第45話 イルンガ族
折賀瀬組の一団がグティエレの20㎞手前で3団体連合の残骸に遭遇したのは丸一日経ってからのことだった。
黒焦げのバスの残骸を中心に夥しい数の死体があちこちに転がって、何とも言えない悪臭を放ちだし、飢えた野生動物たちの餌場と化していた。腐った肉はハイエナや猛禽類にとってはご馳走らしい。折賀瀬組のバスやワゴン車が近付いても逃げようともしない。
「こりゃあひでえ……」
ワゴン車の助手席からこの光景を目の当たりにした三野は顔を顰めてウインドウを閉じた。
「どうりでいくら無線で呼びかけても応答がなかったわけですね」
ハンドルを握っている柏木が言った。
車から降り立つ者は誰もいなかった。車で近付いても目もくれず人間の死体に群がっている野生動物に慄いているせいもあるが、それ以上にこれだけの殺戮をやってのけた得体の知れない集団が、すぐ近くに潜んでいて今にも襲い掛かってくるのではないかという漠然とした恐怖心からとても外に出る気にはなれないのだろう。できれば早いところここから離れたいというのが本音に違いない。
後方から細川を乗せた大型バスが追いついてきて三野のワゴン車に横付けする。自らハンドルを握る細川の顔を見ながら通信機で会話をする。
”武装ゲリラにやられたんですかね”
”そんあ感じだな、この黒焦げのバスの他は、車も武器も全部もっていかれている”
”これからどうしますか、このままグティエレに進みますか”
”いや、もう5キロ進んだところで一旦停まって様子見がてら手筈を確認しよう”
”了解しました”
三野は通信回線を共通に切り替全員に呼びかける。
”このまま、あと5キロ進んだところで一度休憩にする”
折賀瀬組の一団はグティエレに向かってさらに前進を開始した。
禿鷹が腐りかけた人肉を奪い合って泣き叫ぶ声が折賀瀬組の背中を見送った。
そしてその様子を500m離れた岩山の上からイルンガ族の男が確認して合図の低い声を上げる。ハギギらとイルンガ族の本体はそこから更に1キロ程度離れた場所に待機していた。
イルンガ族は500m程度なら双眼鏡など必要とせず1㎞程度の距離なら、間に2人も立てば動物の鳴きまねのような合図だけで完全な意思の疎通を図ることが可能だった。
「ボス、折賀瀬組の連中とみられる一団が、バスの残骸の前を通過しているようです。大型が2台、ワゴン車が20台」
通訳したコバレフは、あの短い合図にしてはその情報量の多さに目を瞠っている。
解ったと頷いたハギギも半信半疑のようだった。それが確認できるタブレット端末は発電機を回して充電中だった。
「それにしても」コバレフはもう黙っていられないといった様子でイルンガ族について話し出した。
「半端じゃないのはイルガ・マカブだけじゃない。他の奴らも全員、身体能力が普通じゃねえ」
誰よりも肩幅が広いその厳つい両肩を竦めたコバレフはこれ以上ないくらいのあきれ顔で言った。
「奴ら、ガキの頃から戦うことが日常なんだ、鍛えられ方が違うんだろ……、それだけじゃねえ」
不意に近くでアルセンの気合のこもった呻き声が聞こえてきた。見てみるとイルンガ族の若いのとアルセンが、がっぷり四つに組んでいるではないか。
イルンガ族の若者を相手に相撲や腕相撲あるいは陸上競技で体力勝負をするのが最近の流行りだった。イルンガ族の若者は揃いも揃って、まるで栄養失調のように筋張って痩せた身体付きをしている。それに対してアルセンやコバレフらはボディービルダーのように筋肉の鎧を纏っている。両者を比べればまるで大人と子供だ。一見して力の差は歴然としているように見えるのだが、ハギギらの仲間は誰一人として腕相撲すら勝てた試しがない。
今もがっぷり四つから、あっさりと上手投げを食らってアルセンは地面に転がされていた。
「それだけじゃなくて他には」
ハギギが言いかけていた先をコバレフが促した。
「イルンガ族の強さの秘密はガキの頃からの戦闘体験だけじゃない。奴らは常に自然とも戦っているんだ。人間と戦うよりも自然の方がよっぽど手強いはずだ」
「自然が」
「そうだ自然だ。50度を越える日中の気温。人間を恐れない野生動物に、毒を持った昆虫。自然の中で生きるってことは毎日が生死をかけたサバイバルなんだ。俺たちみたいに己の欲望のために戦っているのとは根本的な出来が違う」
今も何人かのイルンガ族の若者が交代で周囲の見張りに当たっている。彼らは頭にターバンを巻いているだけでこの炎天下に上半身を晒して平然としている。コバレフの目にはもう彼らが栄養失調のようには見えなくなっていた。戦闘部族の肉体は不必要な肉や脂肪がそぎ落とされた究極の肉体なのだと考えを改める。
筋肉や見栄えだけに力点を置いて安全が行き届いた空間で管理されたメニューをこなして作り上げられた肉体。いわば温室の中で育てらた肉厚の果物のような身体とは違い、限界値が異なる肉体をもつイルンガ族は真に野生の人間といえるのかも知れない。
イルンガ族の中にはまだ10代前半の子供もいるが、アルセンたちはその子供にさえ翻弄される始末だった。
「こいつらヨーロッパに連れて帰ることができたら、オリンピック選手にして一儲けできちまうだろうな」
「どんな種目に出ても楽に金メダルを取るだろうな」
「確かにそうかも知れないな」
ハギギは感嘆するコバレフに調子を合わせたが、ハギギが捉えているイルンガ族の本質に照らし合わせて言うと、それは非現実的な考えをとしか言えなかった。
きっと彼らのような人間は、先進国で行われている競技という文化に感心を持たないだろう。いくら身体能力がずば抜けていようとも、富と名声に無頓着な彼らが身を削るほど競技に専念する意味を見出すことは出来ないのではないか。あるいはそれ以前に先進国に連れて帰ったら、欲望まみれの文化に侵されて死んでしまうかも知れない。そんな気がしてくる。今こうして先進国の若者との力比べを見ていると、その思いが確信に近付いて行くのだ。
サバイバルとは無縁の単なる腕相撲であってもイルンガ族にとっては体験したことのない歓喜をもたらす文化に触れているのだ。イルンガ族の文化にそうした享楽的な要素を持つ催しがないというわけではないが、あってもそれは生き抜くための戦士としての知恵や技を証明するものや、それを祈願する儀式であったりするのだ。うがった見方をするとイルンガ族の戦士たちは、こうしてハギギの仲間たちと触れ合っているだけで先進国の文化という毒に侵されているといえるのかも知れない。
イルガ・マカブが苦い顔をしてアルセンたちの腕相撲を眺めている。
族長としての権限をハギギに移譲してしまった今のイルガ・マカブの思いが判るような気がした。
人間に保護された野生動物が僅かの間に自然に戻る力を失ってしまうのと同じように、恐ろしいまでの文化という毒を前にして、イルガ・マカブは部族の誇りが失われてしまうのではないかという危うさに本質的に気が付いているに違いない。
「コバレフ、ちょっといいか」
ハギギはコバレフをつれてイルガ・マカブのもとへ行った。
イルガ・マカブは礼を尽くした態度でハギギを迎える。穏やかな表情の中にどこか拒絶する意志と戦っているようにも見えてしまうのは穿ち過ぎか。そう思うとハギギは自分自身が俗物の権化のように感じてしまい、イルンガ族の族長としての佇まいに引け目を感じ、イルガ・マカブとの距離を詰めることができず、コバレフとの間に腰を下ろした。
ハギギは今しがたグティエレに向かって行った日本人の集団が、昨日仕留めた集団とはわけが違う連中だということを説明する。その集団は折賀瀬組という日本最大のマフィアであり、今も彼らの仲間が日本のあちこちで内戦を繰り返しているということも話した。
「その折賀瀬組がグティエレで、バルデスが率いる武装ゲリラとどこまで戦えると思う」
ハギギの質問にマカブは、顔を上げた。
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