第25話 誓約書

 社会貢献プログラムは、懲役受刑者にしてみれば、ある日突然降って湧いたような話だが、ネーム入りのGPSが用意されていたと言うことは、柏木の証言からも解るようにこのプログラムはずっと以前から計画されていたものに違いない。しかしこのプログラムに参加するのは自由意志によるものだったはずだ。それともこちらが考えも及ばない技術や、トリックが存在するのだろうか、仮にこれが予定調和だというなら、突き詰めれば災害さえもそう言うことになるのではないか。

 三野は頭を振って疑問の数々を振り払った。

「皆さん食事は終わったようですね」

 村田は全員が食事を終えたのを見計らい、靴を脱いでブルーシートに上がった。

「改めて長旅、お疲れさまでした」

 村田は人数分のバインダーを脇に置いた。

「それでは、これから書類をお配りします。私が今から説明をしますが、皆さんもよく読んでから署名をしてください。それが終わったら本日の予定は全て終了です」

 各自に書類が挟まれたバインダーが配られる。

 内容はこの社会貢献プログラムに参加するにあたっての誓約書とGPSを身に付けることへの同意書だった。誓約書は10数頁に渡り村田が解りやすいように読んで聞かせる。規約の中には任務中の落命には責任を負わないという項目も書かれていた。

「要するに死んでも文句は受け付けませんと言うことです。これは一般的にどんなボランティア活動にも載っている事項です」

「病院で手術する前に一筆書くのと一緒だろ」

 誰かが知ったかぶって村田の言葉を補足した。もちろん誰もこのことについて異を唱えることはなく署名をした。

「村田君よ」三野は署名を済ませたバインダーを渡しながら言った。「俺たちはどこで何をさせられるのか、ほとんど聞かされないままここに来て、大人しく署名までしたんだ。そろそろ答えを教えてくれてもいいんじゃないか」

 自衛隊というからには銃火器を使用した訓練を行っているはずで、それは人を殺す術を学んでいるとも言える。だがそれはあくまで訓練なのである。それに対して三野自身は実際に命の遣り取りを幾度も経験している。そんな自衛隊員とヤクザ者にどんな差があるのか自信と興味が三野の語気に現れていた。三野のその語気に村田は些か怯んだように見えた。

 村田の引き攣った顔に、僅かに留飲が下がる。

「別に村田君を脅かしている訳じゃないんだ」

「わかりました。私の応えられる範囲でお話します。皆さんの任務は自然災害による復興支援ではなく、人命救助としか私は聞いていません」

 自然災害による復興支援と人命救助にはよく考えれば、大きな違いがある。しかしこの違いの意味に気付いたものはこの時はいなかったが、柏木だけは顔を上げた。その表情に一瞬だけ険しさが垣間見えた。

 村田は明日の説明を加える。

「明日の朝食後に改めて班の組成が行われます。その後あちらの……」

 村田は格納庫の奥に鎮座している航空機を指差した。全員が揃って視線を向ける。

「……輸送機で現場に向かうことになります。尚この社会貢献プログラムは、刑務所で受刑中の方々に参加してもらうという性格上、目的地の情報漏洩を防ぐために私たちにもそれがどこなのか知らされておりません。従って行く先は輸送機の中での開示になります」

「本当に人命救助なんだな、福島原発の汚染処理とかじゃねえんだよな」

「はい、それだけは間違いありません」村田はそれは心配ないという顔で応えた。

「それから、もう一ついいか、ここに集められた300人全員がどうしてヤクザ者なのか、村田君は知ってるか」

 この質問はカマだったが、三野には確信に近いものがあった。

 改正をくり返す暴対法や暴排条例により今や銀行口座を作るのも、住宅の賃貸契約を結ぶのも違法になってしまった暴力団員はいずれ存在そのものが違法になるのではないかという危機感を抱いている。その危機感に対して意識的にも無意識的にもある種の開き直った覚悟が、あらゆる言動に影響しているのが現代ヤクザの特徴でもあり、それに気付いている三野には、そんなものとは無縁の堅気とヤクザを見分けるのは簡単なことで、この格納庫に集められた懲役がどいつもこいつも堅気ではないと早くから確信していた。ただひとり柏木を除いては。

 その柏木は努めて冷静でいようとしているようだが、その顔色には知っている事実と違うことに直面している焦りのようなものが三野には窺えた。

「それは初耳ですね」と言った村田の言葉は嘘には聞こえなかった。

「なら、もう一つ」

 きっと喋ってはいけないこともあるに違いない。無理に喋らせてもそれが真実であるかは解らない。それよりは考える余地を与えずに村田の顔色で判断できる質問を試みる。三野は畳みかけるように言った。

「このGPSは、よく見ると個人名が入ってるが、これだけの数を作るのに一か月やそこらは掛かったんじゃないのか」

「い、いやぁ、その点については私は専門外なので、ちょっとお答えしかねますが」

 声まで上ずっている。これについても口留めされているに違いない。

 三野が質問を止めると、そのあとは三富や他の者が、明日は何時に起床なのか、朝食は晩飯の残り物じゃ許さないとか喚いて村田を困らせていた。

 端からこの様子を眺めていた三野は、村田にとった自分の態度が急に恥ずかしく思えてきた。

 ヤクザ者は自分たちの面子や利益のために殺し合いをするが、自衛隊が人を殺すためにする訓練はあくまで日本国民を守るためのものだ。人を殺す行為そのものは同じであっても、その意味合いはまるで違っている。そもそも自衛隊のする行為と、ヤクザ者の暴力を比べようとすること自体が間違っているのだ。自衛隊は暴力団をも含めた日本社会で生活している全ての日本国民の平和を影ながら支えている存在でもある。そう思うと目の前にいる村田という一人の自衛隊員でさえ尊い存在に思えてくるのだった。

 三野は自分の私物が入ったバックを開けてみた。中には数年前に逮捕されたときに身に付けていた、時計や金のネックレスなどが無造作に入っていた。その中から時計を取り出して軽く振ってみる。文字盤の黒いカジュアルなロレックスのクロノグラフは何事もなかったように、自動巻きのムーブメントを動かし始めた。ふと、こいつを村田にくれてやりたくなったが、恐らく受け取ることは出来ないのだろうと思い。自分の手首に巻いた。

 翌朝の起床は、刑務所と同じ6時50分だった。300人が一斉に起き出し、洗面を済ませた順に朝食に取り掛かる。洗面と言っても湿ったタオルを二本支給されただけだった。朝食の献立は、おにぎり二個にインスタントの味噌汁だ。もちろんこの朝食でさえ刑務所のそれと比べれば、ずっとましなもので文句を言うものは一人もいない、むしろ喜んでいる者がほとんどだった。

 それから着替えが始まった。服装は自衛隊員とほぼ同じ迷彩柄で自分たちの洋服と私物は、この千歳駐屯地で保管されることになっていた。使用した寝袋は小さくまとめて背負えるタイプのもので、各自持っているように指示をされる。ブルーシートは自分たちで折り畳み倉庫に返納しに行った。それらが全て終わる頃には午前10時を回っていた。

 世話役をしている自衛隊員と、迷彩柄の服に着替えた受刑者を見分けるのはヘルメットを被っているかどうかの差と言ってよかった。

「村田君」

 三野の話し掛ける語気には、昨日とは打って変わり敬意が込められていることに自分でも内心驚いていた。

「これから俺たちはバラバラになるんだろ」

「はい、もう始まると思います」

 村田がそう言った矢先から、遠くの方でプラカードのようなものが立ち上がった。

「あれを見てください」

 そのプラカードに書かれていたのは、三野の確信を裏付けるものだった。

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