第54話 理由
「イルンガ族ってのは何人いるんだ」
三野は身体の故障個所を確認するように肩を回したり膝の曲げ伸ばしを繰り返した。
「51とか2じゃなかったかな。ここにもうすぐ来るぜ、奴らがいねえことにはこの戦争は始まらねえからな」ハギギが言った。
どうやら目立った故障個所はない。強いて言えば後頭部の少し上あたりにできたコブが地味に痛い。
「そうすると影男の仲間が20、イルンガ族が50、俺たちが40弱か」
さきほどの戦闘で折賀瀬組は7人が死亡して38名になっていた。三野は暗算しながら続ける。
「合わせて110、対して向こうさんは200って言ってたな。しかもここは奴らの庭だ。さっきのミサイル攻撃でこっちの数が減ったと思っているといいんだけど希望的観測は抜きにして、このまま夜明け前に攻め込むのが得策なんじゃねえのか」
「当然だ。それにツトム、ここはまだグティエレじゃないんだぞ」
「マジかよ、こりゃあゆっくりしてらんねえな。本当に影男が来てくれて助かったぜ」三野の驚きをよそにハギギはニヤリと白い歯を覗かせる。
「まあ見てろよツトム、面白いこと考えたからよ」
と言ったハギギは窓を開けて外にいるコバレフを呼ぶ。
「マカブたちはあとどれくらいでここに着く」
無線機を手にしているコバレフは、柏木でさえも初めて聞く言語で交信をとる。
「もう矢島を拾ったらしいんで、あと10分もすれば着くと思います」
ハギギは捕虜にした矢島を途中で待たせることによって、あとから来るイルンガ族が迷わない処置を施していた。正直なところすっかり失念していたが、矢島はしっかりと役目と果たしたくれたようだ。それだけでも殺さずにおいて良かったといえるだろう。
「そのイルンガ族ってのは、どうやって仲間にしたんだよ」
まるで暴走族の話でもしているかのような口ぶりにハギギは懐かしさを覚える。
「彼らは隣の南スーダンって国の戦闘部族なんだぜ。族長だったイルガ・マカブってのがとんでもなく強くて有名なやつでよ、試しにタイマンを張りに行ったんだ」
三野は思わず吹き出した。
「影男、お前こそ変わってねえじゃねえか」2人はもう一度グータッチする。
「まるでチーマー同士の喧嘩じゃねえか。それでそのタイマンに勝ったってわけか」
ハギギは会心のドヤ顔で、突き立てた親指を自身の胸に指してウインクをして見せる。
「今は、俺がイルンガ族の族長だ」
「マジかよ、呆れた奴だな、そう思ってんのお前だけなんじゃねえのか」
「そんなことはねえよ、ちゃんと儀式だってしたし、この車だって族長専用だしよ、今だってイルンガ族の連中が後からここに来るのは、俺があることを指示したからなんだ」
ハギギが口を尖らせて全力で否定する様は、およそ戦闘部族の族長には見えない。きっとハギギの強がりに違いないと三野は思う。
「……それよりもツトム」車内の暗さと同じくらいハギギの口調が暗くなった。車の外にいる柏木が誰かと英語で話しているのが聞こえてくる。
「どうしたんだよ急に」
「あのときの約束を守れなくて悪かったな。ずっと心に引っ掛かっていたんだ」
「なんだよ今さら……。またこうして会えたんだから良かったよお前が無事で、でも何がどうすればアフリカに辿り着いちまったのか詳しく知りたいとこだな」
ハギギはコバレフに、マカブが到着したら直ぐに教えてくれと伝えると、しばらくジッと黙っていたが、やがてひとつひとつ思い出しながら、そして言葉を選びながら話し始めた。
「少年院を出てから家族の都合で故郷に戻ることになったんだ」
「そう言えば、影男はイラン人ハーフだったよな」
暗闇でハギギが顔を上げる。「覚えていてくれたんだ。俺の故郷はイランの首都バグダッドさ。だけど年少を出てから1年もしないうちにテロリストの自爆テロに親父が巻き込まれて死んだんだ」
三野は息を飲んだ。ハギギの言葉が暗闇に漂う。
「母親は日本人だったからまた日本に帰えることになったんだけど、その手続きで日本大使館に出掛けたときに自爆テロに巻き込まれた」
三野は影男の顔を見やった。影男は感情の失せた青白い顔で機械仕掛けのように滔々と続ける。
「あのときの俺は両国籍だったから日本に戻ることは可能だったんだけど、立て続けに親を失って何をどうしたらいいのか考えることができなかった。尤も自爆テロのおかげで日本大使館が閉鎖されてたから日本に帰ることなんて出来なかったんだけどな」
三野は、ふと思い出したことを聞いてみる。
「影男、確か兄貴がいるって言ってたよな、まさか兄貴まで……」
「ああ、俺に兄貴がいることまで覚えているのか、俺がそのあと日本に戻らないでフランスに渡ったのは兄貴がフランスに住んでいたからなんだ」
「ヨーロッパかよ、俺も一度でいいから行ってみてえな」
薄暗がりの中で影男は頼りない笑顔を見せた。くっきりと溝を作るほうれい線の深さは少年時代には見られなかったものだ。
「日本人のイメージからしたら、フランスはお洒落な街って感じかもしれないけど実際はそうでもねえって言うか、移民や難民でごった返している。ちょっと裏に入ればスラム街ばっかりだしな」
「移民と難民て違うのか」あまり聞きなれない言葉に三野は眉根を寄せて言った。
「まあな、問題なのは難民の方だ。中東とか北アフリカの貧困国とか、国内の紛争で行き場を失った一般人を難民としてヨーロッパ各国が分担して受け入れているんだけどこれが今、どこの国でも社会問題になってる」
「へえ、難民なんて日本じゃちょっとピンとこない話だな、でも影男は難民じゃなくて兄貴を頼ってフランスに渡ったんだから移民ってことになるんだろ」
三野の正しい解釈にハギギは目を瞠った。
「そうなんだけど俺の見た目がこれだろ」ハギギは中東系の自分の顔を指先でアピールする。「どこに行っても難民と同じ目で見られる」
「難民てだけで白い目で見られるのか」
ハギギは頷いたが目には反発の色を浮かべる。きっとその一言だけで理解された気になるのは心外なのだろう。
「難しいことはよく分からねえけど、難民を1人受け入れるだけで税金が幾ら掛かるとか、それでいて安い賃金で使える難民があらゆる仕事を奪っているとか。フランス国民にしてみたら自分たちが払った税金で難民を養っているのに、仕事まで奪われちまうんだ。日本語で言ったら踏んだり蹴ったりだろ。フランス人がその不満の捌け口を難民にぶつけるのは自然の流れだよな、わかるか俺の言っていることが」
ハギギは三野が話の内容に付いてきているかチラリと確認してから続ける。
「難民としてフランスに受け入れられた者たちの生活ってのは、なんだか肩身が狭くてな、しかもフランスで生まれた難民の子供は、生まれたときから輪をかけて肩身の狭い環境で育つことになる」
「肩身の狭い環境って」
ハギギは少し考えてから言った。
「どこに行っても差別の目で見られて学校では虐めの対象になる。家に帰っても両親は慰めてもくれない。それどころか自分の子供に窃盗や強盗を強要する始末だ。そんなのがほとんどなんだよ。日本はいくら親が馬鹿野郎でも行政や地域社会がしっかりしているから道を踏み外す方が難しいくらいだけどよ。フランスは行政にしても地域社会にしても運営しているのは生粋のフランス人だから難民にはあるはずの手厚いセフティーネットには引っ掛かりもしないようにできている。移民や難民を受け入れたのは人口問題の解決とか安い労働力をあてにしたんだろうけど結局、国にとってデメリットばかりが目立つ結果になってにっちもさっちも行かなくなっているのさ。難民受け入れなんて辞めちまえばいいのに国際社会の対面上そうも行かねえんだろ。国にとって難民は癌だって言う著名人も多い。国中どこに行っても難民に休まる場所はねえ。子供は大人になるにつれて例外なく犯罪者になる」
途端にフランスで生活する難民2世に親近感が湧いてくる。
「やっぱフランスでも日本と同じで、不良になるような連中がマフィアになるんだろうな」
宙を彷徨っていたハギギの視線が、再び三野を捉えた。ハギギの表情は少し悲しそうに見えた。
「難民は不良の世界でも差別を受けるんだ。マフィアにすらなれない」
「じゃあ半グレってやつだな」
「半グレだって」
「そう半グレ。最近の日本は暴対法や暴排条例が厳しくなりすぎて、銀行の口座を作ったり、部屋の賃貸契約を結ぶこともできない。名刺を切ったり名乗っただけで恐喝になる。こんなんじゃヤクザになる奴がいなくなるのも当然だろ。それでも真面目にやってられねえ半端者が寄り集まって犯罪集団を作り上げる。暴走族の延長みてえなもんだ。ヤクザじゃねえから暴対法に縛られることもねえ。ガキみたいに粋がりやがって、やることも過激だから社会問題にもなっている。そう考えると難民2世と日本の半グレって似ているとこがあるかも知れねえな」
いや似ても似つかない。とハギギは思った。
フランスの難民2世たちには選択肢がないのだ。日本のように真面目に生きるかヤクザになるか、という選択肢がないのだ。加えてヤクザだろうが半グレだろうが、自分さえその気になれば多少の努力は必要だとしてもいつでも足を洗って真面目にやり直すことさえできるのが日本だ。
フランスの難民2世と日本の半グレとでは、有り方の本質が全く違うと言っていい。
しかし今そのことを議論したところで三野たちは半グレでないのだ。ハギギは三野の話を黙って聞き流した。
「俺の場合は兄貴がフランス人と結婚してフランス国籍を取得していたから、その縁で移住するという名目でフランスに移り住んだんだ。でもさっきも言った通りこの見た目だったから世間の風当たりも難民者扱いだったし、俺もいちいち説明なんてしなった。仲間はどいつもこいつも揃って難民2世ばっかりだった。それでもって難民2世グループ同士の抗争に明け暮れてた」
「毎日喧嘩三昧で、影男にとっちゃ天国だっただろ」
ハギギはくっきりとした白い歯を見せた。そして堀の深い眉間の奥から、いたずら小僧のような瞳を覗かせて頷いて見せる。
「強い奴がどんどんやってきてよ、ガンガンぶちのめしてあっという間に仲間が百人くらいになった。そして最後に残ったのが俺のグループとそこにいるアルセンのグループになったんだ」
「もしかしてここにいる影男の仲間ってのは全員難民2世ってやつなのか」
「気づくのが遅せえよ。だけどツトム、俺が今まで相手にしてきた中で一番強かったのは吉田だよ」
一瞬それが誰のことかわからなかった。中学のときの同級生だった吉田のことだと気が付くまでしばらく時間が掛かった。他人の言葉から忘れかけていた自分の記憶を引き出されるのは、なぜか胸の奥からこみ上げるものを感じた。あの頃の記憶が鮮明に甦ると急に今自分がいるスーダンと東京の間にある気の遠くなるほどの距離を感じる。
そこへコバレフが車内に首を突っ込んできた。
「マカブが着いた」
2人は話を中断して車外に出て行った。
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