第30話 強制参加

 かつての上司である勅使河原法務大臣が画面に現れた瞬間、柏木は暗くなった機内で憎悪を煮えたぎらせた。

 私は断固反対した。大臣は考え直すと言ったはずなのに、私は排除されプログラムは、このような形で推し進められていたのだ。

 自衛隊の紛争地派遣という、アメリカ政府の以前からの強い要請に対する勅使河原法務大臣の出した答えが、懲役受刑者による社会貢献プログラムだった。受刑者を社会貢献とうい名目で紛争地に派遣することによって、次の国会で成立を目指す集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案に抵触させず、アメリカ政府に対する面目も立てるという突拍子もない発想だった。そればかりか改正PKO協力法の新任務である「駆け付け警護」は実際の戦闘行為が想定されているので、野党の反発もさることながら、果たして自衛隊員がこの任務を引き受けてくれるかという危惧から、この任務こそ自衛隊を温存し、社会貢献として積極的に受刑者を登用する腹積りだったのだ。

 恐らく人質奪還は受刑者を派遣する絶好の機会として嵌まった結果だったに違いない。この事件が起こらなかったとしても遅かれ早かれ社会貢献プログラムを始めるつもりで、人員の選定を受刑中のヤクザ者に絞って進めていた背景があったからこそ、これだけ早くことを運ぶことができたのだろう。


 異様な興奮に包まれた機内で1人黙然としている柏木の横に三野が腰を下ろした。

「柏木さん」

 あまりにも普通の呼びかけに柏木は些か驚いた。

 行き先が南スーダンだと知っていたわけではないが、海外だということは知っていた。知っていることを仄めかしてもいた。三野にしてみれば行き先が予想もしていなかった海外であり、人命救助とはこじつけもいいところで、武器を持った戦闘を伴う可能性が高い人質救出だということに、怒りの矛先が向くのはまず自分にではないかと思っていた。下手をしたらこの機内で裏切り者として吊し上げにされてもおかしくはないと覚悟もしていた。

 それがこの穏やかな態度である。大臣は楽な仕事だと言ったが、冷静に考えれば、これは死地に送られるのと変わらないのだ。一千万円とういう報奨金や暴力団解散法の廃案に目をくらまされているが、それが解らない三野ではないはずなのに。それとも怒りも何もかも通り越して達観したとでも言うのだろうか。

「昨日は、このプログラムを計画した側の人間だったと仰っていたからだいたい察しが付いてましたけど柏木さんは、法務省の役人だったってことですよね」

「そのとおりです。私は法務省の官僚でした。黙っていてすいませんでした」

 柏木は頭を垂れた。そして続けた。

「通常は法案というものは官僚が作成するものですが、今回の社会貢献プログラムは勅使河原法務大臣と防衛相の野中大臣が酒の席で冗談半分に話題にしたことから始まったんです。実体は根拠のしっかりした法案でも何でもなく政権の存続、あるいは自分たちの在任期間に瑕疵を作らないための裏工作と言えるものです。刑務所の受刑者を、戦闘が想定される地域に派遣するなんて仮に法案にしたところで野党や世論の理解は疎か党内でさえも得られるはずがありません。もちろん私は断固反対しました。すると大臣らは、公にするのは懲役受刑者による社会貢献と言うことだけにするから大丈夫だと言い出したんです。これがどれたけ無謀なことかわかりますか」

「そうかい、難しいことは解らねえけど、こいつら見てくださいよ」

 周囲の連中は早くもゲリラを何人仕留めることができるか競争しようと話し合っている。報奨金の一千万円を種銭に当て込んで賭けにしようとしている者までいる。少なくともこのプログラムが人質奪還だと知って今更、詐欺だのなんだのと喚き散らしている者は皆無だった。

「みんなやる気満々だろ。政府は人質の命が掛かっているから、騙すようなことまでして急いだのかも知れないけど、前もって説明されてたとしてもきっと同じくらいの人数は集まったんじゃないかと思いますけどね」

 柏木は溜め息を吐いた。改めて三野に向き直る。

「三野さん、私が言いたいのはそこじゃないんです。これからは気を悪くしないで聞いて下さい。私だって人が集まるのはそう難しいことじゃないと考えていました。だけどこのプログラムは、実際の戦闘行為を想定しているんです。ヤクザ者の人たちは、一般市民や下手したら訓練を積んでいる自衛隊員より気力も行動力もあるのかも知れない。しかしそれでも戦場でゲリラを相手にしての戦闘行為に、抗争相手の組事務所にダンプのケツから突っ込んで、自分が傷つくことを少しも想定していない人たちが正気でいられるとは思えません。あなた方が一番大切にしているのは面子ですよね。私は今回の服役生活を通して改めて思い知らされました。ところが海外の武装ゲリラには面子など通用しないんですよ。彼らは日常茶飯事的に人を殺しているんです。侍精神だとか武士道だとかに被れていたらあっと言う間に全員殺されてしまうのが落ちです」

「日本のヤクザ者は、海外では通用しないと言いたいんですね」

 三野が怒りを感じている様子はなかった。

「申し訳ないですが私にはそうとしか思えないんです。しかし私が反対した理由は、受刑者だから反社会組織だから死んでも構わないという人権を無視した思想があってはならないと思ったからです。それにこのプログラムは無事に人質を奪還することは想定していません。アメリカ政府に対して日本が行動を起こしたと言うことが示せればそれでいいんです」

 柏木の言っていることは至極まともなことなのかも知れないが、話を聞けば聞くほど一つの矛盾が浮き彫りになってくる。

「それなら柏木さんはどうして今ここにいて危険な場所に送られるのが解っていながら、のこのこやって来て、俺たちにずっと黙っていたんだ」

「私一人が訴えたところでこの流れが止められるとは思わなかったからです。全国の刑務所に参加者を募っている以上、私の訴えを聞いて退いた人がいたとしても、別の刑務所の枠が増えるだけだったでしょう。だから私は外からこのプログラムを中止に追い込もうとメディアにリークするために弁護士に面会を要請する手紙を発信しました」

「弁護士はその話を聞いて、本気にしたんですか」

 柏木は首を横に振った。

「手紙の発信の許可すら下りませんでした。三野さんは今、どうして私がここにいるのかと言いましたが、私は元々このプログラムに参加の希望を出していません。恐らくリークされるのを防ぐために強制的に参加させたのでしょう」

 三野がそんなバカなという顔をする。

「柏木さんは希望もしていないのに、危険だと解っていてついてきたと言うのか、あんたそれでもいいのか」

「それでもいいのかって、今更しょうがないでしょう。こうなったら現地で皆さんが現実に気付いたときのために、どうしたら全員が助かるのかそれを模索するつもりでいました……」

「俺たちはどこかで監視されているんですかね。だとしても、いざとなったらこっちだって武器を持たされているんだから逃げようと思えば逃げれるんじゃねえかな」

 あまりにも楽観的な三野に内心呆れ果てるが柏木は顔に出さず根気よく説明する。

「直接、肉眼で監視していると言うことはありませんが、米軍には精度の固い人工衛星もあれば無人偵察機だってありますから我々がこのGPSを身に着けている限り、いつでも追跡することは可能です」

 柏木はGPSが付いている片足を掲げて見せる。三野はGPSのことをすっかり失念していたとばかりに、カッと切れのいい溜め息を吐いてピシャリと額を叩いた。

「そうだ、俺たちにはこれが付いているんだ。まさかこれブッちぎったら爆発するなんて漫画みたいなことにはならんでしょ」

「そんなことにはなりませんが、切ったらたちまち知れ渡って脱走したのと同じ扱いになります。そうなったら命の保証はできません」

「まさか射殺なんてことにはならないだろ、俺たちはあくまで社会貢献しに来てやってんだぜ」

「三野さん、その認識は危険です。今すぐ捨てて下さい。勅使河原法務大臣は我々受刑者の命など使い捨てるくらいにしか考えていません。偵察機を飛ばしてくる米軍は輪をかけてそう思っているはずです」

 米軍のこれまでの態度をみるからに柏木の言うことは確かに頷けるものがあるが、三野は性善説でものをいっているだけであって、柏木が思うほどお人好しではなかった。

「いざとなったら一苦労しそうだな。でも俺はそんなに心配してねえよ、要は人質を救出すればいいんだろ。それに思いもかけない事態になったらその時は柏木さんを頼るよ。何か考えてくれてるんでしょ」

 三野はこれでも武装ゲリラには負けないという妙な自信があった。無様な姿を晒して柏木に頼ると言うことにはならないと心底思っている。

「三野さんが現実を目の当たりにして、私の考えを理解してくれる時が来たらそれは有難いし、頼りにされるのは嬉しいのですが、どうやらそうも行かなくなってしまいました。実は私こそ一番逃げてはいけない人間だったんです」


「……」三野は眉根を寄せた。

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