臣、帰ったら絶対にぶっ殺してやる」

 次の瞬間、凄まじい数の銃口が一斉に火を吹き始めた。








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