第48話 闘争心

「私が言うのもなんですが、細川さんの目のつけどころには感心しました」

 柏木は細川と内山を乗せたそれぞれのバスが先発して行くのを見送りながら言った。陽射しはだいぶ傾いているが気温は一向に落ちる気配がない。

「正直言って俺も驚きましたよ。うかうかしていたらあの2人にいつか足元を掬われるかも知れません」

「でも兄貴、俺たち3人で人質救出に向かうのって、大丈夫なんですかね」

 自らハンドルを握った三富が言った。旧友を失った悲しみには、どうにか折り合いがついたようだ。

「お前いつから俺の舎弟になってんだよ。ってまあいいか」

 どさくさ紛れに三野の舎弟分になった三富は、柏木に向かってガッツポーズをして見せる。

「逆に大勢いたら目立ってしょうがない。3人で何とかなるだろう。まずは武装ゲリラの衣装を手に入れよう」

 顔を隠している武装ゲリラの黒装束は手に入れたいアイテムのひとつだった。

「取り敢えずは、先行組に着いて行きます」

 三富はハンドルを回してワゴン車を旋回させると車列の最後尾に着いた。

 見上げると、ぶ厚い雲が空を覆いだしているのに心を奪われる。沈みつつある太陽が雲をキツネ色に焼き上げている。見ていると塀の中で食べたコッペパンを思い出ささずにはいられない三富は思わず口にした。

「そう言えば今日は土曜日じゃないですか、しかも今週は甘シャリの日ですよ」

 土曜日の昼食はパン食が給与されるのが刑務所の通例だ。甘シャリとは汁粉のことである。甘シャリ付きのパン食は多くの懲役が楽しみにしている貴重な一日でもある。

「そんなもん日本に帰ったらいくらでも食えるじゃねえか」と三野はつぶやくように言った。

「いやぁ娑婆じゃ汁粉なんか食いませんよ。塀の中だからこそ旨いんじゃないですか兄貴。柏木の兄貴も甘シャリはどうですか、好きだった口ですか」

 すっかり元気を取り戻した三富は調子に乗って柏木のことも兄貴と呼びだしている。柏木は苦笑いしながら答える。

「もちろんですよ。毎月献立が発表されると甘シャリが何日に出るか確認して指折り数えていたくらいです。刑務所に入って自分がどれだけ甘いものが好きだったか思い知らされましたよ。いい年して本当に恥ずかしい」

 柏木がこんなことを言うのも珍しい。三富は嬉しくなって口が止まらなくなる。

「俺なんか新入りが来たらまず、甘いものが好きか嫌いか確認していましたからね。嫌いなんて言ったら目が輝いちゃいますよ」

「お前ふざけた奴だな、そう言えば三好の野郎も似たようなこと言ってたけど、お前たちの仲があまり良くなかったのはそれが原因だったのか」

 甘シャリの話で盛り上がりつつも三野と柏木は如才なく外の様子を窺っていた。人差し指は常にNGSWのトリガーに掛かっている。

 やがて乾いた不毛の荒野は少しずつ人間の手によって形づくられた線が景色の中に割り込んでくる。それは車が行き交って削られた台地であったり、蔦や木の皮で誂えた人家であったりした。しかしどれも風化しきっていて自然に回帰しつつあるものばかりだった。

「三富、そろそろ前の連中と少し離れろ」

「でもまだグテレまでだいぶありそうですよ」

 三野は後部座席から身を乗り出し時刻を確認する。

「どこから見られているか判らない。早めに離れておいた方がいい」

 言ってる間に外の風景は人の営みが加速していき集落と言える街並みが現れていた。それでも人の気配は感じられない。

 折賀瀬組の一団は無人の集落に入って行く。

 先攻しているバスがスピードを落とした。

 その先にダルフールの市街地グティエレの姿がようやく現れようとしていた。

 それは土着の部族が原始的な生活を営んでいたような集落とは全く異なる、まるで古代文明の遺跡群のような街並みだった。そして正面に現れた黄褐色の土壁は人の背丈ほどで立ちふさがり、そこからすり鉢状に窪んでいく地形をバスの中から見下ろすとその壁が迷路のように入り組んでいるのが解かる。このまま車で進むには壁沿いに迂回するしかなさそうだった。細川はその状況を無線で三野に伝える。


”若頭、この迷路みたいな壁が邪魔でここから先に進めねえ、別のルートを探さねえと、それかここに車を置いて行くか”


”いやもうすぐ日が暮れる。車を捨てるのは危険だ。迂回して別のルートを探せ。途中で交戦が始まったらそのときは状況を見て判断しろ、撤退するのは恥でも何でもない。そのときは米軍のキャンプ地まで戻れ、いいな”


 細川との通信が切れた途端、乾いた銃撃音が響きわたる。

 突然バスのガラスが弾けるように砕けた。見ると壁で作られた迷路の隙間から黒装束に身を包んだ武装ゲリラが銃口を向け発砲しながら徐々に迫ってくるのが散見される。

 銃撃音の数が増して行く。

 それでもバスは応戦しながら進みだした。

「兄貴、俺たちはどうしますか」

「こいつら見たところ数はそう多くない。俺が背後に回って蹴散らしてくる。車はできるだけ後ろに下げとけ」

 三野はそれでけ言うとスライドドアを開け放った。ついて行こうとした柏木を制して1人でワゴン車から下りた三野は無人の集落から大きく回り込んで壁を乗り越えて迷路の中に入って行く。1メートルあるかないかの通り幅は、直線が3メートルと続いていないが壁の高さは目線ほどで、大きく欠けているところもある。ようやくゲリラ兵士どもの背後に回って顔を出すと、交戦しているゲリラ兵士と折賀瀬組の一団が薄暗くてもハッキリと認識できた。三野は少しずつゲリラ兵士の背後へと近付いて行く。ざっと20人はいる。

 ロケットランチャーを肩に担いだ黒装束が見えた。

「あんなもん打ち込まれたらひとたまりもねえな」

 三野はロケットランチャーに向かって手榴弾を投げた。それと同時に横方向に走る。

 数舜後、思っていたよりも大きな衝撃が辺りを席捲した。

 5メートル足らずしか離れていなかった三野も忽ち前が見えないほどの砂埃に呑み込まれる。頭に巻いていたターバンで口と鼻を覆っていたのは良かったが、やられた聴覚が束の間戻ってこない。

 喚き散らすゲリラ兵士の声が微かに聞こえた。奴らも半ばパニックに陥っている。

 ゲリラ兵士は正面の折賀瀬組と交戦しつつ後方からの正体不明の攻撃に応戦する構えを見せる。

 三野はゲリラ兵士どもの横方向にまわっていた。そこからNGSWをフルオートで狙い撃ちする。

 叫び声や呻き声が上がるが、三野に気が付いて応戦してくる者もいる。反撃の弾丸が側の壁をえぐりその破片が頬に傷をつけた。

 再び手榴弾を投げ屈んで身を隠す。

 吹き飛んだ壁の向こうに、折賀瀬組の一団が垣間見えた。

 しばらく待って角からそっと覗くと散乱する瓦礫の中に人間の手足が転がっているのが見える。三野の銃弾に倒れたゲリラ兵士も転がっている。

 三野は2発の手榴弾とNGSWでこの場にいたゲリラ兵士の半数を一掃していた。

 警戒しながら顔を出すと崩れた壁の向こうに仲間たちのバスやワゴン車が見えた。

「いいようにやられたな」

 バスはガラスが割れた程度だが盾になったワゴン車は穴だらけだった。タイヤもやられて傾いているのも何台かあるようだった。

 バスを降りた内山が警戒しながらこっちに向かって来る。

 辺りを見回すと生存しているゲリラ兵士の姿は見えない。どうやら退散したようだ。

 三野は爆発で崩れた壁の瓦礫を踏み越えて手を振った。

 それに気付いた内山が走ってこっちに向かって来る。

「若頭、無事ですか」

「あぁ大丈夫だ。そっちはどうだ誰かやられたか」

「いきなりだったんで、何人か怪我した奴はいますが、みんなかすり傷程度ですわ。それより車が4台もいかれちまいました。ここに捨てていくしかねえです」

「どうせ余ってるくらいだったんだ丁度いいだろ、それより今の交戦で怯んだ奴はいねえか」

 三野はそれが一番心配だった。ところが内山はキョトンとした顔をして見せる。なぜそんな心配をするのかと言わんばかりだ。

「それはねえですわ、若頭がここを吹っ飛ばすのがもう少し遅かったらワゴン車が何台かここに突っ込んでいたところですよ。他にも車から降りて走ろうとした奴までいたんで止めるのに大変だったんですから」

 思わず笑みが零れる。

 折賀瀬組のこの闘争心はどうだ。三野は無性に誇らしい気持ちになった。

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