第57話 肩パン

 ガキの頃からハギギと言う男は喧嘩自慢の単細胞とはわけが違っていた。俺が知る限りこいつが衝動的に喧嘩を始めたことは一度もない。強い奴を見付けると決闘の日時を決め、その日からまるでプロボクサーのようにその一戦のために体を鍛え直し、一番強い自分を作り上げて決闘に挑む。加えて相手にも万全で来るための準備を怠るなと、発破をかけることまでする。

 全てはガチンコで勝負するのが目的だ。誰よりも喧嘩が強いと証明できれば、それだけで人は付いてくると信じて疑わない男だった。

 そんなはずはないとわかっていても知識も経験もない当時の俺は黙ってみているしかなかった。いつか負ける時が来たらその時初めて気が付くはずだ。心の片隅でそう思いながらハギギの喧嘩を見守っていた。

 今あらためてハギギの立てた作戦を聞いていると、ガキの頃の意識が鮮明に甦ってくる。

「まずグティエレで最初に暴れてもらうのは、イルンガの連中が捕まえてきたハイエナだ」

 車のガラス越しに飛び掛かってきたハイエナが頭を過る。。

「まてよハギギ、多少は慣れているからってそんなに都合よくハイエナが奴らに襲い掛かってくれるのかよ。下手したら俺たちにも襲い掛かってくるんじゃねえのか」

 こっちに顔を向けたハギギの表情は、ガキの頃の喧嘩に行く時とちっとも変わらない。こいつは今もずっと負けなしのままここまで来ているというのか。

「ツトムさっきも言っただろ、ハイエナを戦力としては考えていない。とにかく

まずはハイエナを乗せたワゴン車を先行させる。奴らのアジトは切り立つ岩山を背にして正面と側面はコンクリートの壁かフェンスで覆われている。車が出入り出来るのは正面の一か所だけだ。そこを強行突破して中でハイエナを放つ。ハイエナにはお前さんたちが身に着けいていたGPSを車から放つ直前に身に着けさせる」

「やつらがミサイル攻撃を仕掛けた方のGPSってことか」

 当たり前だろう、という顔でこっちを見られると少しだけ腹が立った。

 GPSを直前で身に着けさせるということは、今はGPSの機能を無効にするボックスにしまってあるのだ。奴らにしてみれば攻撃対象のGPS信号がいきなり自分たちの敷地内で探知されるのだから混乱どころの騒ぎじゃ済まなくなるだろう。

「イルンガ族は、ハイエナを放つ車両にほとんどが乗り込んでいる。折賀瀬組の主力もそのあとに続いてイルンガ族と共に戦闘開始だ」

 一方でハギギのグループとマカブに俺と柏木と三富は、別動隊として側面に回って侵入を試みる。侵入が成功すれば、中で二手に分かれて、過激派ゲリラの頭領であるオスカル・バルデスを、ハギギとマカブが仕留め、肝心の人質救出を俺たちが担うことになった。

 それぞれが役割を確認すると全員は改めてグティエレに向けて出発した。

 ハイエナを乗せたイルンガ族の車両がざっと10台、その少し後に2台の大型バスを含む折賀瀬組、そして更にその後方をハギギの仲間達が続いている。

「ハギギ、お前の仲間はどうするんだ。別動隊はこの族長車に乗っている俺たちで充分だろ」

 無灯火で走行する外の闇は、前方を見つめるハギギの顔をハッキリとフロントガラスに映し出していた。ハギギは顔色を変えずにゆっくりとこっちに顔を向ける。

「あいつらは、二手に分かれて一方は少し離れたところから正面の入り口を監視する。もう一方は、俺たちとは逆の方向から側面に回り込んで、岩山の頂上まで登ってもらって、外部からの敵や加勢があった時に備えてもらう」

 なるほど。用意周到だ。少しは大人になったみたいじゃないか。

「ハギギ、お前どっかで喧嘩に負けたことがあるだろ」

 走行中のタイヤが凹凸を拾って、全員が揃ってバランスを崩した。そのせいで独り言のような問いかけは自分の耳にも届かなかったのにハギギはニヤリと笑みをこぼしてフロントガラス越しにこっちを見やると、一言なにか口にした。しかしその声はハギギが拾ってきた矢島の声にかき消されてしまった。

 矢島は折賀瀬組を潰そうとしてできた連合組織の唯一の生き残りである。

 ハギギが矢島の肩に腕を回して言った。

「ツトム、こいつ中野なんだってよ。昔の俺のことを知ってたんだぜ」

 矢島はハギギの腕を外して、体ごとこっちに向き直ると、直立不動の姿勢から90度に体を折り曲げた。

「い、池袋の松島組の矢島大吾と言います」

 矢島は恐る恐る頭を上げながら上目使いでこっちを見てくる。そして「自分は日本に戻ったら堅気になります」と付け加える。すると走行中の車内にも拘らずあちこち手を付きながらそれでも肩を怒らせて三富が矢島に掴みかかりそうな勢いで叫ぶ。

「おめぇ連合ってことは反折賀瀬ってことなんだろ。なにが日本に帰ったら堅気になるだ。この車から生きて降りれると思うなよ。おうっ」

 ハギギに近づくな。そう言おうとしたがやはり遅かった。次の瞬間、バチンと音だけが車内に弾ける。三富がハギギに殴られたのは明らかだったが、全くと言っていいほどハギギがパンチを打つモーションが見えなかった。おそらく三富もそうだったに違いない。ほんのわずかの間キョトンとして顎のあたりに手をやった三富は、糸の切れた人形のように崩れ落ちて白眼を向いた。

 俺は上を向いて目を覆った。

 反折賀瀬連合ができたのはアフリカに来てからのことだ。矢島にとっては預かり知らぬところで勝手に始まり、どうしたって従うしかない立場だったのだから、ここでヤクザを辞めて堅気になるというのなら、あえて殺す理由はなくなったと言えよう。

「でもあのとき人質にしないで殺してやった方が良かったのかも知れないな」

 ハギギがこんなことを特有の外れたイントネーションで言うものだから、それが冗談なのか本気で言っているのか分からない矢島は顔を引きつらせて言葉が出ない。

 ともあれハギギが矢島のことを可愛いがっているのは明らかだ。言い掛かりをつけに来た三富に対して咄嗟に手が出てしまったのがいい証拠だ。二人の関係は地元で仲のいい先輩と後輩のようにしか見えない。そのノリで矢島は、ハギギらとイルンガ族が連合組織を襲った時のことを自身が体験したままに説明し始める。

「いきなり大型バスがロケットランチャーで爆破されたんです。そのバスには連合をまとめていた3人のうち2人が乗り込んでいたんですから。あれであの場にいた150人はパニックになったんですよ。圧倒的な火力ってのがどんなに怖いものか俺も思い知らされたっす」

 ハギギに抱き起されてシートでのびていた三富がいつの間にか目を覚まして、感慨深く頷いた。きっと殴られたのは、もちろんのことその前後の記憶すら覚えていないのかもしれない。矢島は仲間でも見つけたかのように安心した面持ちで心境を吐露する。

「俺いままでヤクザやって来て少なくとも一般人よりは数多く修羅場をくぐってきたと思っていたもんだから、ハギギさんたちに遭遇するまでは、むしろワクワクしていたんです。NGSWを構えるだけで無敵になったような気がしてたんです。だけど実際の戦闘ってやつは、俺の想像をはるかに超えていて、ハギギさんたちの戦闘力を前にして、俺のヤクザ人生なんてママゴトだったんじゃないかって思わせるほどで、小銃なんか持ってたって何の役にもたたないし、もう絶対に殺されるって本気で思いましたよ。きっと他の連中も俺と同じようなことを思ったんじゃないでしょうか。米軍の輸送機の中で、日本の大臣がアフリカの武装ゲリラなんかたいしたことないって説明してましたけど、すっかり騙された気分です。人道支援なんて申し込まなきゃよかったって思いました。暴力団の抗争のつもりじゃ通用しないんですね」

 矢島の独白は、ヤクザの抗争とはわけが違うといった柏木の懸念を裏付けてもいた。だんだんと俯いて視線を落としていた矢島はスッと顔を上げた。

「だけど、やっぱり折賀瀬組はすごいっすね。自分で勝手に日本のヤクザは情けねえなあって決めつけていましたけど、今は折賀瀬の皆さんに感動しています。俺はもうヤクザを続けるつもりも勇気もないんですけど、日本に帰るまでは付いていきますので改めて宜しくお願いします」矢島は深々と頭を下げて見せた。

「日本に帰れるといいけどな」

 俺の心の声をハギギが口にした。しかし相変わらずのイントネーションなものだから本気にも冗談にも聞こえてくる。

「馬鹿野郎、帰れるに決まってんだろ」

 ハギギの肩口にパンチを喰らわせる。思ったよりも力が入った。ゴメンと口から出る前に、ムキになったハギギのパンチが肩に飛んでくる。本気には程遠いが一瞬で切れてそれより少し力の入ったパンチが反射的にでてしまうほど、地味に痛い。やがて肩パンの応酬が始まってしまった。

「だけど、うちのボスが日本にツールがあったとは驚きだよな」

 おいアルセンと言ったか、このまま俺のパンチを食らい続けたらお前らのボスの肩が死ぬぞ。鼻くそほじってねえで止めねえか。

「まったくだ。人質の井上が日本人じゃなかったら俺たちは今ここにいなかったのかも知れないな」そばにいるコバレフとかいうのも呑気にだべっている。

 柏木、お前英語が話せるんだろうがこいつらにハギギを止めさせろ。こいつは負けず嫌いなんだから。やばい俺の肩も限界が近い。

「ミスターカシワギ、日本人は友人と再会するとみんなああやって肩を殴り合うのか」

「日本にそんな文化はないよ」

 柏木は呆れ顔で返答している。どっちの身体が強靭か殴りあって比べるのは中学生までなんだよ。

「ならもうそろそろ止めにしてくれないと、困るんだがな」

「これから戦闘をしに行くのに、その前に身体を壊したらどうするんだ」

 同時に柏木に顔を向けたアルセンとコバレフは、自らの肩に殴ってみろと柏木に肩を突き出して見せるが、二人の顔色は一瞬で肩パン合戦の興味から覚めて、それどころか自分の役割を思い出したかのようにこの場から離れていく。


「もうすぐグティエレに着くぞ」

 本当かどうか知る由もないが、柏木の一言にハギギが反応する。途中からお互いのパンチをキャッチして離さない状態が続いていたがハギギの拳から力が抜けた。

 ようやく終わったぜ。負けず嫌いの喧嘩馬鹿め。ちくしょう無駄な汗を掻いた。

 汗拭きタオルを探しに踵を返すと、そこにはイルガ・マカブの巨体が聳えているではないか。

「ヘイッ」

 マカブが殴って来いと真っ黒の鉄球のような肩を突き出してくる。

 アルセンやコバレフが急に興味を失ったのはこいつのせいに違いない。

「お前と勝負する気にはならん」

 俺はハギギのパンチで痛む肩を大げさにさすった。

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