第39話 邂逅

 折賀瀬組がキャンプ地を出発する直前のことだった。三野のところに、血相を欠いた三富が駆け込んできた。この時、劉聖会もまだ出発してはいなかった。

 三富は米軍の航空機内で、三野に言われた通り組織の内外を問わず自分の顔を売り回ってた。決して折賀瀬組の金看板や三野の肩書をダシにして、調子に乗っていたわけでない。

「私、折賀瀬の三野ところの者です。ここで一緒になったのも何かの縁ですから以後お見知りおきを」と言った程度に留めていたのは、業界では中々の有名人も少なからずおり単純に怖気づいていたからに過ぎない。そしてそんな連中と対等以上に挨拶を交わしていた三野の存在の大きさに改めて感服させられてもいた。きっと自分一人では相手にもされなかったことだろう。この機会に名刺交換ができないことに歯噛みする。業界の有名人と繋がりを持てるチャンスなんてもう二度とないに違いない。ならば日本の何処かで会ったときにあのときの小僧かと思い出してもらうくらいの印象は残しておきたい。

 そうこうしているうちに、ほとんどの席を回りつくした三富は自席に戻る前に用足しをして戻ろうとトイレに足を向けた。

 三富がトイレに近付いて行くとタイミング良く中から人が出て来てこっちにやってくる。。狭い機内で互いに身体を開いて譲り合いながら擦れ違った。とそのときだった間近に迫った相手と視線がぶつかりあった瞬間、二人の間に遠い昔の記憶が蘇った。

「裕二じゃないか」

「もしかして入江さんですか」

 相手の入江という男は、三富が小中学生のときに過ごした街の、云わばご近所さんだった。親同士の近所付き合いはあったと記憶しているが、入江とは年が二つ違いだったために会話をした記憶はほとんどない。それでも10年近く同じ町内で暮らしていたから、その細面で目が細く狐のような顔は忘れようもなかった。三富自身は幼少のころからヤンチャだったが入江の方は、真面目な人生を送っているはずだった。その格差が年を重ねるにつれて2人を遠く離れた世界に導いて行ったと三富の中では認識していた。それだけにこの思わぬ場所での再会は、嬉しさよりも残念に思う気持ちの方が大きかった。

「入江さんがどうしてこんなところにいるんですか」

 入江は少し恥ずかしそうにしながらも「どうしたもこうしたもねえよ」と言った。入江がそんな砕けた口の利き方をするのにもショックを覚える。その後トイレに行くのも忘れて入江の席に付いて行くと、そこは劉聖会が陣取っている場所だった。話によると中学を卒業すると同時に引っ越した先で、素行が悪くなったと入江は言った。

「それでもヤクザになるなんて全然イメージが湧かないっすよ」

 周囲の強面が三富を睨み付ける。

「おい兄ちゃん、うちの入江に舐めた口利いてると、殺されるぞ」

 本気なのか冗談なのか分からない顔で言われた三富は首を竦めるしかなかった。

 入江は周囲に誘われるままヤクザになった口だった。どこにでもあるありきたりな動機だが、ヤクザになった途端に組同士の抗争が勃発し、入江は相手の組事務所のガラス割りに駆り出された。初めて撃った拳銃の弾丸は、タイミングよく顔を出した相手組員の額に命中し、入江は殺人で13年服役した。そして幹部に昇格させられる。

 三富はそんな入江の経緯を聞かされても、少年時代からほとんど顔の造作が変わっていない細面のキツネ顔は、間違って人間の生活圏に迷い込んでしまった野生の小キツネにしか見えない。

 その後の2人の間で盛り上がる話題は、ガキの頃の近所の名物オヤジは、どうなったとか、商店街のパン屋の娘は誰と結婚したとかそんな話ばかりになる。とてもヤクザ者同士の会話ではなかった。気付けば周囲の強面たちも相好を崩して2人の話を聞き入っていた。

 意気投合した2人は、ここでは組織が違うため行動を共にするわけにはいかないが、日本に戻ったら兄弟分になろうと話がまとまった。周囲の者たちからも反対されることはなかった。

 その劉聖会の入江が三富に情報をリークしたのだ。僑栄会が音頭をとって他の5団体が反折賀瀬で動き出していると。

「現地に着く前に、うちと僑栄会で折賀瀬を叩くつもりだ。うちより先に出発したら挟み撃ちにされる。悪いことは言わない今のうちにこっちにもぐりこんで来い、裕二」

 入江の誘いは嬉しかった。しかし自分に組織と三野を裏切るなんて出来はしない。

「教えてくれてありがとうございます。でもそっちには行けません。それより入江さんこそ、こっちに来ませんか。こっちの責任者の三野さんは俺の兄貴みたいな人です。入江さんだって名前くらいは知っているでしょう。話は直ぐに通します。それに戦争になったらうちは負けませんよ」

 入江は言葉を詰まらせた。最初に誘いを断ったのは自分だが、難色を示した入江にまたもショックを受ける。

 三富はその足で三野のもとに駆け付けたのだ。

 折賀瀬組が劉聖会のあとに出発したのは、僑栄会と劉聖会の企てを既に知っていたからだった。

「奴らが僑栄会と合流する前に叩くぞ」

 三野が率いる折賀瀬組の本体はキャンプ地から50キロ離れた地点で劉聖会の一団に追いついた。出発直後に襲わなかったのは米軍がそれに気付いたときにどう対処してくるのか予想が付かなかったからだ。危険分子と見なされて攻撃でもされたらたまらない、さすがに米軍相手に勝ち目はない。

 しかし劉聖会とだったら、物理的な戦力は人数にしても銃火器にしても全く同じだが、実際の戦闘に関しては抗争慣れしている折賀瀬組の方が一枚も二枚も上手だった。

 後方から追い付いてきた少数精鋭の折賀瀬組の車両に劉聖会は、気付くのがあまりにも遅かった。不意打ちという戦略的優位に立たれては劉聖会もひとたまりもない。劉聖会は一も二もなく白旗を上げる。その直後、手はず通りに細川と内山は10人足らずで本体を離脱して僑栄会の急襲に向かった。戦闘において不意打ちが最も効果的だということを折賀瀬組は知っているのだ。

 両手を挙げて大型バスやワゴン車の中から降りてきた劉聖会組員の中に入江の姿がないことを訝った三富は、入江の名前を呼びながら一台ずつ車両の中を覗き込んで行った。

「裏切り者は殺したよ」

 劉聖会の幹部の1人がさも当たり前のように言った。

 米軍の航空機の中で、折賀瀬組と一緒だった劉聖会は、そこではまだ僑栄会に反折賀瀬の打診は受けていなかった。しかも愛想よく挨拶回りをしていた折賀瀬の若い衆と入江が幼馴染みだったということは劉聖会の主だった者たちの知るところになっていたのだ。

 そしてキャンプ地に着いて僑栄会と共闘して反折賀瀬を結成するとなったとき、幹部の何人かは入江が何かするのではないかと危惧するのは当然だった。案の定入江が三富に接触し情報をリークした現場も劉聖会の人間に監視されていたのだ。

 劉聖会がキャンプ地を出発したのは、折賀瀬組が午前10時になっても出発しなかったからではなく、反折賀瀬で他の組織が共闘していると知った折賀瀬組に挟み撃ちはもはや通用しない。このまま正面からやり合っても勝ち目がないと見積もったからだった。劉聖会は一刻も早く僑栄会と合流したかったのだ。

 入江はその途中に、バスの中で殺されていた。

 バスの奥座席で変わり果てた入江を三富は見付けてしまった。

 至近距離でアサルトライフルに撃ち抜かれた頭部は上半分が消失していた。残っている下半分は、どれだけ殴り付ければこんな風になるのかと思うほどに腫れ上がり、両耳は引きちぎられ歯は全て折られていた。両手足の指は全指が有り得ない方向に折り曲げられていた

 中学のとき、一端の不良を気取って街を闊歩していると、入江が詰襟の学生服を着て駅前の有名進学塾に入って行くのよく見かけたものだった。三富はどこのどんな奴にも喧嘩で負ける気はしなかったし親や教師にだってぐうの音も出ないほど屁理屈をこね回し、自分の主張を押し通す自信があった。世の中を丸ごと見下して、いつも嚙みつきそうな勢いで眉間に皺を作っていたが、入江にだけは牙を向ける気にはなれなかった。それどころか落ちこぼれた自分の責任を背負ってもらっているような申し訳ない気持ちにさせられていた。

 何が望みで学校が終わってからも、あんなに勉強をするのか皆目見当も付かないが、入江のような人間がいてくれるからこそ、自分たちのような落ちこぼれがいても世の中が上手く回って行っているのではないかと思うこともあった。要するに三富は入江に対して憧れのような感情を抱いていたのだ。そして入江は、自分が漠然と思っている通りに世の中で必要とされる人間になっているだろうと信じていた。

 その入江が今、自分の腕の中で無残にこと切れている。

 意図していなかった思わぬ偶然での殺人。そして長い懲役を務め上げ出てきたと思ったら再びの刑務所生活。なぜか一度刑務所に入ると、その後何度も出たり入ったりを繰り返す者が多い。中には世知辛い世の中で生きて行くよりも中の方が楽だと考える輩もいる。入江も今回が3度目の懲役だと言っていた。恐らくヤクザになって娑婆であまりいい思いは出来なかったに違いない。

 生きながらにして自由を奪われる刑務所の中こそこの世の最底辺だ。

 指が逆に曲がって拳を作っている入江の手を三富はそっと両手で包み込んだ。涙が一筋頬を伝って落ちる。入江が一番悔しかったはずだ。このプログラムは入江にとって起死回生のチャンスだった。こんな所で再会などしなければ、こんな殺され方もしなかったのだ。

 負の堂々巡りに苛まれているうちに三富は立ち上がっていた。バスの中に放置されているNGSWを無意識に掴み取って、バスの中ら躍り出る。身体に付着した入江のドロドロした脳梁やどす黒く変色した血痕が強烈な日差しによって悪臭を放ちだす。がそんなことには意にも返さず三富は、目線の高さにNGSWを構え、そのまま降参した劉聖会の幹部連中が集められている場所に近付いて行った。死にそうなほど呼吸が苦しかった。

 三富の奇行にいち早く気が付いた仲間が止めようとするが、半ば正気を失って荒い呼吸をしている三富に睨まれると、彼らはそれ以上動くことが出来なくなった。

 自分たちに狙いを定めて近付いて来る男に気が付いた劉聖会の幹部たちは驚愕の色を浮かべる。

「おい誰か、あいつを止めてくれ」

 一番最初に言い出した男に三富は照準を合わせた。しかし三富が引き金を絞るよりも先に、その男は崩れ落ちた。

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