第37話 包囲網

 翌朝、まだ夜が明けないうちから外の騒々しさで三野は目を覚ました。

 出発は午前5時の朝食を抜きにするなら、敷地のゲートはその1時間前から開けておくのでいつでも出発して構わないと、昨晩のうちから告知されていた。武器や弾薬、他に一週間分の食料や衣類に医療品は、出発直前に渡されることになっている。騒がしいのはそのせいに違いない。

 時刻を確認すると午前4時を少し回ったところだった。それと同時に、見張りをせさておいた若いのが慌ただしく宿舎の扉を開けは放った。

「どうした何かあったのか」

「三和会が今、出発しようとしています。九誠連合と極新会もその後に列を作っています」見張りに出ていたのは木下という男だった。

 まだ寝起きの三野に対して、木下は報告しながらも焦りの色を浮かべる。まだそれほど暑くもないのにエンジのTシャツの両脇は汗ジミが広がっていた。暑さを忘れていた三野の上半身も汗ばんでくる。

「奴ら同盟でも組んだのか」

 三野は呟いた。折賀瀬組の宿舎内は柏木も細川も内山もまだ横臥していて、静まり返っている。

 昨晩、折賀瀬組に同盟を持ちかけてくる組織は皆無だった。ここでは、どの組織も均等に50名ずつだが日本での勢力図は圧倒的に折賀瀬組なのだ。先のことを見越せば幾つかの組織は共闘あるいは迎合してくる組織もあるのではないかと考えていたのだが、日本で起こっている分裂抗争の影響で折賀瀬組とは関わらない方がいいと判断したのかも知れない。

 しかしそれはそれで良かったと考えるべきだった。同盟ともなれば、必ず義理だ面子だと揉め事が起こるに決まっている。それはもうヤクザの習性みたいなものなのだ。現地まで約1000キロ余りある。この厳しい暑さの中で何事もなく辿り着けるだろうか。ストレスは競争心を煽り、泥を塗られた組織の面子は末端の者を刺激する。そしてその手には銃火器が握られているのだ。下手をしたら現地に到着する前に戦力は半減、あるいは早々に分裂することも十分にあり得ることだと三野は考えていた。

 普段から大所帯の組織を切り盛りする人間を間近で見てきた三野には容易に想像が付くことだった。そうとは知らず早くも片手落ちではないかと言いたげな木下に「うちが朝食をとってから出発するのは変わらない」と告げた。

 それからしばらくして東京の銀座に本部を置く僑栄会が出発して行った。これで朝食前に4つの組織が出発したことになる。残るは折賀瀬組と劉聖会のみになった。両組織は上層部の人間が縁を持っていることから云わば親戚関係とも言えるのだが、ここに集められている比較的若い世代の者たちにとっては、雲の上の昔話に過ぎず仲間意識は微塵もないと言ってよかった。

 今朝はたまたま一緒に残っているだけで両組織の間は沈黙を続けている。

 三野は、細川や内山らと協議して、劉聖会の後に出発することに決めた。

 その結果、まるで根負けしたかのように劉聖会が動き出したのは午前10時を回ってからだった。


 米軍のキャンプ地から100キロ程離れた場所に、この日の早朝4番目に出発した僑栄会が留まっていた。朽ち果てた高床式の住居が立ち並ぶ廃れた村落に人影は見当たらない。しかし僑栄会を率いる藤森京太郎にとっては、後からここを通過するはずの折賀瀬組を急襲するには都合のいい場所だと考えていた。

「阿久井、劉聖会とはまだ連絡が取れねえのかよ」

 イラついた京太郎の怒声が阿久井の通信機を震わせた。時刻は午前11時を回っている。

「恐らく折賀瀬の奴らが出発を渋ったんでしょう。それでも10時を回ったら先に出ろと指示してあるんで、もうすぐ見えてくるはずです」

 現地に向かう道筋は幾つかあるが、道が分かれ出すのはこの村落から少し先の地点だった。僑栄会よりも先に出発した三和会らの一団が、ここを通過した際にその情報を阿久井に伝えていた。

 折賀瀬組を除く5団体は、連絡が取り合える周波数帯の取り決めを行っていた。阿久井の隣には今、その周波数帯に合わせた通信機を持っている若いのがそばに付いている。

 各組織の一人ずつが共通の周波数に合わせることにより、通信圏内に入れば組織間の連絡が取り合うことが出来るようになっていた。


 阿久井の胸中には、道東刑務所で三野に工場を追い出されたことが未だに燻ぶり続けていた。

「見とれ青二才が、ぶち殺してやるわ」

 阿久井は藤森京太郎に進言して、折賀瀬組以外の他の組織に共闘を持ちかけていた。これによって折賀瀬組以外の5団体が反折賀瀬で同盟を結んでいた。

 僑栄会の組織力は関東圏で比較すると折賀瀬組を凌ぐ構成人員を擁しており、戦後間もない頃は、銀座警察とも呼ばれ、そのルーツは江戸時代にまで遡るほど東京では老舗といわれる組織だった。藤本京太郎は25歳とまだ若く組織の肩書も正式には組事務所を構えられるほどではないが、現僑栄会会長の藤本源太郎の実孫という事実が、このプログラムでの僑栄会の大将格に据えられた理由だった。

 もし京太郎がこのプログラムに参加していなければ、阿久井がその座に収まるはずだった。そのことに阿久井本人は内心苦虫を嚙み潰していたが、何の苦労もなしに我がまま放題で育ったガキ大将のような京太郎は意外に扱いやすく、日本で分裂抗争中の折賀瀬組がこの先、その規模を縮小させていくのは目に見えているが、その衰退に歯止めをかける可能性のある有望な若手世代は、この機に叩いておいた方が得策だと吹聴すると京太郎はいとも簡単に乗ったのだった。阿久井は阿吽の呼吸で裏方に徹し、日本各地で抗争を繰り返している折賀瀬組の影響で当局の取り締まりが厳しくなり、そのために迷惑を被っている他の組織も、阿久井の老練な口車に乗ってしまったのは、このプログラムの性質上、血気盛んな比較的若い世代が集められているせいもあったに違いない。

 米軍の航空機で、この南スーダンに降り立った時点で、既に折賀瀬組の人間が乗っていない方の航空機は、阿久井の画策によって反折賀瀬派が出来上がっていた。残りの2団体も昨晩のうちに話はついていた。

「現地に着く前に、僑栄会と劉聖会で折賀瀬組を潰す」

 京太郎がそう言いだした。

 折賀瀬組が朝食後に出発するという情報を得た阿久井は嬉々として暗躍し他の組織との通信を可能にする周波数帯を設定し連絡体制を整え、先発した3団体に急襲地点を探索させておいて、そこで僑栄会と劉聖会で折賀瀬組を挟み撃ちにする腹積りでいたのだ。

 がいつまで経っても劉聖会が通信圏内に入ってこないところを見ると折賀瀬組が出発を後らせているに違いなかった。

 まだかまだかと迫ってくる京太郎以上に阿久井自身も苛立っていた。しかしそこへようやく期待していた光景が目に飛び込んでくる。

「阿久井の兄貴、こっちに向かって来る一団が見えてきました」

「よっしゃあ」

 阿久井は車から降りたって、彼方に巻き上がっている砂埃を仰ぎ見た。

 まだ2、3キロはありそうだがあれは確かに組織の一団だった。乾いた地平線を背にして砂埃が舞い上がっている。阿久井は傍らに立っている若いのからM-16ライフルを取り上げて照準器を覗き込んで、その一団が近づいてくるのを待った。

 阿久井は5団体共通の周波数帯の通信機を持っている若い衆の腕を取って呼びかける。するとそれまでなかったノイズがガリガリと響き返事が返ってきた。

「こちら劉聖会。ちょうど連絡を入れようと思っていたところだ。約束の10時になっても折賀瀬組が出発しないから、先に出発してきた。そっちからこっちのバスが見えているか、どうぞ」

 やはり劉聖会が先に出てきていた。阿久井は京太郎にそのことを報告すると、他の連中にも、これから劉聖会と合流して折賀瀬組をここで待ち伏せにする、その手はずを整えろと号令をかけた。

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