第23話 出発
柏木を除く他の9名が全員ヤクザ者だというのは偶然と考えていいのだろうか。腰に通されたロープで5名ずつ数珠つなぎにされて、柏木とは離れてしまったから、昨日の続きを聞き出す機会は夜にでもならないとやってこないだろう。
10名は、同じ人数の若い刑務官にピタリとマークされながら移動し曲がりくねった長い廊下を進んで行った。そして正面玄関の前に横付けされているマイクロバスに乗り込んだ。
窓の中に鉄格子がある護送用のバスとは違い、普通のマイクロバスだと、手錠を掛けられていても雰囲気は開放的になる。
「オヤッさん、俺たちこれから府中刑務所に行くんですよね。ってことはこれから千歳空港に向かうんですか」
一緒に同行する刑務官の中で、一番高い階級章を付けているのは、警察官で言うところの警部と同等の職で制服の袖には金線が一本刺繍されている年配のベテラン刑務官で、多くの受刑者からも親しまれている輪島という刑務官だった。最後にバスに乗り込んできた輪島は先頭の席からその大柄な上体を返してヘッドレストに肘を付いた。そしてきつめの老眼鏡の奥から全員を見渡した。
「何だお前たち、聞いていないのか。さっき処遇主席が言ったじゃねえか。今日は府中じゃなくて自衛隊の千歳基地の中だ。まったくはしゃぐのはいいが、こっちの話もちゃんと聞いとけよ」
言葉は少し荒っぽいが、出来の悪い子供に教え諭すような口調は、好感が持てる。懲役はこんな刑務官と話をするのは嫌いではない。
「いいか、お前らあんまり浮かれてると足元をすくわれるぞ。だいたい遊びに行くんじゃねえんだからよ」
「でもオヤジ、刑期が短くなったんだぜ、しかも何百人もいる中からたったの10名に入ったんだから、浮かれもするだろ」
「アホかお前、全国の刑務所に収容されている10万人近い受刑者の中の300人に入ったんだよお前らは」
「なら尚更だぜ、浮かれるなって方が無理な話だよ、なぁ」
他の何人かが、そうだそうだと同調する。
「だけど輪島のオヤッさん」三富が話に割り込んでいく。「最初の予定じゃ府中で3日間のオリエンテーションするってことになっていたんじゃないんですか、それはどうなったんですかね。自衛隊の基地でやるんですか」
「そんなもん俺に聞くな、解るわけねえだろ。きっとそんな悠長なこと言ってられないほどの災害がどっかで起きてんじゃねえのか」
「でもなんの訓練もしないで、いきなり被災地とかに派遣なんかされたら助けるどころか追加で被災するわな」
一同がどっと笑った。
「笑いごとじゃないぞ、全くその通りになっても可笑しくないと俺は思ってる。だから足元を掬われるなって言ってんだ。お前たちは度胸がいいのかも知らんが、それが徒になるかも知らんな」
「輪島のオヤジ、質問いいですか」一番奥の席から手が挙がった。「ここにいる10名全員が現役なんですけど、これは一体どういうことなんですかね」
こいつは、柏木のこともヤクザ者だと勘違いしているようだ。柏木が堅気だと知っているのは俺と三富、そして阿久井のオッサンだけだ。
それにしても9人が現役のヤクザ者というのは気になるところでもある。恐らく輪島のオヤジは、その理由を知らないだろうが、そのことについてベテラン刑務官の見解というものを聞きたかった俺は、10人全員が現役というのは間違いだと指摘しないで黙っていた。当の柏木は黙って外の景色を見詰めている。
「そんなこと俺が知るわけねえだろ」
「だけどねオヤッさんは、おかしいと思いませんか。普通ならこういうことはまず暴力団は排除されるじゃないですか」
これだけ大掛かりなプログラムだと、道東刑務所の所長クラスでも本当の理由を知らされていないのではないか。それにしても車内は修学旅行のような雰囲気になっている。ちょっと騒がしいが長い抑圧から、いきなり解放されたら誰だって上手く自分のことをコントロールすることは出来ないはずだ。その辺りのメンタルケアも府中でやるつもりだったんだろうか。
我々を乗せたマイクロバスは人里離れた山奥を走り抜けた。時おり垣間見える田園風景と海岸線に心を洗われ、気が付けば遠くに見える一両編成の電車がマイクロバスと平行して走っていた。空は、ぶん投げた白いタオルが生命を宿してしまいそうなほどの快晴だった。
「でもよ、ここだけの話、刑務官はみんな思っとるよ、だいたい御上の決めることはいつだっておかしなもんよ。だけどな俺はこれが道理なんじゃないかと思う部分もある」
初めてバスの中が静かになった。他の若い刑務官らと世間話に興じていた者も輪島のオヤジの話に耳を傾ける。
「お前たちの世代じゃ知らねえのも無理はねえが、日本が戦争に負けた直後のことだ。それまで日本人に虐げられてきた中国、韓国、台湾の三国人の連中が仕返しとばかりに暴れ回ってた時期があったんだ。俺も実際に見たわけじゃねえけどよ。そりゃあ酷いもんだったそうだ。強盗強姦は当たり前でな、白昼堂々と奴らに日本人が殺されても、敗戦国の日本の警察は何も出来なかったそうだ。そんな混沌とした中で三国人に一歩も引かない日本人の集団が立ち上がったんだ。それが他でもない、お前たちの先代のまた先代だ。大阪は折賀瀬組。東京は今の僑栄会が銀座警察なんて言われてたのは、お前たちも聞いたことがあるだろ、現代社会の教科書には載ってなかったが、俺の両親は東京で商売をやっていてな、銀座警察には何度も助けてもらったそうだ。あの時代はヤクザも必要悪として日本の警察も黙認した。それが今じゃ反社会組織になり下がりやがって、これからお前たちはどうするんだよ。俺はお前たちの存在を肯定するつもりはないが、日本社会があるからこそ反社会組織も存在できるわけだろ、表だろが裏だろうが日本という名の同じ米櫃に手を突っ込んで飯を食ってんだろ。その日本社会が有事の時くらいは、お前たちだって身体の一つや二つ張ってくれても鉢は当たらんだろう。お前たちの先代は自らそれをやってのけたんだからよ」
確かに今の若者に戦後の話はあまりピンとはこない。しかしこのバスに乗っている全員がヤクザ者という不可思議な取り合わせに、よくは解らないが理由らしきものを提示されたことで、それを無理矢理に呑み込もうとする様は、ちっとも味のしない食事で満腹になろうとする行為に似ているかも知れなかった。それでも納得できないままで放ってはおけないことだったのだ。
「オヤッさん、俺たち生きて帰れるんですかね」
首筋から入れ墨がはみ出している若いのが、呟くように吐くと、車内はまた違う意味で静かになった。
バスの右後輪が何かに乗り上げて、車体が大きく弾んだ。両手錠には些か姿勢を保ちずらい揺れだった。
「当たり前だろ、何言ってんだお前。今更バック踏むんか」
半年後に釈放という見返りを先にぶら下げられて飛びついたはいいものの、果たして何が待っているのか解らないまま目的地へと向かう漠然とした不安は、柏木を除いた9名が少なからず抱えているのは当然のことで、その不安を直視しないが為の浮かれ気分でもあったのだが、走り続けるマイクロバスの中で輪島の話は、両手に嵌められた手錠の重さを、引き返すことの出来ない足枷のように感じさせたのであった。
平たく言ってしまうと、このやり方はすごく卑怯な方法なのだ。本来ならこの方法を常套手段としているのは、暴力団である彼らのほうであって、立場が本来と逆になった彼らは、この手段が相手を貶める遣り口だと言うことを無意識的にも気付いているのだ。
「何言ってんだよオヤジ、俺たちがビビってバックするわけねえだろ。ちょっと気になっただけだって」
「俺たちって言うな、ビビってるのはお前ひとりだろ」
「だからビビってねえって」
この空威張りが、実は噴出寸前だったみんなの不安に蓋をしてしまう結果になった。そしてこれ以降だれもネガティブな発言が言えなくなってしまった。
その後も輪島のオヤジを巻き込んで話題は多岐に及んだが、ほとんどが所内で過去に起こったトラブルの真相の暴露大会に終始した。
マイクロバスは途中何度か用便に寄っただけでほとんど休憩なしに北海道を北東の端から南西の端に向かって縦断し、やがて戦闘機が頻繁に離着陸を繰り返す自衛隊の千歳駐屯地へと辿り着いた。
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