第29話 クロージング

 大臣はまた咳払いをひとつした。メディア慣れしているだろうに少し緊張しているように見えた。

「昨晩はよく眠れたかな、きっと今回のプログラムに参加することになってさぞ興奮して眠れなかった人もいるかも知れないが、これから現地に着くまで今しばらく時間が掛かるので、それまでしっかりと身体を休めて十分に英気を養ってもらいたい。ただその前に少しだけ私の方から話をさせてもらう」

 大臣はそこまで言うと、画面の外からおもむろに紙の束を自分の方へ引き寄せた。そして右手を紙の束の上に添えたまま話を続ける。

「さて、余計な前置きは抜きにして本題に入りたいと思う。今回集まってもらった諸君にやってもらいたい仕事は、人命救助である。助けてもらいたいのは、この2人だ」

 大臣が画面の下方のキーボードを叩くと画面は切り替わり、動画再生が始まった。

 その映像はスーダンの武装ゲリラが国連事務局に送り付けたもので、国連職員の井上とジャーナリストのスティーブンソンを人質にしているという犯行声明で、南スーダンからの日本のPKO部隊の撤退と、ホワイトハウスに身代金の要求をしているものだった。

「まてよおい、俺たちにこの2人を取り返して来いって言ってのかよ。何が人命救助だ冗談じゃねえぞ」

 ほとんどの者が映像が終わらないうちに激高しだし機内は騒然としだした。席を立って機体の出口や操縦席に続く扉を開けようとする者までいたが無駄な抵抗だった。

 映像は終わったかと思うとまた繰り返された。

 不意に出力を上げたジェットエンジンの騒音が機内のざわめきを一瞬で掻き消した。

 大臣の言った『今しばらく時間が掛かるから、ゆっくり休んでくれ』という違和感を覚える言葉が騒然を極めていた連中の脳裏に蘇り、その意味を得心させられる。

 この機はこれからスーダンに向けて飛び立とうとしているのだ。

 呆然とする受刑者はスクリーンに映る武装グループの犯行声明を読み上げる日本人の人質の映像とジェットエンジンの最大出力が機体を宙に持ち上げる浮力が生み出す昂揚感と、諦めの境地に踏み込みつつある自分たちの心情は意図的に演出されたのもだと誰も気付てはいなかった。

 画面は、次の言葉を待つ者たちばかりになったのを見計らったかのように再び大臣の執務室に切り替わった。

 航空機はゴウゴウと騒音を放ち、既に水平飛行へ移行していた。

「さぞ驚いたかもしれないが、あの武装ゲリラから人質を救出するのが諸君の任務だ。加えて諸君はもう空の上だ。引き返すことは出来ない。ここで腹を括ってもうらうしかない。このことは日本政府に貸しを作ったと思ってもらって構わない。今回のプログラムで参加報酬として提示している半年後の特別恩赦による釈放は人質救出時点で前倒しで執行する。それに加えて特別報奨金として一人頭、一千万円を支給する」

 大臣が報奨金に言及したことについて機内はどよめきが起こった。

「それだけじゃない。次回の通常国会で法案の提出が決まっている暴対法にとってかわる暴力団解散法を恒久的に提出しないことを約束する。これにはピンとこないかも知れないが、もしこの法案が可決され施行した暁には暴力団組織の一員というだけで違法になり即刻、逮捕拘禁され組織から離脱しない限り刑務所に収監されるという法律だ。本当の意味での暴力団の排除を目的としている。これを廃案にすると言っているんだ。どうかね悪くない条件だろ。これは政府が諸君の存在を日本社会の必要悪として認めると言っているのと一緒でもある。そう解釈してもらっていいが、だけど勘違いしないでくれよ政府は警察じゃない。既存の法律を犯せば逮捕されるのは、これまでと何ら変わることはないからな」

 大臣の口調は聴衆がもう大人しくなっているのを解っているかのようだった。皆がこのプログラムの内容を承諾しているつもりの口振りだった。

 窓際のシートに陣取っている三野は自分でも気づかぬうちに立ち上がり、スクリーンに映る勅使河原法務大臣の言葉がよく聞こえる位置まで歩み出していた。そうしたのは三野だけではなく、他の組織の主だった連中も同じように集まっている。

「今後も君たちは、日本社会の中で反社会組織の一員として生きていくことに変わりないのだろう。反社だろうが何だろうが日本で生活しているにも拘らず普段はろくに税金をさえも払っていないんだ。こんな時くらいひと肌脱いでくれてもバチは当たらないはずだ。それに今回の人質救出は諸君にとっては決して難しいものではない。相手はいくら武装ゲリラといっても中東のイスラム過激派とはわけが違う。100人にも満たない土着の民族集団に過ぎない。武器にしたって諸君のために用意している銃火器に比べたら質も量も雲泥の差だ。ではなぜ自衛隊が対処しないのかと言えば諸君も解っていると思うが憲法がそれを許さないのだよ。我々政府は次の選挙でそれを可能にする法改正を焦点にして戦うつもりだが、それを前にしてこのプログラムを公にするわけにはいかない。かと言って黙ってアメリカ任せにしていたら、日本は今後国際世論を味方に付けたアメリカ政府の言いなりになってしまう。そうなれば著しく国益を損なうことに繋がってしまう。それだけは絶対に避けなければなるまい。この全てを十全に解決することができるのは諸君しかいないんだ。諸君らが昨日このプログラムに参加することに署名した誓約書はここにある」

 大臣が片手を置いていた紙の束は300人分の誓約書だったのだ。

「これは私が直接預かっている。一方的な形の要請で申し訳ないが、どうかその辺りは容赦してもらいたい。こうするしか耳を傾けてくれないだろうと思ったんだ。我々政府は諸君に頼るしかないんだ。是非よろしく頼む」

 大臣はカメラの前で頭を下げた。そして締めくくりを付け加える。

「現地に着くまで、まだ数日掛かる。それまでどうかゆっくりと身体を休めて臨んで欲しい。到着前にもう一度私の方から連絡をする」

 スクリーンは唐突にブラックアウトした。

 騙されたという怒り。一千万円という特別報奨金。暴力団解散法。これら三つを種にした体のいい脅し。そして最後は泣き落とし。三野は傍観者のようになってこの状況を見据えていた。周囲の者はどう判断したらいいのか解らず目上の人間にすがるような眼差しを向けている。目上の人間はこんな時こそ落ち着きぶりを見せないとならない心理が働き、ふんぞり返って見せるが迂闊に方針を示すことには二の足を踏んでいるのは明らかだった。。

 不意に千歳駐屯地に向かうマイクロバスの中で、輪島のオヤジの話を思い出しだ。


---アホかお前らは10万人近い全国の受刑者の中の300人になったんだよ。

---今の暴力団を肯定するつもりはねえけどよ、お前たちの大先輩は自らやってのけたんだからよ。


 たった24時間前のことだ。

 三野は腹を抱えて笑い出した。笑うしかなかった。大臣のもとにある誓約書には、任務中の落命に責任は負わないという文言が入っている。あの誓約書がある限り今この航空機が撃ち落されても文句は言えないということでもある。人質を取られたようなものだ。もはや考えてもどうしようもない状況だった。

 三野はこの場にいる者たちに向かって叫んだ。

「こうなったらやるしかねえだろ。ゲリラだか何だか知らねえが、とっとと人質を助け出して日本に帰るぞっ、いいかテメェら」

 一瞬の静まりは歓喜の前振れに過ぎなかった。150人の絶叫はジェットエンジンの騒音を凌駕して、束の間ここが空の上だと言うことを忘れさせた。

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