第36話 折賀瀬組

「いよいよ、明日ですね」柏木が言った。

 米軍のブリーフィングが終わり、割り振られた宿舎内でそれぞれが夕飯を囲んでいた。   

 柏木は三野が集めた折賀瀬組の幹部8人が同席する食卓に着いていた。

 フォークに突き刺したステーキを口に放り込んだ三野は、咀嚼しながら応じる。

「たいした肉じゃねえけど、なかなか行けるな。あっそうですね、チャチャッと済めばいいんですが」

 三野も含めて周囲はまるで緊張感がないことに柏木は溜め息を吐きたくなった。

 日はすっかり落ちていて昼間の暑さが嘘のような温度差だったが、それでも気温は30℃を越えている。ジッとしていても肌は常に汗ばんでいた。

「現地で民間人に刃物を借りてGPSを切るのは、どうやら望みうすのようですね」

 ブリーフィングによると現地周辺の市街地は犯行グループや他の武装ゲリラがここ数年で起こしたテロや紛争により、民間人のほとんどは虐殺されるか難民となって市街から離れて行ってしまっているということだった。

「ウェブ端末さえあれば、外部と連絡を取って何とかなりそうな気はするんですがね」

 柏木は増々望みのない希望を口にした。

「端末なんてありはせんでしょ」

 あったとしてもWiFi電波が飛んでいるとは思えない。

「でも犯行声明はメールで送りつけたりしている訳ですから、奴らだったら確実に持っているはずです」

「なるほど、でも奴らしか持っていないのなら、やっぱり戦闘は避けられないってことですよね」

 柏木は腕組をしてパイプ椅子の背に身体を預けた。

「結局、最後まで日本政府にコントロールされそうなところに私は不安を感じます」

 外部にリークをするつもりだったところを強制的に、このプログラムに参加させらたことで、それを阻止された柏木にしてみれば、そうした不安を感じるのは尤もなことなのかも知れない。

 無事にこのプログラムが完了したとして、果たして柏木は自分の扱いがその先どうなるのか想像もつかなかった。

 三野は、そんな柏木が暴力団に混ざってその胸の内を詳らかにすることにより、感化される者が現れないのかという心配はしなかったのだろうかと思う。例えば自分のように。

「よし、みんなちょっと聞いてくれ」

 三野はこの場にいる幹部連中にも、ある程度は現実的な話をしておくべきだと思った。

 ここにいる8名の幹部には、残りの40名を5人ずつに分けて任せるつもりでいる。

 その幹部8名が三野に注目する。

「飛行機の中で、あの勅使河原大臣からも、さっきの米軍の説明でも、他の組織の連中と連携することを推奨するとは言っていたが、そんなことしてたらまたくだらねえ面子だとか、へったくれだと始まるのは目に見えている。だから組織同士の連携はしない。どう考えても上手くいくはずがねえ。ただしどんな状況になるかは予想がつかない。場合によっては協力することが必要になる場面もあるかも知れない。そのときの判断は自分たちでしてくれ。あの大臣は、この作戦をさも簡単なことだと言いやがったが、これは戦争と一緒だ。決して甘く考えるな。ここは日本じゃないから代紋や面子のことは二の次だ。その場の判断で、同じ日本人として協力することは必要だと考えておいてくれ」

「若頭」

 手前の席にいた細川という男が、三野を実際の肩書で呼んだ。細面で鋭い目つきをした細川は、ふてぶてしい態度を隠そうともしていない。三野のことは組織の立場上で立ててはいるが、それだけのことで器量まで認めたわけではないと言いたげな顔をしている。

「やけに消極的に聞こえるんですが、それとも若頭は大事な御立場なんだから、この際ここに待機してもらっても構いませんよ」

 及び腰な者はいない方がいいと皮肉っているのは明らかだった。

「テメェ若頭に喧嘩でも売りてえのか」

 向かい側に座っていた内山という男がドスの効いた野太い声で食って掛かる。

 内山は細川とは対照的で恰幅がよく色白で、普段はえびす様のように柔和な顔をしているが眉間に寄せた皺が朱を帯びると途端に仁王像のような表情に取って代わる。

「なんだとこの野郎」

 他の6人の幹部が二つに割れて一斉に立ち上がった。たちまち怒号が飛び交う。

 早くも仲間割れである。さしずめ三野派と細川派と言ったところだった。

 三野にとっては細川の腹が見えただけでも収穫があったと言うべきか。

 三野はテーブルを蹴り飛ばした。怒号で溢れる食卓が静寂を取り戻す。ドン引きで傍観していた柏木の額の汗が顎先から落ちた。

「何やってんだお前ら、ガキじゃあるめえし」

 三野はあえて内山の頭を殴り付けた。

「座らんか全員」

 乱れたテーブルを直したのは細川だった。

「すいませんでした」

 それでも細川の目は半ば三野を睨み付けているようにも見える。

「いいか全員よく聞けよ。相手は武装ゲリラだ。奴らが何ぼのもんかよく知らねえけどよ、少なくとも俺らなんかよりずっと」三野は8人の表情をまとめて一瞥する。

「人を殺すことに慣れている連中だ。俺たちが日本でやって来た抗争とはわけが違う。舐めてかかると間違いなく殺されるぞ。だから協力できることは協力しろって言ってんだ。だけどな人質を助け出すのは俺たちだ。他の組織に先を越されるな。これだけは絶対だ」

 細川と内山が息を呑んだ。他の6人も神妙な面持ちで三野を見詰めている。

「俺は、あの大臣を信用していない。あの野郎が言うほどこのプログラムは簡単じゃねえはずだ。政治的にみても無理があり過ぎる」

 これは柏木の受け売りだったが口にして説明する立場になってみると、聞いていたときよりも得心できてくるのが不思議だった。それどころか突拍子もないが確信に近い考えが頭の中に顕現した。

「日本政府は、いやあの勅使河原大臣は人質救出が無事に叶ったあと、俺たち全員を生かしておくとは思えねえ」

 これには細川も内山も他の全員も顔色を変えた。

「若頭、まさかそんなことがあるわけねえでしょ」

「よく考えてみろ、300人全員が無事に帰って特別報奨金を揃ってもらったらいくらになると思う。30億円だぞ。そこまで税金を出すつもりでいながらも、いざとなったら公には出来ねえってのはどこか矛盾しているように感じねえか。恩赦になって銭までくれてよ、そのうえヤクザ者が事実上の市民権を得る。俺たちにとってどこまでも都合がいいのがどうにも解せねえ」

 三野はテーブルに肩肘をのせた。

「だからこそ人質は俺たちが救出する。救出した人質は今度は俺たちの人質だ。それに加えて武装ゲリラが使っているネット環境も無傷で手に入れたい。最低でも日本政府との交信は録音していつでもネット上に拡散できるようにする。それが俺たちの保険になる」

「若頭」

 細川が再び口を挟む。同時に内山が色めき立つが三野は手でそれを制止した。

「今さっき他の組織の連中と協力はするべきだと言ったのは、利用しろと解釈してもいいんですかね」

 どうやら細川は考えを改めたようだ。内山も留飲を下げてパイプ椅子の背にもたれた。

 三野は無言で頷いて見せる。

「それから人質を救出しても、手首のアラームは鳴らすな。まずは俺に知らせてくれ」

 柏木は、ずっと危惧していたことを三野が言葉にしてくれてホッとしていた。それに加えて同じ組織内とはいえ、ほぼ初対面の間に生じた軋轢をその統率力でまとめてしまった三野の器量に感心していた。

 実際のところは三野と内山と細川は同世代であり組織内のヒエラルキーも、揃って2次団体の若頭なのである。ただ三野がなぜこの場を仕切るのかというと三野の所属する組が組織全体のナンバーツーであり、細川と内山はそれに続く組織だからである。将来的に三野が組の跡目を継ぐことになれば、それは全国に根を張る暴力団組織全体のナンバーツーとなる可能性はもちろんのこと、この場ではもう一段上のトップになる道の最短距離に着いていることにもなるからだった。

 細川と内山の態度の現れは穿った見方をすると、その最短距離にいる三野に対して反発するか媚びを売るかの差でしかないのかも知れないが、そうしながらも将来的に自分の目上に立つにふさわしい男かどうか、このプログラムは打ってつけの機会でもあると捕えているに違いなかった。

 仮にこの場で細川が反発を見せなければいずれ内山の方が言いがかりを付ける側になっていたことだろう。

 双方とも三野という男にこの先の組織運営を担う器量がないと判断すれば、この機会に乗じてどうにかしてやろうという腹積もりでいることには間違いなかった。

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