第34話 表明
「どうかしましたか」
いつの間にか座席に戻っていた柏木の問い掛けに、三野の思考はパタリと本を閉じたように17年前の出来事を閉じた。物思いに耽っている自分がどんな顔をしていたのか想像もつかなかった。ボケっとアホ面を晒していたのか、あるいは独り言を漏らしていたかも知れない。そう思うと少し恥ずかしくなった。
「いや柏木さんと話していたら、ガキの頃の仲間のことを思い出しましてね」
「私にどこか似ているんですか」
「いや、どこも似ているところはないんですが、関係というか何と言うか強いて言うなら昔流行った懐かしい曲を聴くと流行った当時のことを思い出すじゃないですか」
「ああ、私は触媒みたいなものですね」
「触媒って」
柏木は触媒がどんなものか簡単に説明したが、それでも三野は頭を傾げていた。
「俺、変な顔してませんでしたか」
「いいえ、……いやぁ変と言えば変かな」柏木は少し笑みを浮かべながら軽く腰を上げて周囲を確認するようにサッと辺りを見渡した。
「やっぱり変でしたか」
「なんというか他の人に比べて、楽しそうでしたよ」
三野は腰を浮かせて改めて座り直した。
雲海に反射した陽光が窓から間接照明のように入り込んだ機内は、それでも薄暗かった。ジェットエンジンの継続的な轟音が機体を包み込む膜のように感じるのは、きっとまだ母親の胎内いたときの血の流れを思い出させるからではないかと思った。それが証拠にこれから戦地ともいえる場所に向かっているにも拘らず、ほとんどの者が、何とも安らかな寝顔を見せているではないか。少なくとも三野にはそんな風に見えた。
不意に機内の明かりが点き出した。
それと同時に正面のスクリーンに光が入る。間もなくして画面中央に映し出された勅使河原法務大臣は、前回よりも神妙な面持ちでカメラのレンズを見据えていた。
「諸君、おはよう」
前回の通信から丸2日が経っていた。まるで大臣もこの2日間ずっとカメラの前に座ってジッとしていたかのように若干斜に構えているが、歳の割に密度の濃いグレーの頭髪は乱れもなく肌も艶やかで健康的な血色を保っていた。引き結んだ真一文字の唇が深いほうれい線を刻み、それが運命の宣告者としての威厳を感じさせた。
例によって通信は双方向ではなく、こちら側が大臣の声を聞く一方だ。きっと大臣の方は機内の様子が窺えているに違いない。まだ寝ぼけている連中の注目が向くのを待っているかのように、たっぷりと間を取ってから、言葉を紡ぎ始めた。
「あと、1時間ほどで君たちが乗っている航空機は予定通り南スーダンへと着陸する」大臣はそこからのあらましを原稿を手にして読み上げて行った。
航空機が着陸するのは、スーダンと南スーダンの両国が以前から領有権を主張しているアビエイという地域からほど近い場所で、着陸後は直ぐにアビエイに入りそこでキャンプを張る。
武器や通信機などの装備品はキャンプ地で渡される。
犯行グループが根城にしているスーダンのダルフール地方へ向かう編成については組織ごとの6個分隊に分かれて現地入りすることを推奨するが、それは組織の長に任せることにする。
現地までの数百キロの道のりは、装甲車が用意される予定だったが、犯行グループがこちらの動きを察知する恐れがあるため民間用の乗用車やバスが用意されることになった。
尚、服装も現在貸与している迷彩服も逆に目立つので、現地の人間が着ていても、おかしくはないものに着替えてもらうことになる。
通信機は腕時計式で周波数は、各組織ごとに合わせるなり各自で行うこと。通信範囲は百メートルほどではあるが人質を救出したときのみに押すボタンは、ダルフール地方全域をカバーして全員のアラームが作動する仕組みになっている。このアラームの作動をもって作戦は完了とし、そのときから可能な限り速やかに現地を離脱してアビエイに撤収すること。尚、全員が足首に装着しているGPSは生体反応も確認できるもので、生きている者が全員帰還した時点で作戦終了となる。
「少し難しい話になるが」大臣は手にしていた原稿を机に伏せるとカメラに向いた。「アビエイを出発して人質を救出し、その後再びアビエイに撤収してくるまでの間だが、国連のPKO軍はもちろんのこと、我が国の自衛隊及び、アメリカ軍は諸君らに一切の後方支援や協力をすることは出来ない」
要は自分たちだけで行って何もかもやってこいと言っているのだ。しかも途中で何らかの事件や事故に遭遇しても責任の一切を負わないとも言っているのだ。
柏木は腰を浮かし掛けたが、それでも周囲の大人しく画面を見入っている連中をみて半ばショックを受けて押し黙った。
「そもそも、国連に至っては今回の作戦は知るところではない。これはあくまで日本とアメリカの問題だ。人質事件は非常にデリケートで繊細な作戦を必要とすることろから国連の多国籍兵に協力を要請したところで、迅速に答えが返ってくるとも思えんからな、まごまこしていたら人質が殺されてしまう。だから極秘にことを進めなければならんのは解ってもらえるだろう」
例えば隣の家の子供が誘拐されたとして、それは同情もするし本気でその安否を心配もするし、何か協力できることないかと申し出もするが、命を懸けてまで救い出す行動はしないものだ。これと同じことは実際の国連のPKO軍にも言えることで、強化PKOや平和強制といった武力闘争を伴う可能性の高いミッションに直接の利害関係がうすい国の紛争地帯に自国の軍隊を派遣することに消極的になるのは致し方のないことなのだ。
「だからと言って我々両国が、公に出張って行くわけにも行かん、先進国としての立場というものがあるのを理解してほしい。そこで諸君らに白羽の矢を立てたわけだが、そんな事情から、万が一にも日本とアメリカの両国政府が君たちに関与していることは公になってはならんのだ。君たちはあくまで人質に取られた日本人とアメリカ人を見捨てることのできない人道的な正義感だけで事を起こしたということにしておいてもらいたい。もし君たちのことが公になるような事態になったとしても、世間には君たちの組織には、それだけの作戦を立案し実行に移す組織力と財力があることを納得させる報道を流すように手を打つつもりがだ、そんな事態に陥る心配はないと私は安心している。それに何の調練も訓練もせずに現地に向かってもらうことになって不安に思っている者もいるかも知れないが、私としては逆に下手な調練を積んでも意味がないと思っている。相手はゲリラだ。かつて米軍はベトナムでゲリラを相手に手を焼いて遂には敗北をしている。今回の作戦は正攻法で調練をつんだ兵隊よりも普段から日本の市街地で抗争を繰り広げている諸君、あるいはその準備をしている君たちにとっては、うってつけのはずじゃないのか。君たちのような組織人を選んだ最大の理由はそこにある。犯行グループは百人にも満たない土着の小さな武装ゲリラだということが確認されている。対して君たちはその3倍の人数だ、装備についてもまだ実戦配備されていない最新のものを用意しているということだ。人質を救出するのに5日はか掛からないと私は見ている」
大臣はカメラ目線のまま水を一杯飲んでから続ける。その顔には自分の説明には何の瑕疵もないと信じている自信が覗いていた。
「日本に戻ったら直ちに一千万の特別報奨金が振り込まれている諸君名義の口座の通帳とキャッシュカードを渡すことになっている。くわえて希望者は超法規的な処置で、そのまま自衛官としての採用の道も用意している。だからどうか人質を救い出して全員無事に帰ってきて欲しい。健闘を祈っている。私からは以上だ」
スクリーンがブラックアウトすると、機内にどよめきが湧き出した。
ここへきて日本政府は受刑者300名に堂々と死地へ行って来いと表明したようなものだった。それでいて万が一が起きたとしても日本政府の関与はないことにしてくれと言うのだ。無事に戻って来れれば面倒は見るが、死んだらそれまでだと言っているに等しい。都合がいいにもほどがある。
しかし機内に巻き起こったどよめきは、柏木が期待したものではなかった。
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