第19話 アフリカ・南スーダン③

 いちいち割れるテレビの音声が、こめかみに亀裂を入れようとしているかのようだった。加えて浅い呼吸を強いられる独特の香の匂い。過密状態の息苦しさ。纏わりつく汗に濡れたシャツの不快感。未だに違和感が残っているマカブの打撃をガードした左腕。なんらかのストレスになり得るそのどれをも置き去りにして、ハギギの脳裏に蘇ったのは、2年前のアビエイで自分たちのアジトに招き入れた日本人とアメリカ人だった。テレビに映っているテロリストの人質は、その2人に間違いなかった。

「なんで井上があそこにいるんだ」

「横にいるのはスティーブンソンですよ」ケルが言った。

「あのゲリラの人質になっている2人を知っているんですか」

 ビボルやコバレフたちは、元々南スーダンで活動していたために、井上とスティーブンソンのことは話でしか知らない。

「知っているも何も2年前に、アビエイに来た2人だ」

「何ですって、まさかあの人質が、例の国連の職員だと言うんですか」

「そのまさかだ。今ジュバに来ているPKO部隊は、2年前はアビエイに向けてくる予定だった。それがスーダン政府が仕掛けた南スーダンへの空爆のせいで立ち消えになったのも、その後に南スーダンでPKO活動がはじまるのを事前に知ることができたのも、アビエイにあの2人が来て、俺たちの住処で寝泊まりをしている間に、あの日本人の国連のIDとパスワードを盗んだのが役に立ったからだ。それがなかったら俺たちは今ここにいなかったかも知れない」

「ボス」

 アルセンが不安げな顔をしてハギギに訊ねた。

「あの時、井上はハルツームで知り合ったスティーブンソンをガイドにしてアビエイに来たと言っていた。そして今、一緒に人質になっているってことは、あの時の帰りに攫われてずっと人質になっていたんじゃないのか」

「多分そうだろう。あの後、井上のメールアカウントが一度も使われていないから俺もおかしいとは思っていたんだ。それにテレビをよく見てみろあの2人の服、見覚えがないか」

 2人の人質は髪もひげも伸び放題で肌も真っ黒に日焼けし、痛々しいほどやせ細っていた。後ろで小銃を構えているテロリストが人質の2人の身分証をアップにする場面もあったが、ハギギたちには見た目とその服装で十分だった

「ビボル、こいつら何を要求しているんだ」

 繰り返し流れるテロリストの要求に耳を傾けたビボルは眉間に皺を寄せた。

「奴らスーダンのダルフールを根城にしている過激派らしいんですが、南スーダンで活動している日本のPKO部隊の撤退と、アメリカ政府に対しては、身代金の要求をしています」

「なんだと」

 日本政府がテロリストの要求には決して応じないと言う公式見解を世界に向けて発信しているのは承知しているが、撤退するだけなら他にいくらでも理由付けはできるだろう。

 しかし日本のPKO部隊に撤退されると、自分たちがジュバに向かう意味が半減してしまう。ハギギはマグカップに残っている酒を飲みほした。

 一方で、イルガ族の連中もマカブを中心にして、テレビ画面を指さしながら口々に興奮をあらわにして喚き出していた。

「ビボル、こいつら何を喚いている」

 画面は人質を映し出していたシーンは終わり、目出し帽を被った男たちが並んでいて、その真ん中で一人だけ椅子に座っている男だけは素顔を晒して、要求を訴えている場面になったいた。

「この真ん中に座っているのが、オスカル・バルデスという男で、半年前までマカブの右腕だった男らしいです。しかしある日突然反旗を翻し族長の座を狙ってマカブに挑んだんですが負けてしまい、その日のうちに仲間を何人か殺して逃げて行ったそうなんです」

「そんなことがあったのか、するとイルガ族はこのテロリストの方に仲間を殺された因縁があるってことこか」

「ボス」アルセンは2年前にアビエイにきた井上たちのことをよく覚えていた。

 IT機器に疎い振りをしてIDとパスワードを盗み出しはしたが、決して井上たちに悪い印象は持っていなかった。別れの際にハグをしたときはホームシックに似た寂しさが鼻の頭に込み上げて来た。また会おうと言った井上の言葉に本気で頷いていた。その井上のあんなに瘦せさらばえた姿に、胸が締め付けられた。

「俺、井上を助けに行きたいです」

 自分の弱味をさらけ出すようで言い難いひと言だった。助けに行く義理などないのは判っているが、どうやらイルガ族の連中はオスカル・バルデスとやらを放っておくわけにはいかない雰囲気だ。そのイルガ族の長になってしまったボスだって、井上たちを見捨てるわけにはいかないのではないかと言う考えがアルセンの気持ちを後押ししていた。

 生唾を呑み込んだアルセンを尻目にハギギは立ち上がった。そしてイルガ族と自分の仲間たちの間を搔き分けるようにして、注目を集めているテレビの前まで行くと、やおらボリュームを絞って、この場にいる全員に対して振り返り、胸を張ると辺りに一瞥をめぐらせた。

 この場の全員がハギギに注目している。

 その表情にはイルガ族の長や、グループのリーダーとしての立場を超越し、アフリカやヨーロッパとは違う遠い第三世界のカリスマ的な雰囲気が滲み出ていた。兼ねてからそう感じていたビボルは、

「今から俺が言うことをイルガ族の連中にも通訳してやってくれ」と、命じられる前から本人が何を言いだすのか察しがついていた。

 そしてハギギがここぞと言うときに醸し出すオーラのようなものは言葉を抜きにして波及し、それに魅せられた者は、陶酔し我先にと自ら立ち上がる。

「俺たちはジュバに向かうつもりだったが、見過ごすわけにはいかない事態が起きた。俺たちはこれからダルフールに向かう、もちろんイルガ族も全員だ」

 ハギギはテロリストの映るテレビ画面を指さした。

「そしてこいつらを叩き潰す、その上で2人の人質を解放する」

 傍らにいたイルンガ・マカブが、耳を押さえたくなるほどの雄叫びを上げた。アルセンも負けじと叫んでいる。

 他の全員もそれに続いた。車体を揺るがすほどの咆哮は、この場にいる全員をひとつにした。

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