第27話 フライト
乗り込んだ航空機は旅客機ではなく、自衛隊のC-2輸送機だった。
通称ブルーホエールと呼ばれるこの輸送機は、丸々と太った機体の中身のほとんどは、空洞で普段は戦車や装甲車などの大型の車両を輸送するものに違いない。今は懲役受刑者を運ぶために急ごしらえで座席が取り付けられている、そんな感じにしか見えなかった。まだ飛び立ってもいないのに座っただけで旅客機のエコノミークラス以下だということが容易に窺い知れる。マイクロバスの折り畳み式の補助座席に座らせられている感覚に近い。ぎゅうぎゅう詰めのそれでも今更、文句を言う者は一人もいなかった。
全員の搭乗がすんで後部のハッチが口を閉じると、そこで初めて格納庫の巨大なシャッターが口を開き始めた。機体はゆっくりと滑走路にむけて前進を開始する。
ここで機内放送のマイクが入った。
「皆さん、おはようございます。わたしは機長の畑山といいます。これから当機は米軍の横田基地へと向かいます。フライトの予定は2時間ほどを見ています。その間、刑務所内のような細かい規則はございませんが、機体が飛び立って巡航高度に達するまでのあいだと、着陸のために高度を下げ始めたときは、シートベルト着用の放送を入れますので、この指示だけは必ず守ってください。立ち上がっていたりベルトをしていないと大変危険です。尚この機体は旅客機ではないのでCAが機内を循環することはありません。皆さん一人ひとりがプログラムに参加している自覚を持ち、良識と節度のある行動に期待しております。それでは間もなく離陸します。シートベルトの着用をお願いします」
機体は既に出庫していて、滑走路に辿り着こうとしている。ジェットエンジンの騒音が一層高くなった。
離陸の緊張感に包まれた機内はシートベルトを締める金具の音がガチャガチャと響いている。滑走路のスタート地点で一度停止をした機体が、再び動き始めぐんぐんとスピードを上げていく。下腹に轟いて来るジェットエンジンの振動の大きさに少し不安になった。背中が頼りないシートに押し付けられ金属の軋みが伝わってくる。
「このシート大丈夫なのかよ」
多くの者が口々に似たような不安を呟いたが、エンジンの轟音で掻き消されて、みっともなく焦りを顔に滲ませる者も少なくなかった。
その不安を煽るかのように機体が斜め上へと傾き出した。旅客機のように窓があるわけではないので視認はできないが機体が地面から飛び立ったのは下に引っ張られる感覚で解る。
斜め下方に鉛をぶらさげているような感覚は水平飛行に移るとなくなった。そしてシートベルトを解除してもいいという放送が入った。それにしても機内は凄まじい騒音だった。防音に際しては一ミリも配慮されいないのは明らかでこれが輸送機だと言うことを片時も忘れさせてくれない。こういった最低限の設備は懲役に対する刑務所側の扱いを彷彿とさるものがあるが、これがいかに前例のない極秘プログラムなのか肌で伝わって来るのだった。
体制側の悪意とも感じる紙一重の施しに遭遇すると、引け目を感じて恐縮するのは堅気の心理で、ヤクザ者にはそんな心理が働くはずもなく、あったとしても体制側の思惑には屈しないという反骨心が発露するだけなのだが、旅客機のような安全設備の欠片もない剥き出しの鉄の塊に乗せられた空の上とあっては、日本の名だたる暴力団組織の連中であってもさすがに大人しくしているようだった。
しかしどんな状況下に置かれても、捨てることの出来ない問題が彼らにはあった。
面子である。
搭乗する前から組織内の上下関係は、ハッキリとしていたので、仲間同士で様子を窺うような気づかいは無用だった。加えて娑婆からの顔見知りが邂逅する場面も少なからず散見されるが、やがてシートベルを解いた彼らは、同乗している他の組織へと軸索を伸ばして行く。特に三野がいる折賀瀬組は全国津々浦々に組織が根を張っているので、挨拶とばかりに入れ替わり立ち替わり様々な人間がやって来る。
さすが日本最大組織の若頭を張る組のナンバーツーは伊達ではない。しかしそうなると三野自身もいつまでもシートに座っているわけにはいかず、年齢やキャリアが同等かそれ以上の他組織の人物には自ら挨拶に出向いて行った。
本音を言うと柏木からこのプログラムについて色々と話を聞きたいところだったのだが、2時間のフライトは挨拶だけで費やされてしまいそうだった。いずれはもう一つの機体で横田基地に向かっている組織の連中とも面通しすることになるだろうと思うと辟易とさせられるが組織の面子を汚すわけにはいかなかった。
一方で三富のような組織の末端組員にとっては、内外を問わず、大勢の業界人が集まる場は、顔と名前を売るには絶好の機会でもあった。
その三富が一息ついた三野の所へとやって来た。
「ご苦労様です」
「なんだよ急にかしこまりやがって」
三野は隣の空いている席に三富を促した。失礼します。と声を上げて深々と一礼した三富は緊張した面持ちで三野の隣に腰を下ろした。
「いやぁ、三野さんが凄い人だってのは解ってたんですけど、改めて三野さんが偉大な人だって思い知らされましたよ。たぶんこの飛行機に乗っている150人全員、三野さんの名前を知っていますよ」
正確には折賀瀬組の2次団体のナンバーツーとしての三野を認識していると言うことなのだが。
「それでお前、そんなに態度を改めたのか、あのなあ俺のとこに来て改まっている暇があんならよ」
三野は三富の肩に腕を回した。
「俺は、三野力と同じ工場に務めてこの度、縁を持たせてもらった三富ですって言いふらしてもっと顔を売ってこい」
三富が目を剥いた。
「マジっすか、ありがとうございます。では行ってきます」
三富がとっくにそう言いふらしていることはお見通しだった。あるいは三野の舎弟だと勘違いされるようなことも言っているかも知れない。きっとあまり調子に乗り過ぎて、後々揚げ足を取られたり下手打ちをしかねないと危惧した三富は事後承諾で報告しに来たに違いなかった。
こうして目上の人間が、若い者の行動を見透かすが得意なのは神通力でも何でもなく、自分自身も若い時に似たようなことをやって来たからなのだ。
三野は三富の背中と若い時の自分を重ねて、大して変わらないことにため息を吐いた。
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