第33話 絆

 三野と影男の仲は、他の院生と比べて精神的な距離が一歩も二歩も近いところにあった。寝起きから就寝まで、少年院独特の殺伐とした人間関係と教官からの理不尽な締付けによるカリキュラムの中で、時として育まれる絆は、実際の血の繋がりを凌駕するのにさほどの時間を必要としない。

 影男はこれが本当の自分だと言わんばかりに、三野にだけは手の内を隠さなくなった。つまるところ影男の正体はどこまで行っても王様で有りたいのひと言に尽きるのだった。

 少年院で評価される影男は、やはりと言うべきか全てが影男の本当の姿ではなかった。ひたすら自分を殺して模範生になることが、影男が導き出した少年院内での王様になる方法だったのだ。正に猫かぶりの名人とも言える。


「影男、お前背中にも目が付いてんだろ」

 その日の運動の時間はバスケだった。影男の運動神経は他の追随を許さないものがあった。少し目立つ程度なら寄ってたかって潰すのが少年院流だが、影男のそれは見ている者を魅了してしまうのだ。三野自身も中学でバスケ部だった実力を発揮して影男に引けを取らないプレーを見せていたが、最終的には三野をも踏み台にしてプレーしながらも成長する影男に舌を巻いた。その刹那に飛んできたノールックパスには嫉妬すら覚えた。

 隙あらば潰し合いが横行する少年院生活で、模範生と呼ばれる理由が痛いほど理解できた。こいつには何やっても勝てないと思わされるのだ。

 しかし試合中の何気ないこの一言が、二人の関係を一段と深いものに昇華させる切っ掛けになった。

「互いが互いの背中の目になればいいんじゃね?」

 果たしてそれをどこまで磨けばバスケのノールックパスのような連係プレーを規則で雁字搦めの院内生活に生かすことが出来るか、それを模索することが、このあとの2人のライフワークになった。

 そして2人は目標を設定した。それは三野の院内での評価を上げることだった。

 少年院は進級制度が導入されており、何ごともなく順調に進級して行けば約一年で出院できるシステムだが、潰し合いが横行する中で少年院を普通に出院するのは困難と言っていい。しかし模範生の影男は普通に進級するどころか特別に早い進級を勝ち取り、普通ではありえない時期に出院できることが、もう決まっていた。

「ツトム、特進すればその分早く娑婆に出れるんだぜ。俺はもう秒読みだからよ、これからはツトムの評価が上がるようにアシストするから、ツトムは俺のノールックパスを遠慮なくシュートして特進を目指せ」

 これが他の奴なら頭を小突いているとこだが、歯の浮くような恥ずかしいセリフも影男なら許せるようになっていた。

 影男と言う男は普段は、根っから謙虚に務めているようだが、正体は結構な短気で三野にだけは、あいつは娑婆だったらとっくにぶっ殺してる、とよく漏らしていた。おまけに自尊心の塊で、大の負けず嫌いときていた。その負けず嫌いは周囲の者に対してではなく、常に自分自身に対してのものだった。

「俺が一番になる」とひと言いい出せば、それが叶うまでどれだけ時間や日数を費やそうと諦めることなく、遂にはそれを実現させてしまう根気強さを持っていた。

 そういう意味では、次から次へと普通では無理と思われる課題を科して、精神的な更生を狙う少年院のシステムは、影男の性格にマッチしていたのかも知れない。

 影男の根気強さはどんな些細なことでも、その時の雰囲気で口走ったようなことでさえも実現させる力を感じさせた。ツトムをアシストして特進をさせると言ったことも本当に実行した。実際に影男のアシストは、こうするば特進できるとう攻略法でも予め知っているかのように影男は教官の目のつけどころを熟知していた。影男は他の誰よりも、人がどうしても見落としてしまうようなことや陥りそうな弱い部分を熟知しているのだ、三野は、時々空恐ろしくなることもあった。

 とにかく三野は影男のアシストのお陰で、最初の関門を通常よりも一か月早く進級することに成功した。

 それにしても評価を得るための不正行為が発覚することなく、完全犯罪的に安全圏に埋葬されて行く様は痛快この上なかった。自分たちのすることが三野の特進を勝ち取ることなのか、この痛快がもたらす陶酔感を得ることなのか、解らなくなることかあった。

 三野は影男と一緒なら、この先の人生すらも面白くなると思ったものだ。俺たちに出来ないことはないと本気で信じていた。

 やがて影男は出院した。

 規則違反だが互いの連絡先を交換していた。三野はこのまま特進を重ねて一日も早く娑婆に戻ると影男に約束した。

 しかし三野の本当の少年院生活はここから始まったと言っていい。それまで順風満帆だった三野の少年院生活は、影男の後ろ盾があってのことだったと思い知らされる。三野の特進は影男のアシストの賜物だったのだが、2人がそのために踏み台にした出来事や犠牲になった者は少なからず存在し、影男にはなくとも三野を妬む者は、列を作って影男が出て行く日を待っていたのだ。影男が去った後に、さっそく始まった三野に対する執拗な嫌がらせやイジメは、これまでにない程の熾烈を極めたものだった。ブチ切れて暴力沙汰を起こせば影男との約束が果たせなくなる。それだけが三野の心の支えだったが我慢することが出来たのは、ほんの一か月程度のことだった。

 元々、腕には自信があった。影男や仲間の吉田と喧嘩しても負けるイメージは持っていなかった。ただこの2人よりは好戦的ではなかっただけだ。

 影男には影男のやり方があった、自分には所詮影男のやり方を踏襲することなど出来はしなかったのだ。

 周囲が自分に向かって来るなら力でねじ伏せる。三野は三野のやり方で、影男のいなくなったこの少年院の王様になることに方針転換をした結果、なりふり構わずケンカに明け暮れる生活に没入した。その結果、三野に向って来るものは一人もいなくなったが、素行不良の三野に、教官たちは容赦がなかった。反省房を出たり入ったりする生活が常態化した。そしてある時、教官を殴ってしまい全治3か月の重傷を負わせてしまったのだ。それは傷害事件として立件され最終的には特別少年院送りにされてしまう。そこでも何度も問題を起こした挙句に、18歳で始まった三野の少年院生活が放免されるのは3年後の21歳になるまでお預けになってしまったのだ。

 出院した三野は直ぐに影男に連絡した。しかし電話番号は既に不通になっていた。逆に三野が影男に教えた実家の電話番号は今も変わっていないが、影男から連絡がきた形跡はなかった。

 結局、影男とは少年院だけの付き合いに終わった。少年院の中では不用意に馬鹿笑いすることは出来ない。どんなに痛快なことがあっても2人は声を押し殺して腹を抱えていた。あのときのことが今も脳裏に焼き付いている。

 三野がヤクザになったのは少年院を出院してからすぐのことだった。それ以来多くの人間と関わってきたが、あれだけ痛快な思いをしたのも、腹を抱えたのも、影男とが最後だった。

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